3-1. Fukuoka Center position
「よォし、皆乗ったな?」
うぇーい、という気の抜けた返事が車内に満ちる。はいはーい、と一番後ろの座席で威勢良く手を挙げたのは琳だ。
「あとどれくらいで着きそーですか、先生?」
「玉名から先は比較的空いてるから、ここからだと一時間くらいかな」
「そうか、琳は初めてなんだっけ、合宿」
「今年の春に入部したのをすっかり忘れてたよ」
僕と恵が振り返りながら言うと、琳はなぜか誇らしげにふふんと鼻を鳴らし、
「そーですよー。ついでに言うと侑里ちゃんも初めてですっ!」
と、乙姫の肩を抱き寄せた。
「……なんだか不思議な気持ちですね」
乙姫はゆっくりと琳の腕を解きながら言った。
「私なんてほんの二か月くらい前に入部した人間なのに、こうやって合宿に参加しているなんて……家族みたいっていうか」
「入部した時点で侑里ちゃんはうちらと家族だよっ! 家族と言えば旅行でしょっ!」
はしゃぐ琳に、合宿と旅行は別物じゃないかと内心訂正を入れる。……隣で口を尖らせている恵も同じことを考えていると思う。
「ま、夏合宿は馬術部の恒例行事だからねえ。この時期が近づくと、牧場と日程調整するのが普段の激務の合間の唯一の楽しみなんだ」
香春先生は口笛の隙間で楽し気に言った。
「……いや、恒例行事って言っても五年前からだし、そもそも巧馬さんのおかげじゃないッスか」
助手席の達也が冷静に入れた突っ込みに、先生はうへえと舌を出す。
「達也ァ、そこは空気読んでほしかったなあ」
「空気読むとデタラメ言い出すから止めたんッスけど」
「恵に巧馬ァ、後輩の教育どーなってんの?」
えーっと僕らは口をそろえて反抗する。
「達也の言い分におかしなところないし……」
「そうそう。巧馬が偶然持ってたコネで始まった行事ですからねえ、そりゃ先生には日程調整とかしてもらって感謝はしてますけど」
「二人に言ったのが間違いだったか」
先生は再びガックリと肩を落とした。入れ替わって、
「宗像君、牧場とつながりがあるの?」
と、後部座席の間から乙姫が顔を覗かせる。まあね、と僕は肩を竦めた。
「つながりっていっても、死んだ親父の友達だよ。何かとよくしてくれてるんだ」
「巧馬さん家、スーパーハイスペックな家系ッスもんねえ」
「そうなの?」
「あれ、クラス同じだけど知らなかった?」
恵が乙姫を振り返る。恵と乙姫は、少しずつではあるが「普通の」会話ができる程度の関係性は築けているように思う。彼女について、僕の口から何度も心配ないと話したのもあるだろうし、恵も大人なところはきちんと持っている。個人的な感情と、部員として実際に関わる彼女本人については切り分けることにしたのだろう。
「うん。今までそういう話をしたことはなかったし……」
「びっくりだったよ、最初に聞いたときは。親父さんと叔父さんは国防陸軍官僚、お袋さんは薬剤師」
どんな奇跡だか、と恵は肩を竦める。
「親父もお袋も、どっちも死んだけどね」
「……そうだったんだ。私、何も知らなかったな。ご両親が亡くなっていたのも含めて」
「大したことじゃない。もう五年も前の話だから」
「そう……」
乙姫は沈んだ顔で相槌を打った。僕としては本当に、すでに何にもないことなのだ。確かに親父とお袋が急に僕の世界から姿を消し、叔父夫婦の下に引き取られることになった時には、僕の感情は戸惑いと悲しみに満ちていた。けれど、叔父夫婦も僕を変に気遣わず本当の二人の子供の様に扱ってくれたし、それが結果的に僕と花穂の傷を癒すのを速めてくれた。
世間的に見れば大したことなのだろうが、僕は既に克服しているのだ。
――と、言ってみても、これは実際に感覚している僕にしか分からないことだ。
気遣いありがとう、と僕は言った。
「――そういえば、白石牧場の牧場主さんもどえらいハイスペの人なんだよな」
恵が沈黙を破るように言った。
「ああ。親父と同じ職場だったよ」
「ホント、巧馬ん家ってとんでもない人たちだらけだよな」
香春先生もまた呆れたように笑う。うーん、と乙姫がまた思案顔になる。
「……その白石さんって人、どんな人? 私、まだ乗馬初めてに二か月も経ってないけど、大丈夫かな」
「あれ? 巧馬、言ってないの?」
「ごめん、僕も今思い出した」
恵は目を丸くして僕に問う。大事なことを忘れていた。その人は確かに白石牧場の牧場主だが、実際の名前は白石ではない。困惑している乙姫に、僕は言う。
「筒香さんっていう人だよ、牧場主は」
◆
筒香さんが僕らの家を訪ねてきたのは、僕ら兄妹が叔父夫婦の家に引き取られてしばらくたった頃だった。僕はなんとか試験を突破して掛笠中学に入り、花穂もまた今までと同じように小学校に通っていた。
中学最初の夏休みを迎えようとしていた七月の中頃、入院先の病院を退院した筒香さんは、何とかして僕に会えないかと、いろいろなところに聞きまわったらしい。それで、僕の父の弟――つまり叔父の名を見つけ、もしかしたらと思って訪ねて来たのだと、筒香さんは言った。
「よく見つけましたね」
僕は素直に驚いていた。
「私も元官僚だからね、顔が利くこともある。仕事がいやで官僚をやめたのに、皮肉なもんだ」
「ていうか、なんか、ヘンな言い方ですけど……生きてたんですね、筒香さん」
「たしかにヘンな言い方だ」
