3-6. Pan Pan, Pan Pan, Pan Pan, Fukuoka Center, engine number 2 failure, request descend to FL200.
私たちが寝泊まりしている宿舎は、厩舎からそう離れていない。とはいっても、裏側をぐるっと回って、掃除道具や馬具や筒香さんが乗っているトラクターなんかを仕舞っている倉庫を通り過ぎて、二、三分歩くくらいの距離はある。
だから、私がその話を聞いたのは偶然ではあったけれど、ある意味では必然だった。
倉庫の扉がわずかに開いていて、土の上に細い光の道ができていた。
誰か消し忘れたのだろうか。もしかしたら先輩かな、今日飼葉当番だったらしいし。
先輩、といえば――。
「だめだったなあ、やっぱり」
宗像先輩に告白した。
フラれ――ては、いないと思う。とはいえ、オッケーももらっていない。
此処だけ聞くと先輩は悪い人だ。でも先輩は悪い人じゃない。答えを出せないと、そう言っていた。
思えば先輩は、ずっとそう…………気持ちというか、心というか、あまり表に出さない気がする。すぐ顔に出てしまう私とは正反対だ。そんなところに惹かれたのかな、私。
とにかく、ダメなものは駄目だった。でも諦めたわけじゃない。これから先輩の気持ちにアクセスできるようになればいいだけだしね。
私は点けっぱなしの倉庫の明かりを消して宿舎に戻ろうと考え、扉に手を掛けようとして、
「――駄目だ」
中から声がした。
「…………なぜですか」
もう一人の声がする。怒りを押し殺したように低く唸る声。私はその声に聞き憶えがあった。
――もしかして、浮羽先輩?
気づけば私は聞き耳を立てていた。行儀の悪いことだと分かっていても、倉庫の壁にぴったりと背中を付け、できるだけ話が聴こえるようにする。なぜそうしているのだろう……なぜか、そうしないといけない気がした。
「こうしている間にも、奴らは着々と準備を整えています。あなただって見たでしょう、この間のニュースを? 華南とのパイプはほぼ失われたと言っても過言じゃありません。ここはすぐにでも動いて、奴らの手筈が整う前に一度叩くべきです。それに、あの乙姫とかいう転校生もそうです。あいつは軍人ですよ。あいつがわざわざ新潟から福岡に来た目的の一つには、絶対に我々の調査も入っているはずです。このままでは……」
「焦るな、恵。心配するのは分かるが、ヘタに動けば我々の動きが軍にバレてしまう。私がここまでずっと戦ってこれたのは、時期と場所を適切に見極めてきたからだ」
「そりゃ、筒香さんはそうかもしれませんが……っ」
筒香さん! 浮羽先輩と筒香さんが話をしている。それも、華南国とか……まさか、戦争の話を? しかも、浮羽先輩は「華南とのパイプ」とか、筒香さんは「動きが軍にバレる」とか言っている……何か、企んでいるのだろうか。
怖いもの見たさが勝った私は、そっと扉の前に立ち、数ミリの隙間から中を覗き見た。
嫌な予感ほどよく当たるものだ。中には筒香さんと浮羽先輩の二人が、パイプ椅子に腰かけている。
「とにかく焦りは禁物だ。乙姫の方も気にするな、従軍学生なんてのは軍が昔から使っている手法の一つにすぎん。」
筒香さんは手を振って浮羽先輩の話を遮るように言った。
「計画にブレはない。忘れるなよ、放生会の初日だぞ。今年は元寇から何百年だとかの記念だってんで幕僚が来ると聞いているからな……」
「……はい。拠点は三カ所、ですよね」
「ああ、油山、若杉山、志賀島の潮見公園。三方から同時に、筥崎宮一体に向けて攻性電波を流す。奴らをここで確実に潰す。運の悪い人間がついでに一万人程度死ぬ試算だが、世界のために必要な犠牲だ」
私はあっと声を上げそうになり、慌てて口を両手でふさいだ。
彼らの話が冗談でないとしたら、私は……私は。
テロ計画を聞いてしまった。
しかも、人々を巻き込む計画的なテロだ。筒香さんも浮羽先輩も、「敵」の一部なんだ。よろよろと後ずさった私は、蛇口の傍に置いてあったバケツに気づかず、思い切り蹴ってしまった。ガラガラと音がなり、私は思わず心臓がとまりそうになる。
