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空と陸の共震  作者: 有明 榮
プロローグ

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2-7. Resume own Navigation direct P001.

 陳はにやりと白い歯を見せて笑った。右の眉と左の口角が吊り上がった、お世辞にも爽やかとは言い難い、先ほどまでの柔和な物腰とは全く異なる歪んだ笑み。

 その時初めて、僕はこの男の邪悪で狡猾な性質に気づいた。彼は僕のことなど見ていない。僕の首元の電子機器を欲しているのだ。

「なぜ僕なんですか」

「君が知る必要はない。私は君の協力を取り付けられれば、それ以上のことは望まない」

「協力って、なにをするんです」

「機密事項なのだよ、今はまだ。君の首元のソレが非常に大事なのだということだけは教えておこう」

 僕はふんと鼻を鳴らした。

「――いやだ、と言ったら」

「手荒な真似はしたくないんだよ。特に、隣の女の子は今のところ無関係の人民だしね」

 陳の黒目がちらと動く。自分で攫っておきながら、ぬけぬけと琳を交渉の材料にしやがる。

「先……輩。誰と……話してるんです?」

 琳がよろよろと身体を起こす。ブラウスのボタンの上から三つが外されていて、彼女の白い肌が覗いている。陳が彼女を見て、お返しのように鼻で笑う。その瞬間、液体窒素でも流し込まれたかのように、僕の頭が急激に冷える。

「答えになっていませんが。彼女は無関係でしょう」

「答えているじゃないか」

 やはりそうか。僕は言ってやった。

「さっきの言葉、そっくりそのままあんたにお返ししますよ」

「と、いうと?」

「あなたも同じじゃないですか、その何とかっていう人と。結局力づくで奪い取ることしか考えていないんだ」

「……何が言いたい」

 陳は僕を値踏みするように、すっと眉を細める。軍人なんてこんなもんだ。哀しい笑いが思わず込み上げてくる。脳みそと筋肉にこれでもかと書き込まれたペラペラの「正義感」のレーダーによって、他人が行使する暴力には人一倍敏感になっているくせに、自分たちが抱えている潜在的な加害性と暴力性には驚くほど無自覚なのだ。強者の論理で思考回路を規定し、五体一心完全満足で世に蔓延り続ける奴は、何かを喪ったり、どこかに何かを落としてきた弱者の視点を理解しえない。想像はできるかもしれないが、それはあくまでシミュレーションだ。古典科目の期末試験でいい点を取った奴が、平安時代の言葉に沿ってものを考えないのと同じように。

「僕は『協力するのはいやだ』と言っているんです。日本語、わかります?」

 僕はついっと顎を突き上げた。陳の癪に障ったようで、彼は小さく舌打ちをする。愉快だった。

「口を慎んでもらおうか。対テロ安保国際法に基づき、君を今すぐ連れて帰国することも可能なんだけれどね――僕らの国は、平和主義の民主国家だ」

「あらそう?」

 頭上のガラス窓が割れる。パラパラと降り注ぐ破片に、僕は咄嗟に琳に覆いかぶさる。

「外だ、撃てッ」

 陳が背後に飛び退りながら命じ、背後の黒服が拳銃を抜いて発砲する。弾は僕らの頭上を通り過ぎて、ガラス窓の欠片を反対方向に飛ばす。

 発砲が止むのに合わせて、窓の外から銃声が連続して木霊する。二人の黒服が手元と膝から鮮血を迸らせて崩れ落ちる。声の主はひらりと僕らの前に躍り出てわずかに屈むと、陳が銃を抜く前に跳躍を一つ――

