2-1. airborne.
「え、その転入生ってのが、巧馬を蹴ッ飛ばした軍人だったのか?」
恵は目を丸くして焼きそばパンをかじっていた。屋上には僕らの他に何人かがいる。天気のいい日よりも、今日みたいな曇天の方が、屋上は人気がある。熱い上に陽に焼けるのは、皆極力避けたいのだ。
「うん。……でも、わからない。多分そうだと思う」
「なんだよそれ」
「パッと見たときの印象が、土曜日の人と全く一緒だったんだ。でも、人違いの可能性もある……」
煮え切らない僕を見て、恵はそれもそうか、と引き下がった。
「……にしても、本当だったとしてさ。にわかには信じがたいよ」
「僕も信じられない。それに、もしもそうだとしても、さすがに気づいてないんじゃないかな、向こうは」
「どうだか」
「だって、一クラス四十人だぜ? しかも百パー知らない顔ばかり。ギチギチに詰まった生徒の中から見知った顔を探すなんて無理だろ。それに、あの時は夜だ。いくら街灯の明かりがあったとはいえ、はっきりとは見られてないと思う」
「……だと、いいんだけど」
「と言うと?」
「いや、タイミングが良すぎると思ったんだ」
「タイミング?」
「ああ……」
恵は声を潜めた。
「そもそも最近、今朝巧馬が言ったように、国防軍が活発に動いていた。そこへ一昨日大使館で起きた、華南国外交官の暗殺。それとほぼ同じタイミングで、巧馬は乙姫さんから尋問された。そして二日後、彼女がウチの学校に転入……あまりに出来過ぎだと思う」
「まだ可能性だぜ。それに考えすぎじゃないのか」
「俺も自分で流石に考えすぎだと思う……でも、この世界じゃどこにどんな秘密が隠れているかわからない。巧馬を尋問した人は陸軍情報部だったんだろ? 何かしらの諜報活動を目的に、身分を隠して潜入するくらい、ワケないだろうさ。軍人ってのはつくづく勝手だから」
「……勝手、か」
僕は寝転んだ。熱気を放出する屋上の床がカッターシャツを通じて、ほのかに温かい。
勝手、と言う恵の気持ちもよくわかる。確かに彼らは、平気で僕らの生体情報にアクセスしてくるし、装甲車で道をふさいだり、高圧的で一方的に尋問してきたり、とにかく何かあれば首と銃口を僕らの生活に突っ込んでくる。
でも、それも「敵」がいるからだ、と、僕は同時に思う。
けれど、恵は飲み込まないだろう。だから、
「――そうだな」
と、僕は言った。チヌークが大きな音を立てて、僕らの真上を通り過ぎていった。今日二回目の往復だった。
◆
今日の部活は休みだ、と香春先生から連絡が入ったのは、放課後に入った直後のことだった。なんでも学年主任との面談があるのを忘れていたのだという。
「何かやったんですか、先生」
教室の喧騒を聞き流しながら、僕は尋ねた。勿論、BCIから電脳空間にアクセスして開いた、仮想画面上のテキストチャットアプリで。
「ちげーよ。お前らの成績が問題ないのかって話」
僕はちょっと顔を顰めた。
馬術部の生徒たちは、僕を含めて成績があまりよくない。琳は言わずもがなだし、達也も恵も意外とそうだ。僕も真中よりは下くらいで――というよりは、僕の場合は、そもそもそんなにやっていない。言い訳がましく聞こえてしまうけれど、春休みが明けてからの数か月は、勉強に身が入っていない感じがする。理由は、何となく。大抵の高校生は何となく勉強に身が入らなくなる時期を経験するはずだと僕は思っている。
留学中の三潴が帰ってきたら、全体の成績はちょっと持ち直すだろう。彼は泣く子も黙るほど恐ろしい(いい意味で)頭の持ち主だ。
「お前らの成績が悪いと、馬術部顧問の俺が何かネガなことを唆してんじゃないかって疑われるんだ。くれぐれも成績は落とさないように」
と、もっともなメッセージを残して、香春先生はアプリからログアウトした。
急に暇ができてしまった。こういう時に友達の二人や三人がいればゲーセンに行ったり買い食いしたりするのだろうが、生憎僕に友達と呼べる存在はいない。小倉もただ同じクラスになっただけの奴だ。
