2-4. continue climbing to Flight Level 240.
「――で、昨日は何話してたんですか? 甘き愛の語り合いとか秘めたる恋の乳繰り合いとかなんでしょう、あの爆美女巨乳の転入生と」
「お前なあ」
デリカシーとかねえのかよ、と言いかけ、僕は言葉を飲み込んだ。琳にデリカシーを求める方が間違っている、と思い出したからだ。
「街中でそんなこと言うんじゃありません」
「あでっ」
僕はチョップを琳の頭に落とすに留めた。琳に誘われてゲーセンへと歩いているところだった。香春先生の面談が長引いているらしく、今日も部活は休みだと言われたのだ。
「それにいくつか間違っていることがある。第一、僕と乙姫は昨日知り合ったばかりだ。愛どころか友情すらまだ何もないぞ」
「じゃ、どんな大事な話をしてたんですか?」
「大したことじゃないさ。初日だから学校を案内してほしいって言われただけ」
「へえ?」
琳はじっとりとした目線を僕に向けた。僕は柳が風を受け流すように見ないふりをした。
「そして第二、乙姫は巨乳ではない」
「あら、宗像君は巨乳が好きなの?」
「別にサイズが大事って訳じゃ……って、え?」
振り返る。乙姫が僕と琳の間に割り込むように立っている。琳は驚いたように目を丸くして、すぐに眉間に皺を寄せた。彼女が髪を流すと、ウッディな香りが立ち上る。
「――香水の類のものは校則で禁止されているはずだけど」
「……へえ、鼻が良いんだ」
「アンタの香水がキツいんじゃないのか」
「そうかなあ。気になる、苅田ちゃん?」
「……別に、私は何も感じませんけど」
乙姫は勝ち誇ったようにふふんと笑う。
「ほら。宗像君がちょっと鼻効きすぎてるんだって。ところで好きなの、巨乳が?」
「戻さなくていい話もあるんだぞ」
「こう見えてEあるんだよ? ほらどーだおいおい」
乙姫は肘で僕の胸を小突く。筋肉質な前腕の向こう、白いブラウスの袖越しに二つのふくらみが揺れるのを意識してしまう。Eは十分すぎるほど魅力的だろう、大抵の男子にとっては。
でも僕は、ふと考える。
目の前でにこにこと笑う(小悪魔的ですらある)この少女が、昨日僕に戦争を説いたあの軍人の少女と、本当に同一人物なのだろうか、と。
あるいは。
この姿は、本当に乙姫侑里の本性なのだろうか――つまり、彼女はこの小悪魔的な性格を敢えて演じているのではないか、ということだ。
違和感の理由は極めて属人的だ。表情。会話の揚げ足取りの着眼点。セリフ回し。すべて何となく薄っぺらくて、すべて何となく距離が遠い。彼女の本質が発したものではない――どこか、芝居がかったものを感じる――と、僕の直感がそう言っている。
なぜなら、僕がそうだから。
「――あのな、」
「ん~~もう!」
琳が僕たちの間に割り込んできた。ビシッと音がしそうなキレのよさで、乙姫の鼻先に人差し指を突き立てる。
「昨日だけですよ、宗像先パイをあなたに貸してあげたの! 先パイもそんなにデレデレしないでくださいっ」
振り返った琳の返す刀で僕まで斬られてしまった。
「今日は先パイは私とゲーセンデートなんですからっ」
「へえ、後輩の女の子に誘われてデートかあ。やるじゃん」
乙姫はニヤニヤと僕を見ながら揶揄っている。琳は眉間の皺を一層深くして、
「――そういうところ、本当に」
と呟いた。それも、僕だけが聴こえるくらいのか細い声量で。
「……何?」
「――なんでもないですっ。ほら行きますよ、先パイ」
乙姫から無理矢理引き剥がすように、琳は僕の背中を押した。振り返った時に見た乙姫は、小首を傾げながらも眼がぽっかりと虚ろで、どこか恐ろしいところすらあったが――それでも、キョトンという擬音が良く似合っていた。
◆
夕方の住吉通り。スーツを着たサラリーマンと、制服を着た学生が、元来た道を急ぎ足で帰っていく。カフェのテラス席には、私以外誰もいない。コーヒーから立ち上る湯気が、風に吹かれて右に左に揺れ踊る。私はカモフラージュの現代文の教科書を開き、首元のスイッチに軽く触れる。傍目にはカフェで勉強する女子高校生だ。BCIを軍事モードに切り替え、所属の基地との通信回路をつなぐ――彼と接触があったことを報告するために。