ヤバい。話を聞いていたことがバレたら、どうなるか……
「イッタァ~~~…………」
とりあえず中まで聞こえるくらいの声量で、できるだけ自然に。アイドル研修生の演技力を生かす時だ。木製の扉がガラガラと開いた。
「何してんだ、琳? そろそろ消灯時間だろう」
浮羽先輩は半分呆れた顔で聞いてきた。どこかぎこちない様子が、残りの半分を占めている。多分、さっきの会話を私に聞かれていないか、という警戒だろう。先輩こそ何してるんですか、と言いかけたのを飲み込んで、そのぉ、と私は頬を掻きながら言う。
「こんなにきれいな星空なんて見れないから、ずっと空ばっかり見て歩いてたら躓いちゃいました、タハハ……」
「あいかわらずそそっかしいやっちゃなあ。気持ちは分かるけど気を付けろよ。それに明日も早い。俺もここの片づけが終わったら寝るから、琳も早めに寝ること」
「……浮羽先輩って、たまに先生みたいですよね」
「香春先生があんなんだからな」
浮羽先輩は肩を竦めた。私も立ち上がり、失礼します、とだけ言って、宿舎への道を急いだ。
……その道すがら、私の中では二つの考えが渦を巻いていた。
つまり、侑里ちゃんにこの話をするか、しないか、だ。いや、四つの考えかもしれない――侑里ちゃんに話すか、話さないか、宗像先輩に話すか、話さないか。
話さなきゃ、という考えが第一に浮かばないのが恐ろしい。でも、どうして話したくない自分がいるのだろう……私たちの世界が、生活が、脅かされそうとしているのに?
宿舎に着くと、玄関の明かり以外部屋の明かりはどれも一切点いていなくて、全てがひっそりとしていた。深江先輩は、もう寝ているだろう。自分の練習に加えて侑里ちゃんの練習にも付き合わされててヘトヘトだったみたいだし。宗像先輩は戻っているだろうか。
戻ってたら、やっぱり話した方がいいよね。でも、男子部屋をノックして、いなかったら? すっかり寝てしまっていたら?
――やっぱり、明日話そうか。
けれど、と、私の脳内に反論が過る。
もしも先輩に話して、信じてくれるだろうか。
「浮羽先輩と筒香さんは敵に内通してます。証拠はないですけど、話を聞いたんです。信じてもらえますか?」
多分、ない。もし仮に、宗像先輩が信じてくれたとしても、浮羽先輩と筒香さんが認めるはずがない。そうしたら、私はどうなるだろう? 部内で浮いたり、変な目で見られるようになったり、最悪の場合ヘンな噂を流されたりしたら……私は、馬術部にいられなくなってしまうかもしれない。
靴を脱いで玄関を上がる。廊下を歩くたびに床板がギィギィと鳴るのがやけに大きく聞こえる。
やっぱり侑里ちゃんに話そう。もう寝てるかもしれないけれど、明日話せばいい。もとから軍人さんだし、たぶん上手いこと調べたりしてくれるはずだ。私と宗像先輩は何もしなくても大丈夫だろう。
……いや、私は何もしなくてもいいかもしれない。けれど宗像先輩はどうだろう。侑里ちゃんがわざわざ秘密を共有していたくらいだ。宗像先輩は侑里ちゃんの仕事を手伝うことになるかもしれない。
私は部屋の障子を開ける。月明りが私の影を部屋の中に落とす。二つの布団が並べて敷いてある。侑里ちゃんは部屋にはいなかった。
そうなったら、侑里ちゃんと宗像先輩は、いやでも距離が近くなってしまうに違いない。そうしたら宗像先輩は、今以上に、私からの距離が遠くなってしまう。それは、世界にとってはいいことなんだろうと思う。
でも、私は――私は、嫌だ。
「最悪だ、私。こんなときでも……」
言葉になった無意識のぼやきは宙をしばらく彷徨って、私の意識の外に消えて行く。結局、平和とか戦争とか社会とかいうことよりも、好きな人の方が大事なんだ。
パジャマに着替え、布団をかぶる。そうして、侑里ちゃんの方に背を向ける。
決めた。
たとえ、「敵」側の人間と疑われても良い。私は私の恋を実らせたい。それが、今の私の一番の目標だから。
何度か深呼吸をすると、眠気の波が私を包み始める。私はそのまま、疲労と眠気に身を任せた。