すっかりやせこけた顔の髭を震わせながら、筒香さんは笑った。解放された掃き出し窓の網戸から入って来る陽の光とセミの声で、応接間はすっかり夏の様相を呈している。首を振る扇風機の風が、定期的に僕らの服を波打たせた。
あの日――九州の大半が「悪魔の一突き」に見舞われた日、筒香さんは僕たちと同じく、草千里ヶ浜に立っていたはずだった。
「攻性電波が展開されたときに、わずかに響くノイズがあるだろう? 私はそいつに敏感な体質でね……ちょっと胡散臭いかもしれないが、到達直前に弱電波を感じるんだよ。それで、ぎりぎりBCIの電源を落とすことができたんだ」
「初期微動みたいなもんですか、地震の」
「そんなところかな……だから、運が良かったのかもしれん。何日か前に退院してきたんだけど、幸い脳に後遺症もない。私はこの体質に四十数年悩まされてきたが、初めて役に立ったよ。逆に、君のお父さんは気の毒だった。彼はもとから身体が頑健だったから……それが仇になったのかもな」
筒香さんは昔を懐かしむように麦茶を口にした。しばらく沈黙が流れた――僕は正直なところ、筒香さんが何を目的に僕らの家を訪ねてきたのか、その真意を測りかねていた。困惑する僕の表情を読み取ったのか、筒香さんは苦笑して軽く咳払いをした。
「いや、すまない。君の顔を見ていると、どうにも良爾のことを思い出してしまってね。つい昔話をしてしまった。私が今日ここに来たのは別の理由だ」
良爾とは僕の父の名だ。巧馬君、と言ったときの筒香さんの顔は、ただの優しい大人の顔ではなかった。苦難を目の前にした者が、ともに苦難を乗り越えようと心に刻むときの、唯一の力強さがあった。
「君の学校の馬術部で、ウチの牧場に遊びに来ないか」
筒香さんの粋な計らいで、僕ら掛笠高校馬術部・附属中学馬術部は、筒香さんの牧場を自由に使わせてもらうことになったのだ。
◆
だだっ広い砂利敷きの駐車場に降り立つと、冷風が吹き抜けた。
不思議な土地だ、と来るたびに思う。周囲が全て平坦なせいで、目の前に聳え立つ山が実際以上に巨大なものに見える。加えて、阿蘇の山麓は木々に覆われていない――地面がむき出しになっているか、高さの低い草木に覆われているかのどちらかだ。だから、車窓からずっとずっと遠くまでを見晴るかすことができる。
鬱蒼とした森の中を走るよりは、突き抜けた草原の中を走る方がはるかに気持ちいい。それは間違いない。だけれども、視界が開けているからこそ、自分の見ているこの景色と、自分の立っているこの足元が、どこまでも続く世界と地続きになっているという事実を僕に気づかせる。それを自覚するたびに、僕はなんてちっぽけな存在なんだろうと思わされる。
昔――それこそ、僕が父と母を失う直前の一瞬。僕は、ミンネゼンガーの背の上から見える景色を、ただ美しいと思い、そして、それを毎日のように眺めている彼女を羨ましいとさえ思った。でもあの日を経て、阿蘇という地は、僕に存在価値と実存の意味を突き付ける、裁判所のような場所へと一転した。
この場所が僕に突き付ける問いは、草原を馬に乗って駆ける楽しさと同じくらいの大きさで、僕の心にのしかかる。
「――くん。宗像君」
「……ああ、ごめん」
いつのまにか、乙姫が隣に立っていた。
「大きいねえ」
「……そうだね」
僕らの前には、山並みが壁のように広がっている。深い緑の合間で、黄土色の山肌が顔を覗かせていた。行こう、と乙姫にうながされて、 僕はその場を後にした。
「やあ、待っていたよ」
厩舎の前で待っていた筒香さんは軽く手を挙げた。向こうの厩舎では、何人かが甲斐甲斐しく馬の世話をしている。牧場独特の匂いに、思わず胸が高鳴る。どうも、と香春先生が前に出た。
「今年もお世話になります、筒香さん。先に荷物を降ろしても?」
「どうぞどうぞ。去年、離れの方を大きくしたんでね。これまで以上に広々と使ってもらえるでしょう。それから……」
筒香さんは僕の方を見た。察した僕は、隣に立っていた二人を紹介した。
「今年入部した二人です。乙姫侑里と、マネージャーの苅田琳」
「よろしくお願いしますっ!」
「よろしくお願いいたします。乗馬は少し前に始めたばかりなので、何も分からない状態ですが……」
「いや、そういう人たちは大歓迎だよ」
なにしろこんな時代にわざわざ馬に乗りに来る人はいない、と自虐しながら、筒香さんは鷹揚に笑っている。
「二人とも阿蘇は初めてだと聞いているし、まあゆっくり楽しんでおくれ。それから、巧馬君に恵君、達也君。例年通りで済まないが、厩舎の掃除を手伝ってくれるかい」
「私も手伝います。ただお邪魔するだけというワケにもいかないので」
「はいはい! 私もやります!」
と、乙姫と琳が次々に名乗り出て、ありがたい、と筒香さんは帽子を被りなおした。
「ようし。みんなにはしっかり手伝ってもらおうかな。そのぶん、ウチの奴らが飛び切りの飯を作ってくれるさ。なあ、お前ら?」
振り返った向こうで、何人かの男の人たちが手を振って応えた。馬を驚かさないよう、大声を張らないようにしているのだろう。
僕らはその日の午後、全員で厩舎の掃除を手伝った。馬房の寝藁と水桶の水、飼葉を取り替え、馬糞を外に掃き出す。日の沈む前に軽く馬に乗ったが、移動の疲れもあいまってか、消灯時間になるとすぐに、僕らはすぐに眠りに落ちた。




