1-4. taxi to Runway 1, via Rt.1.
帰宅すると、叔母が泥だらけの僕を見てどうしたのかと問うてきた。僕は適当に、公園で走り回っていたら転んだと言って誤魔化した。妹は呆れた目で僕を見ていた。
夕飯を食べて、風呂に入って、課題を済ませて、日付が変わらないくらいの時間に布団に入ってからも、オトヒメが僕に言い放った言葉は、僕の中でぐるぐると渦を巻いていた。
――貴様も「敵」か?
「敵」――世界は、そう呼んでいる。
今日の夜のニュースでも、「敵」による小規模テロが報道されていた。
僕たちは、「敵」の存在に、そして、奴らによって引き起こされるテロに慣れきっている。いつ自分たちが標的になるかも分からないのに、まるで世界の反対側、いや、むしろこの地球という惑星の外側で起きている出来事を見るかのような目で映像を見る。そのくせ、画面が切り替わって報道される芸能人のゴシップを、偶然テーブルに置いてあったお菓子を迷わず口に抛り込むように消費する。
僕たちは、「敵」を「敵」と認識していない。
それが誰か、誰も知らない。
それが何かも、誰も知らない。
ただ一つ分かっているのは、攻性電波と呼ばれる一種の電磁波を使うことだ。そうして、基地局だとか、ネットワークサーバだとか、独自の発信源だとかを通じて、人間の脳と電脳空間とを接続するBCI――ブレイン・コンピュータ・インターフェイスに、しばしば攻撃を仕掛けてくるということ。だがそのメカニズムも、その意図も、タイミングも、不明なままだ。BCI技術が登場した三十年前から、僕たち人間の世界と、僕たちの「敵」は、不毛な追いかけっこを続けている、らしい。
らしいと留保したのは、僕ら子供は、物心ついたころから、奴らのことをそう呼ぶようになっていたからだ。というかそもそも、たかだか十七年ていどの人生で世界を分かろうなんていうほうがおこがましいとすら思う。
だから、余談になるかもしれないが、両親が突如として目の前から消えた十二歳の春以降、僕は世界に対して、耳と目を閉じ、口を噤んで暮らしてきた。これは別に、向上心が無いとか、僕が世界に対して壁を作って心を閉ざしているとか、そういうことじゃ決してない。手で触って感触を確かめられる範囲のことを、大事にしたいと思っている。ただそれだけの話だ、誓って。
「敵」。僕たちの世界を脅かしていると言われている存在。
それが誰か、誰も知らない。
それが何かも、誰も知らない。
ふと、オトヒメと名乗った彼女の姿が思い浮かぶ。
果たして、彼女は「敵」が何者か知っているのだろうか。知ったうえで、軍務に就いているのだろうか。それとも、知らずに軍務に就いているのだろうか。
加えて、彼女は「高校二年生」と言った。
ひょっとして、僕以外の高校生は、みな「敵」の存在を知っていて、やつらを止めるために必死で戦っているのではないか。僕だけが――世界の手触りだけを選り好みしている偏食家の僕だけが、「敵」から逃げて、ぬくぬくと偽りの平和を享受しているのではないか。
違う、と誰かに言ってほしかった。
でもそう言われると、それはそれで嘘のように考えてしまう。
この世界はいったいどうなっているのだろうか。
窓の外には、半月よりも少し膨らんだ月が浮かんでいる。あの月のように遠くから見下ろしたら、真実はわかるのだろうか。
誰が敵で、誰が味方なのか。誰がどの事件を起こしているのか。誰の言うことを信じれば、僕は間違わずに生きていけるのだろうか。電脳空間の中すら嘘と間違いだらけで信じられないのに、現実世界を信じることなど、どうしてできるだろうか。
もしも明日――あるいは、いつになるか分からないけれど、いつか、出会えたなら。オトヒメに、彼女自身のことを、聞いてみたいと思った。なぜだかは分からないが、この世界のことを少しでも知りたい僕に、何かしらの答えを与えてくれると思ったのだ。
僕は寝返りを打って、月光から目を背けた。暗闇が少しずつ、僕を深い眠りへと誘った。




