3-3. experiencing moderate turbulence FL350, request lower level.
そうか。この非現実感とでもいおうか――手の届かない、果てしなく遠くに存在するものは、無心に眺めることができる。手に届く範囲のことに意識と注意を向けてきた僕にとって、それはまったく現実ではないが、けれども、現実として、そこにある。僕は、ただ無心で、心の赴くままに、夜空を眺めることができている。
「――琳」
「は、はい!?」
「ありがとう」
「な、何がですか?」
「いや……」
ふとこぼれた感謝に彼女は困惑している。そりゃそうか。僕は肩を竦めた。
「来年の合宿、もっと大人数で来れたらいいな」
「――先輩」
「なんだい」
「私、先輩のことが好きです」
僕は耳を疑った。彼女は何と言った? 聞き間違いでなければ、僕を――
――いや、ありえない。だってまだ出会って半年も経っていないんだぞ?
「…………今、なんて」
「好きです、先輩のことが」
……聞き間違いでは、なさそうだった。ぐらりと揺れかけた視界を、大きく息を吸って取り戻す。
「私を先輩の彼女にしてください」
が、琳はさらに僕に追い打ちを掛ける。
ザリッと足元のコンクリートを踏みしめる音がする。左の上腕のあたりにそっと触れる何かを感じて、僕の身体は硬直した。琳の肩だと思う……が、顔を動かすことができない。首を動かそうとすると、釘か杭でも打ち込まれたように、ギシギシと軋むばかりだ。
軽やかな音を立てて、草原を風が通り抜ける。夏の夜だというのに風が冷たくて、僕は思わず身震いする。でも、おかげで頭が冴えた――琳は、今、僕に恋心を打ち明けた。僕に対する恋心を。
さまざまの思いが去来する。
わからない。
真っ先に脳裏を過ったのは、その五文字。
こうして口にしてくれているのだから、ありえない話ではなくなった。しかし、わからないのは、なぜだろう、ということだ。
僕にどこか惹かれる要素があったのだろうか。
あるいは――罰ゲーム、とか。でもその線は薄いと思う。琳と乙姫がそんな子供じみた遊びをするとも思えない。それに、罰ゲームとして同じ部内の人間に告白するなんて、意地の悪いこと極まりない。
だから、彼女の真意が分からない。
もう一つ分からないことがある。
僕はどうすればいいんだろう、ということだ。
よく恋愛漫画やドラマや小説の中では、告白された側は必ずと言っていいほど、一言目に「ありがとう」と言う。なぜ感謝しているのだろう? 行為を向けられたことに対してなのか? 相手の一方的な感情に巻き込まれた当事者は、なぜ「ありがとう」と言えるのか――
「――先輩は、どう思いますか、私のこと」
僕の思考を遮って、琳は追い打ちを掛けるように言う。
「どう、って、それは――」
僕はうろうろと言葉を探した結果、
「――いい後輩だと、思っている」
月並みな表現しか出てこなかった。
琳。苅田琳。中等部二年。馬術部マネージャー。アイドル研修生との噂。得意科目、体育、英語(意外なことに)、数学。苦手科目、国語。友人はあまり多くないと聞いている。噂が本当ならば、練習で忙しいのだろう。最近乙姫と友人になった。
「琳」
「――はい」
ここまで考えて、僕は結論にたどり着く。
「僕は、琳が確かに好きだ」
「じゃあ……!」
「けれど」
僕は琳が二の句を継ぐ前に言う。
「それは恋愛じゃない――後輩として、だ。僕は琳を恋愛対象として見れるほど、知らない」
「知らなくてもいいです、今は……これから先輩が知ってくれたら、私は」
「うん、それはそうだと思う――でも、なぜだろうな。できないんだ」
「……ほかに、好きな人がいるんですか」
僕は首を横に振った。
「いや、そうじゃない。でも…………僕は、誰かに信頼を置くことはあっても、心からの手放しの恋愛感情を向けることは、できないんだと思う」
「そんな……どうして」
「……多分、好きな人を好きでいられなくなることが、怖いんだと思う」
「『悪魔の一突き』のせいですか、もしかして?」
「かもしれない。でも分からない。僕は恋愛をしたことがない。ううん、大昔にあったかもしれない……けれど、僕は誰かを、恋心を持って好きだと感じた記憶が、ほんとうにないんだ。だから――答えられない。イエスでも、ノーでもない。わからない。だから、答えが出た時に言わせてほしい」
「…………わかりました」
琳が僕の傍から離れるのを感じる。そしてまた、足元のコンクリートがザリッと音を立てる。彼女は回れ右をして、離れていく――
「琳」
彼女が振り返る。僕はこれだけは言わなければいけないと思った。
「ごめん」
「――ありがとうございます。言ってくれて、嬉しいです」
彼女が笑っているのが、暗闇の中でもわかった。そうして、また、歩いていく――一歩ずつ。歩みは少しずつ速くなり、やがて、駆けて行った。
……と、視界に受話器のアイコンがポップアップする。乙姫からだった。僕は中空の受話器をスワイプして、電話を取る。
『…………罪な人だね、宗像君って』
「――聞いてたのかよ。行儀悪いぞ」
僕は嘆息した。告白される場面を第三者に見られるのがどれほど居心地の悪いことか、僕は思い知った。
『ごめん。窓から星がよく見えたから、外に出たんだ。そしたらたまたま……』
「どこから聞いてた?」
『――へびつかい座を教えたあたりから』
じゃあ、僕と琳のやりとりの核心は、乙姫に丸々全部聞かれたというワケだ。僕は今一度大きなため息をついた。
「乙姫、ちょっとこっちに来いよ」
『なに?』
「相談があるんだ」




