but where were you?
八月十一日、午前八時四十七分。
熊本市街のとある廃ビルを爆心地として、新型の強力な攻性電波が展開された。半径およそ六十キロメートル、西は長崎県諫早市、南は熊本県天草市、八代市を超えて人吉市の一部、東は宮崎県高千穂町、大分県日田市、そして北は福岡県久留米市、佐賀県鳥栖市、佐賀市に至るまでの地域が、約三〇秒間にわたり、この強力な電波に晒された。
人々のBCIの防御壁は一瞬にして突破され、攻性電波に対抗するためにCPU内で増殖を続けるトラフィックにより、機器の基盤は瞬く間に熱暴走、脳神経はねずみ算式に増加する膨大な情報に耐え切れずにショートし、脳機能は甚大なダメージを受けた。
少なくとも三百万の人間が死に、少なくとも五百万の人間が脳機能に後遺症を負った。陸軍会議に参加していた高官たちは、もちろん全員が死亡した。
この事件は無差別大規模テロと認定されたが、警察、内閣府情報調査局、陸軍情報部を総動員してもなお、その捜査は遅々として進まなかった。爆心地以外の情報が、*何も得られない*のである。証拠が何一つとして見つからなかった。犯人もしくは犯行グループの足跡も、指紋も、髪の毛一本、唾の跡にいたるまで、*何も、なかった*。
それが「敵」によるものだと、ほとんどすべての人が信じていた。
メディアもSNSも、しびれをきらした人たちの過激な言説で満ちていたものの、何もないものは何もない。およそ一年が経ち、事件の管轄が完全に警察に移り、「未解決事件」として扱われるようになると、いよいよ巷間の話題に上がらなくなった。
事件はすでに、警察の捜査ファイルの一ページと化していたのである。
やがてこのテロは、こう呼ばれるようになる。
――「悪魔の一突き」。