 ――その瞬間、彼女は陳の目の前に浮いていた。

 速すぎる。まるで見えなかった。瞬間移動でもしたかのように、五メートルはありそうな距離を、瞼を閉じて開けた時には、一気に詰め切っていた。

 振りぬいた彼女の脛が、陳の喉を捕えた。

 生身の人体では到底出し得ないような速度を乗せた一撃。

 潰れたカエルのような呻き声を上げながら、陳の身体は二、三度床を跳ね、転がり、沈黙した。

「大丈夫?」

 僕たちの救世主は――乙姫は、陳が動かなくなったのを確認して、僕らの元へ駆け寄ってきた。

「――君は」

「話はあと。出るよ」

 言いながら彼女はブラウスの左の袖口からナイフを出すと、僕の手足を縛るロープをテキパキと切る。どこから取り出しているんだという疑問は後回しだ。

「……乙姫、さん?」

 琳の声は震えていた。

「そう。私は乙姫。さっきぶりだね、苅田ちゃん」

 乙姫は同じく琳のロープを切り終えると、ナイフを仕舞って彼女のブラウスのボタンを留めてやる。

「怖かったでしょう。これから帰るよ」

 優しい声でそう言って、乙姫は琳の額に軽く唇付ける。行くよ、と言う乙姫の声に導かれるように、僕らは腰を上げた。

「出るって、どこから」

「私が道を開ける。二人は走ってついてきて」

 言うなり彼女は倉庫の出口に向かって一直線に走り――

 アルミ製と思われる金属の扉を蹴破った。先ほどの銃声と扉を蹴破る轟音に気づいたのか、集まっていた何人かの黒服の連中が一斉に乙姫に躍りかかる。

 殴りかかる一人の拳を払う。脇の下から繰り出した裏拳で反対側の一人を打倒す。いなされて体勢を立て直したた男の後ろから飛んでくる拳を身を捻って躱し、その勢いで竪拳を鳩尾に打ち込む。

 前のめりに倒れる男を軽々と前に放り投げ、驚いて隙ができた二人の内の片方へと、投げた男の影から躍り出て前蹴りを叩きこむ。

 着地の腕を取られたが、素早く相手の懐へ背中を押し当てて背負い投げを決め、追撃の一発を喉元に打ち込む。男はぐったりと手を離した。

「……あの人って、乙姫さん……ですよね……?」

「僕たちの頭がイカれてなければ、そうだと思う、たぶん」

 夕焼け空を背に、乙姫は凛と立っている。少し遅れて出てきた僕と琳がぽかんと見とれてしまうほどに勇ましい。彼女が振り返る。

「行こう、こっち」

 手招きする乙姫の方へと向かった矢先、ガガガッという音と共に、銃弾が僕らと乙姫の間を割ってアスファルトを削る。

「短機関銃(サブマ)かっ」

 乙姫は苦い顔で錆びきったフォークリフトの影に隠れる。僕は琳を脇に抱えて、乗り捨てられた車を盾にするように飛び退った。

「……どうしよう」

 僕は助けを求めるように乙姫を見る。

「あまり殺したくはないんだけど、拳銃じゃなあ」

 乙姫が左の袖を捲り上げ、手首を掴んで前腕を捻ると、無機質な軽い音と共に前腕の外側が二つに裂け、金属の筒が姿を現した。

「……コレ、結構恥ずかしいから。黙っててね」

 乙姫ははにかんだ顔で、左の親指、人差し指、中指を立てて拳銃を作る。制服のまま膝を立てて構えているせいで、スカートの中から水色のパンツが丸見えだ。僕はそっと目を逸らした。

 向こうの敵が何度か短機関銃を放つ。雨に打たれた様な音を上げてボディが弾け、窓ガラスとライトの破片が散乱する。

「ちょっと何なにナニ何なのーーー!?」

 琳が頭を抱えて叫ぶ。

「少しだけ、待っててね」

 こんな状況だというのに楽し気に笑う乙姫の髪が、風に揺れる。

 フッと息を吐き、乙姫は中腰に構えながら左腕を伸ばして、

「バン」

 轟音と空震が辺りを揺らす。

 反撃の銃声はない。

 紫煙を燻らす左腕を、乙姫は気まずそうに袖で隠した。

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