「――司令部、こちらイーグルワン、応答せよ」
「こちら司令部情報室、イーグルワンへ。街中で通信するなと言ったはずだぞ、准尉」
閉域網のさらに内部に何重もの防御壁と暗号化を施した結果、返答する通話相手の声は霧がかかったように模糊としている。
「軍事秘匿回線を利用しているんだから問題ないはずでしょう。それにこれはある意味デバッグよ。正常にセキュリティが働いているかを抜き打ちでチェックするための」
「ものはいいようだな」
吐き捨てるような声音に、私の脳裏に豊岡中尉の苦々しい顔がちらつく。また眉間の皺が深くなるわよ、と茶々を入れたくなるのを我慢して、私は電話の向こうの堅物が二の句を継ぐのを待った。
「……で、『見つけた』のか」
「ええ。こんなにも早く見つかるとは思わなかったけれど」
「学校にはうまく潜入できたようだな」
「抜かりなくね」
「どうだ、うまくやっていけそうか?」
「親みたいなことを言うのね。実の子でもあるまいに」
私は心のなかで苦笑した。
開いた教科書の『檸檬』を目でなぞる。文字列は視覚情報としてのみ、私の脳を駆け、そして忘却の彼方へと消えて行く。
「親みたいなものだろう。お前が陸軍に来てからずっとな」
「…………」
「……まあ、そんな湿っぽい話はいいんだ。今の俺たちに求められているのは、保護観察対象である実証実験用BCIだ」
「――そうね」
中尉の声が硬質化するのに合わせて、私の心も自然と任務モードに切り替わる。これまで何年も繰り返してきた理性と感情の分離が、ドレッシングの水と油が分離するように、しかしそれよりも何倍もの速さで、シームレスに実行される。任務に感情は不必要だ。一瞬の感情の迷いが多大な損害を味方にもたらす恐ろしさを、私は知っている。
スイッチを切られた白熱灯の光がフェードアウトするように、私の感情の光は一秒未満で精神から姿を消した。
「でも、最終的にはどうやって回収するつもり? 接近自体は今のところ問題なさそうだけれど、捥ぎ取るとなると話は別よ」
「なに、たかだか高校生一人を『転校』させるくらい、訳ないさ」
中尉は楽し気に言った。サングラスの奥に浮かぶ人の悪い笑みがありありと思い浮かぶ。何が何でも目的のものを手にする覚悟らしい。私だって任務を果たすつもりでいる。が、彼の執念ともとれる軍務への態度には、中世の異端審問官も顔を真っ青にすることだろう。
「任務達成以外眼中にないってことね」
「不満か?」
「そりゃ、相手はいやしくも人なわけだし……」
「惚れたか、准尉?」
「呆れた。まだ会って三日と経っていないのに。同情よ。それに惚れたところでどうしようもないでしょう、最終的には頭カッ捌いてBCIを取り出すのなら」
「いいんじゃないのか、別に。軍人の恋は往々にして消費期限付きだ」
「茶化さないでよ。そうならないように行動しているんでしょう」
「オーケーオーケー。悪かったよ」
私は少し苛立っていた。中尉は一方で軍人の鑑と評してなお足りないほど軍務に粘着質でありながら、もう一方ではすぐに自分自身や軍人を蔑んだような言い方をする。こういうところが苦手だと、私は内心舌打ちする。まあ待てよ、と中尉は私を宥めるように言った。
「それに俺はお前を信用している。同じクラスになったのも、偶然とはいえラッキーだ。准尉は任務に集中してくれりゃそれでいい。あと、適宜の報告もな」
「ええ。実験用とはいえ、共鳴型を「敵」に取られたらこっちの負けだから――そして、その持ち主である、彼もまた、そう」
「ああ――君の手にかかっているぜ。頼んだよ」
もちろん、と私は力強く言った。そう、最終的に彼を奪われたらこちらの負け。
これはいたって簡単なゲームだ。
「説得してこちらに手に入れる――彼を。宗像巧馬を」




