3-5. clear of weather, resuming own navigation direct 32, 130.
「……ふうん。人の気持ち……かあ」
「そう。まるで分かったためしがない。『きっとこういうことを考えているのだろう』という予測は立つけれど、その考えに至る気持ちの予測が当たったことがないんだ」
僕と乙姫は隣に並んで歩く。宿舎の明かりが遠くに小さく見える。一応、琳に告白された身として、すぐに目につくような場所にいるのはまずいと考えてのことだ。
乙姫は長袖のジャージを羽織っていた。夏とはいえ肌寒いのだ。一度戻ってジャージを取ってくればよかったな、と僕は少し後悔した。
「考えすぎなんじゃない?」
出し抜けに乙姫は言った。思わず僕の脚が止まる。
「そんなこと初めて言われたよ」
「だろうと思った。考えすぎなんだよ、宗像君は。屋上であの話をした時から、思っていたんだけれど……」
「君はとてもやさしい人だよ。自分が思っている以上に、他の人のことを考えてくれている。私や、琳ちゃんや、馬術部の皆……それから、同じクラスの人たちのことも」
「そんなつもりは全くないけれど」
「無意識だから当然だと思う。でも、君はやさしすぎるんだ。優しいのは良いことだと思う――でも、優しさは冷たさと表裏一体だよ」
乙姫はそう言うと肩を竦めた。彼女は僕が腕を伸ばしても届かないくらいの位置にいる。優しさと冷たさ。何となく言わんとすることは分かる気がする。
誰かに優しくなれるのは、その人が望むことを、してほしいことを、頭で理解できるから。
頭で理解できるのは、その人が僕の世界にいない存在だから。僕と関係のない人だから。僕の人生にこれから関わることがほとんどないと分かっているから。僕とその人の間には、絶対的な距離があるから。
だから、優しさとは冷たさの裏返しでしかない。
「君は優しい――優しいからこそ壁がある。その結果、自分の気持ちや考えに素直になって、思ったことややりたいことをストレートに表に出せないんだと、私はそう思う」
「……恐れ入ったね。軍人じゃなくて心理カウンセラーでもやったらいいんじゃないか」
「私は情報部よ。そのくらい……ま、とにかく、自分に素直になってみたらいいんじゃない。その結果どう思われるのかは分からないけれど、でも、君の心がどうなのか、その方が大事じゃない?」
「僕の心――か」
僕は乙姫と向かい合ったまま、ふと空を見上げる。厩舎や宿舎の明かりがすっかり遠くに離れてしまった分、よけいに星々が明るく見える。東の空に夏の大三角形がある。南に下るといて座があって、さそり座があって、その上にへびつかい座が浮かんでいる。そのまま西の方に目を向けるとてんびん座におとめ座がある。
僕はこの空が好きだ。母に教えてもらった星空が好きだ。
僕はこの大地が好きだ。馬たちが好きに駆け、好きに食み、好きに寝転ぶこの大地が好きだ。
僕はこの世界が好きだ。BCI越しにつながる電脳空間と、肉体が存在している現実世界の間で揺れる、この奇妙な世界が好きだ。
「……ありがとう」
僕は言った。この感謝は、さっき琳に対して言ったものとはちょっと違う。僕が僕と向き合うためのきっかけをくれた、そのことに対する感謝だ。
「いいんだ。私自身としての私は、宗像君が宗像君らしくいてくれるのであれば、それ以上のことは望まない。もちろん、軍人としては――違うことも考えているけれどね」
「――そのことなんだけど」
僕はのどにつっかえた小骨を吐き出すように言った。自分の気持ちに、自分の考えに素直になるのがこれほど恐ろしいとは思わなかった。自分の弱さに内心苦笑しながら、僕は素直な考えを口にする。
「僕に、手伝えることはあるか」
僕はこの世界が好きだ。だから、この世界を守ろうとする乙姫の戦いは、僕の戦いでもある。
「戦争を止めるために、手伝えることがあれば、僕も力を尽くしたい」