恵は真面目だから、自宅か図書館とかで勉強することだろう。何しろ香春先生の発言から察するに、期末試験の復習が大量に待ち構えているに違いないのだ。気づくと、小倉が前の席から僕を見上げていた。眼鏡の黒いフレームが鈍く光る。
「おうどうしたムナ、疲れた顔しとんな」
「いや……顧問から」
「香春先生か? 勉強せろってか?」
「よくわかったな」
「だってお前、期末試験ギリギリ赤点回避じゃねーか」
「見てたのかよ」
「目に入っただけたい。授業中もぼさっとしとんしさ、流石に気になるっつの。つかお前、進路希望どうすっとや? 第一回の調査、白紙のまま提出しとらんって噂やぜ」
「余計な世話だよ――それに、進路、ね」
自分の人生の筈なのに、なぜか心底他人事のように思えてしまう。どうなるか分からない未来を今考えても仕方がない。どんな大学に行ったところで、戦争が始まったり、災害が起きたりすれば、死ぬときは死ぬのだ。
「お前は、小倉?」
「九工大かな」
「へえ」
「んだよ、聞いといて」
「僕の進路じゃないから」
僕は厩舎で時間を潰そうと考えた。帰ったところでやることはないし、花穂が友達を連れて来たりしていても面倒だ。そこへ、
「宗像君。ちょっと良いかな」
と、僕に声をかけるものがいた。僕は顔を上げて、そこに立っているのが誰か、理解するのに手間取った。
「お、乙姫さん?」
振り返った小倉が目に見えて動揺している。もうちょっと動揺を抑えるフリくらいしたらいいのに、こいつはウブだからそんな器用な真似はできないのだ。
乙姫侑里。
二年七組に突如としてやって来た転入生。
そして、二日早く僕と接触を取ったかもしれない女――コンタクトというには、勢いも力加減も強すぎ、態度もあまり友好的なものではなかったけれど。
「僕に何か?」
「学校を案内してほしいんだけど」
「……ほーお?」
小倉が振り返って僕を見た――それも、眼鏡の奥の目を細め、口を尖らせ、その隙間から食いしばった歯を見せて、威嚇でもするかのように。そういえば、馬も似たような表情をするのだ。もっとも、馬の場合はフレーメン反応と言って、嗅ぎ慣れない匂いや牝馬の匂いを感知したときに見せるから、まったく別物なのだが。……いや、小倉にとって女子は普段の生活で見慣れないし嗅ぎ慣れない生き物だから、ある意味似たような反応かもしれない。
とにかく、僕はちょっと面倒だと思った。彼女の頼み事は絶対に裏のある言い方だったし、ここで気軽に「いいよ」と言ってもそれはそれで何人かからの顰蹙を買うことは明らかだ。既に敵意のこもった視線がいくつかの方角から飛んできている。レーザーポインタは僕の口元を照らしていることだろう。僕が一言でも気に食わないことを言えば、すぐさま弾丸は発射される。
「僕はあまり学校に真面目じゃないから、詳しくないんだ」
僕は無難に躱すことにした。それも、できるだけ困った顔をして。
「真面目な解説は面白くないでしょう」
彼女は事もなげに言った。そして、教室の反対側に素早く目を走らせた。僕たちの成り行きを見守っていた奴らは、自分たちの出る幕はないと悟ったのか、そそくさと教室を後にしていく。
「――あー、俺先に帰るわ。今日から部活解禁だしな」
小倉もまた、逃げるように席を立った。彼はドアのところで振り返ってニヤリと笑った。面白いものを見つけた時のソレだった。
「……で、要件は?」
「学校を案内してほしいんだけど」
乙姫は小首を傾げながら言った。そこで僕は気づいた、彼女の声が昨晩と全く違うことに。貴様は敵か、と僕に迫った時、彼女の声はもっと低く、鋭く、無機質だったのだ、研ぎ澄まされたナイフのように。ところが、今僕の目の前に立っている乙姫の声は、どこにでもいる女の子のソレだ。違和感の正体は声だった。
「まあ、いいよ。どうせ今日は部活もないしね」
僕が言うと、乙姫はにこりと笑った。僕は教科書とノートを仕舞った鞄を机に置いて、彼女に先立って教室を出た。
の、だが。
「……彼女できたなんて聞いてないですよ、宗像先輩」
僕たちがドアをくぐった瞬間、引き攣った顔で立っている苅田琳と出くわした。




