1-2. pushback approved, expect Runway.
その後、部活動終了の時間が来たので、僕たちは普通に馬を厩舎に戻して、制服に着替えて、校門を後にした。
徒歩十五分の家路を帰ると、叔父が既に帰宅していた。お帰りという野太い声が、テレビの音声と共に聞こえた。父の死後空白になったポストを埋めるようなかたちで、叔父は防衛省の技術研究本部に入局していたので、ずっと多忙を極めていたのである。
「ただいま。早かったね、叔父さん」
「ああ。思った以上に会議がスムーズに進んだもんでな。国家公務員とはいえ、土曜日くらいは早上がりしたいもんよ」
叔父が見ているテレビは、どこぞの国の外交官たちが、黒光りするいかついリムジンで外務省の建物に続々と乗り付ける様子を垂れ流していた。
「……あれ、そういえば今日は外交パーティとか言ってなかったっけ?」
「人員変更なんだとさ。コテツの散歩、今日は俺が行こうか?」
叔母はいつも通り、奥の台所で夕飯の支度をしている。花穂はいない。二階の自分の部屋で宿題でもしているのだろう。
僕らが父と母を失い、叔父夫婦に引き取られてから五年――家の中では、いつものように、ちょっと歪な日常の時間が流れている。
「いや、いいよ。折角早く上がってきたんだし、一番風呂でも入んなよ」
「そうか? 悪いな」
叔父はもはや父と同然の存在だった。僕は二階の、花穂の部屋の向かいにある自室で手早く着替えると、玄関からリードを取り出して、リビングでテレビの映像を皆がら所在なさげに尻尾を振っている黒い柴犬のコテツを伴い、また家を出た。
◆
日の暮れた大濠公園の池の外周を、等間隔に置かれた街灯が照らしている。歩いているのは主に、僕と同じように犬の散歩をする人と、ジョギングをする人、それから仕事終わりのサラリーマンだ。
六月も後半に差し掛かっているのに、風がひんやりとしていて、僕は半袖で家を出たことを少し後悔した。戦争が気候を変えたとかいう言説は、僕が小さい頃からまことしやかに囁かれている。本当かどうかはどうでもよくて、ここで大事なのは六月なのに衣服の調節に困っているということだ。
風の吹く方に顔を向けると、大小のビル群の向こうで福岡タワーがライトアップされて、赤とか白とかカラフルな色に光っている。福岡タワー。戦争からの復興の象徴として、戦前よりも高くなるように再建されたらしい。戦争という大きなカオスが僕が生まれるつい直前まで渦巻いていて、人々はそこから秩序を取り戻したのだという、破壊と再生の象徴。
汎アジア・シベリア群発戦争。
それが、僕らのご先祖と「敵」がダラダラと十五年くらい続けていた戦争の名前だ。
そいつはいつ始まって、いつ終わったのかも曖昧らしい。何を開戦とし、何を終戦とするか、学者の間で意見が割れている――と、叔父は言っていた。はっきりしているのは、東京を中心とする関東一体が度重なる空爆のせいで都市圏として、そして首都として使い物にならなくなったということと、そのために国防と外交を中心とした政治機能の一部が福岡に移されたということだ。
政治拠点の建設はこの街にとってかなりのブーストになった。福岡はつい二十年ほど前に「敵」軍による烈しい空爆を受けて灰燼に帰したにもかかわらず、戦前以上の姿への復興と発展を見せている。
――と、教科書は言っていた。
僕には到底信じがたい話だった。何しろ「戦後」の世代なものだから、今の光景が失われたと聞かされてもピンとこない。天神から博多にかけてのビル群がすべて更地になったとか、福岡空港の滑走路が空爆で穴ぼこだらけになったとか、福岡タワーが真ん中からぽっきり折れて上半分が百道浜に崩れ落ちたとか、いまいち実感が湧かないのだ。特に最後のやつはギャグなんじゃないかとさえ思う。映画を扱った本の中で書かれていたけれど、第二次世界大戦の後に『ゴジラ』を火付け役としたたくさんの海獣映画が作られて、その中じゃ東京タワーがどんどこ壊されていたらしい。福岡タワーが壊されたのも、そういう感じなのだろうか。とにかく、それくらい僕ら戦後世代には分からない話だってことだ。
まあ、肝心の東京タワーも空爆のせいで写真の中の存在になってしまっているわけだけど。
コテツがリードを引っ張ったので、僕は散歩を再開した。
公園の池をぐるりと回って大通りに抜けると、やたらと機動隊の輸送車両が並んでいた。通りを挟んだ向かい側に、宮殿のような外観をした外務省がある。左に折れて宮殿の前を通り抜けようとすると、完全武装の隊員に、君、と呼び止められた。
「すまないが、この建物周辺は通れなくなってるんだよ。例のアレでね」
「ああ……」
僕は改めて通りの向かいを見た。
片側三車線のだだっ広い道路の向こうに、煉瓦造りの宮殿が、オレンジ色の光を燦燦と放っている。僕に関係のない人たちが、僕たちの生活を、僕たちの世界を決めている。理不尽の窮極の原因が目の前にある。いつもは意識しないのに、こう言う時だけヘンに思考が回ってしまうのだ。僕は少し目を細めて、機動隊員に向き直った。彼も退屈そうに宮殿を見ていた。
「そうでしたか。すみません」
「こちらこそ悪いね。向こうの方に行くんなら、公園の中を迂回してくれるかな」
彼は肩を竦めながら公園の方を指さした。わかりました、と僕は頭を下げて、もと来た道を引き返すかたちになった。
公園の中はさっきより閑散としていた。十分も経っていないのに、示し合わせたように人が一斉に動くのだから不思議なものだ。僕は遊具のエリアに入って、ベンチに腰を下ろした。流石にこの時間に子供たちはおらず、僕とコテツだけだった。
遠くから警察のサイレンが鳴り響いてきた。
あわせて飛び交う怒号が虚空に木霊している。機動隊員たちのものだろう。
何か事件でも起きたのだろうか。こんな時代だし、それに外交の場だ。戦争の話になっていなければいいのだが。
僕の心配を見透かすように、ざざっと落ち葉を踏んで走る足音がした。僕が振り返ると、金網の向こうに女の子が立っている。女の子だと分かったのは、遊具のエリアの角に立っている街灯に照らされていたからだ。
顔を見る限り、僕と同じくらいの年齢だろうか。
服装は、鮮やかなブルーのパンツスーツ。普段着でも、学校の制服でもない。……外交パーティの関係者、だろうか。




