2-6. caution wake turbulence, wind 140 at 5kt.
目を開けると真っ暗だった。ひんやりとして、湿った空気。冷たくて硬いコンクリートの床が熱を奪っていく。どこからかぴちゃぴちゃと水の滴る音が反響する。
背中と首元が灼けるように熱く、頭が割れるように痛む。攻性電波が含む膨大なノイズキャンセルのためにBCIに過負荷がかかり、熱暴走を起こしかけていたのだろう。体を起こそうとして、手足を縛られているのに気づく。手首にも足首にもロープが乱暴に巻かれていて、動かすたびに皮膚を擦る。
少しずつ暗闇に目が慣れてきて、正面に人の気配を感じる。――琳も同じように、手足を縛られていた。
「……琳」
僕は掠れた声を絞る。反応はない。身体を引き摺って、肩を揺さぶってみる。ううっと低い呻き声が零れ、生きてはいることが判って安堵した。
それにしても、と僕は半ば無理矢理体を起こしてBCIを起動し、視覚情報を補完する。僕は不思議と冷静だった。
壁はずいぶん遠くにあるらしい。所々の朽ちた柱に古い張り紙が残されている。倉庫か何かだろうか。そもそもここはどこだろうかとGPSに繋ごうとして、圏外であることを知る。よっぽど山の中か、妨害電波か。
僕はなぜここにいるのだろう。連れて来られた、というにはあまりに乱暴な気がする。つまり、誘拐。とはいえ僕に誘拐されるような理由はない。非道い話だが、拉致して暴力を加えるなら僕ではなく琳を狙うはずだ。でも、狙いは僕だということに確信があった――僕は意識を失う前に見た黒服の集団を思い出していた。奴らは明らかに、僕が倒れるのを待っていた。
その時、ギイッという鈍い音がして、扉が開かれた。外の明かりに僕は思わず目をつぶる。まだ日が落ちていないのか、あるいは一晩経ってしまったのか。二人の黒服が入ってきた後に、青いスーツの細身の男が入ってきた。
「おや、気が付いていたか」
彼は爽やかな声で言った。
「すまないね、あまり乱暴な手段を取りたくはなかったんだが」
言いながら彼は僕の前に立つ。明かりが点いて、やはりここが倉庫であったことが判る。明かりの下で見えた彼の顔はとても若い。香春先生よりも年下で、たぶん三十歳にすらなっていないんじゃないかと思った。
「軍の人間か?」
「ほう。質問に質問で返すようなマナー違反ですまないが、むしろどうしてそう思ったんだい」
彼は鼻で笑い、試すように僕を睥睨した。
「それは、――」
言いかけて僕は口を噤む。
僕の身の回りに、明らかな軍人が一人だけいる。乙姫侑里。彼女は昨日僕の高校に転校してきたばかりだ。もしも彼らが軍の人間で、彼女と同様、僕に要件があるのなら、彼女の名前を出せば話が早く進むかもしれない。でももしそうでなければ、いたずらに乙姫の名を出すことは乙姫を危険に――だけでなく、もっと広い範囲に危険を及ぼすかもしれない。
「――この間、現場尋問に遭ったから」
と、嘘ではないが、ある程度ぼかしたことを判断の根拠に利用した。ほう、と彼は興味深げに目を丸くした。
「それは災難だったね。軍は嫌いかい?」
「別に、僕と関わりのない人たちに興味はないですかね。……で、誰ですか、あんた。「敵」側の人間?」
「失礼。私はこういう者でね。「敵」ではないよ」
言うなり、彼はジャケットの内ポケットから名刺ケースを取り出し、一枚を抜き出して僕に見せた。
陳東蔚。肩書は、華南国電資軍・第弐資訊聯隊中隊長。
よく分からないが、字面を見る限り日本でいう陸軍情報部とか内閣府情報調査局みたいなものだろうか。とにかく乙姫の名前を出さなくて正解だった。
ところで華南国といえば、つい先日外交官が暗殺されている。僕はきな臭さに眉を顰めた。
「ほう、時事をしっかり押さえているか。感心だね」
「あなたの国のことでしょう」
「うん、それは間違いない。とはいえ運が悪かった節もある。それに十中八九自業自得だよ、黄外交官に関しては」
苦笑しながら陳は名刺を僕のカッターシャツのポケットに差し込んだ。
「少なくとも同じ国の政治家じゃないですか」
「そうだよ? でも君はひとつ勘違いしている。いくら軍人とはいえ、政府の人間に対して無批判の態度を取ることはあり得ない。特にあの死んだ外交官に関しては、僕ら資通軍の評価は頗る悪かったんだ。何しろ技術を無理矢理盗むことを厭わない――どころか推奨していたコソ泥だよ。連帯と協力が主 潮 流のこの時代には外交官としては相応しくないよね」
「…………」
よくしゃべる人だ、と僕は思った。それも、いくら死人に口なしとはいえど、いやしくも自国の高官の事情をぺらぺらと。政治だとか軍隊だとかの事情は全く分からないが、苦手なタイプだ、と僕は直感した。
「で、僕に何の用ですか」
「ああそうだ、忘れかけていた。君には私に協力してほしい」
「協力……」
乙姫も昨日そんなことを言っていた。何かの偶然なのか。いや、軍人二人から急に声がかかるとは、とても偶然とは思えない。乙姫が昨日言っていた戦争絡みのことだろうと、僕は予想した。
「戦争でも始める気ですか?」
「ある意味正解。今いろんな国が、「敵」との最終戦争を始めようとしている――各国それぞれでね。そいつはもはや内戦の体を成していると言ってもいい。もしもそうなれば、全ての国の経済は疲弊し、停滞と鬱屈が蔓延する。「敵」が望むのはまさにその状態。私たち体制側が風化し、崩壊に近づいた状態だ」
「で、なんでそこに僕が関係してくるんです」
「君は特別だからね」
「…………意味がわかりませんが」
「特別な人間は、自分の特殊性に気づかないものだよ。君は「悪魔の一突き」の事件を生き残った男の子だろう? それ自体が十分特別なのさ」
「他に生き延びた人もいるんじゃないですか」
「我々が欲しいのは、君のBCIだ」




