十二歳の同級生が先輩です
二十六歳の俺は、十二歳の少年から廊下の歩き方を教わった。
「青い線の内側は、速度技能を使わない人用です」
「外側は?」
「急いでいる人用です。立ち止まるとぶつかるので、慣れるまでは入らない方がいいです」
床には、廊下を縦に分ける青い線が引かれていた。
線の外側を、生徒が一人通り過ぎる。
風が制服の裾を揺らしたときには、もう廊下の端まで進んでいた。
昨日、セドリック先生が「走行技能は使っていない」と言った速さである。
「ありがとうございます」
「いえ。俺も入学した日に教わりました」
少年は胸を張った。
年齢は俺の半分以下だが、入学歴では立派な先輩だった。
基礎課程第四組の教室へ着くと、入口で一人の女子生徒が待っていた。
濃い茶色の髪を肩の上で切りそろえ、制服の胸に青い案内役章を付けている。
「三枝透さんですね。ルナ・セイルです。今日の校内案内を担当します」
「よろしくお願いします」
「年齢では三枝さんが十年先輩です。ただ、履修では私が四年先ですので、規則についてはこちらから説明します」
「その言い方でお願いします」
子ども扱いされるより、ずっと分かりやすい。
教室には十八人いた。
一番小柄な生徒は十二歳。
大きい者でも十六歳ほどで、俺だけが明らかに年齢の幅から外れている。
好奇心の視線は向けられたが、笑う者はいなかった。
ルナが、身元記録のない成人が基礎課程へ編入したことだけを簡潔に説明する。
草原で目を覚ましたことや、ゴールドを百万以上持っているのに無一文であることまでは紹介されなかった。
「空いている席は、後ろです」
示された机へ座ろうとすると、膝が天板へ当たった。
隣の席にいた大柄な少年が立ち上がる。
「倉庫に上級課程用の机がある。持ってくる」
「手伝います」
「一人で平気だ」
少年は教室を出て、一分もせず戻ってきた。
片手に大きな机。
もう片方には、高さを調整するための木材と工具箱を持っている。
床へ静かに置き、脚の留め具を素早く調整した。
「バルク・ノーエン。十五歳。もしがたついたら言ってくれ」
「ありがとう。工作が得意なんだな」
「作った物が、ちゃんと動くのが好きなんだ」
バルクは机を一度揺らし、満足すると自分の席へ戻った。
力が強いことより、机の水平が取れたことの方が嬉しいらしい。
最初の授業は、基礎生活法だった。
俺だけ別の内容を受けるのかと思ったが、授業の中心は日常の力加減である。
卵を割らずに持つ。
扉を蝶番から外さずに開ける。
他人から荷物を受け取るときは、相手の手が離れたことを確認する。
町の住民が無意識に行っていたことへ、細かな基準が付けられている。
俺は卵を問題なく持てた。
隣の十二歳の生徒は、指先で卵をつまんだまま、反対の手で石の練習板を割った。
強い力を出すことと、弱い力で止めることを交互に練習している。
俺には、弱い方しか出せない。
そのため最初の課題だけは、教室で一番早く合格した。
「三枝さんは、日常出力の範囲なら安定しています」
教師は真面目に評価票へ丸を付けた。
褒められているはずだが、「扉を壊さず開けられる」という評価である。
昼休みには、ルナから校舎を案内された。
食堂、図書室、治療室、実習申請窓口。
階段の踊り場には、落下用の着地点を予約する掲示板が本当にあった。
「昨日、あれを見て驚きました」
「予約制になってから、衝突はほとんどなくなりました」
「飛び降りを禁止する方が早くないですか」
「上級課程では、建物間の移動訓練に使います。禁止すると、必要な技能まで練習できません」
危ないから消すのではなく、安全に使うため規則を作る。
香気式野外誘引法と同じ考え方だった。
午後は運動場へ出た。
身体制御の授業で、最初に行われたのは投球だった。
柔らかい布を何重にも巻いた球を、決められた出力で壁の円へ当てる。
十二歳の少年が、最も弱い一段階目で投げた。
腕が動いた。
次の瞬間には、壁の的が揺れていた。
球が飛んだところだけ、見えなかった。
「もう一度、お願いします」
少年は今度こそゆっくり投げようと、慎重に腕を引いた。
やはり見えなかった。
「すみません。手加減が足りませんでした」
「規定の一段階目だ。君の失敗ではない」
体育教師が止めた。
俺の学生証と、腕輪の記録を確認する。
「三枝は視認速度から始める必要がある。投球の組には入れない」
授業全体が止まることはなかった。
ほかの生徒は予定どおり投球を続け、俺だけ運動場の端へ移る。
地面には、歩幅ごとの線と、転んだときに身体を守るための柔らかい敷物が用意された。
「今日は歩行と受け身を確認する」
「歩くところからですか」
「走れるかどうかは、止まれるかを見てから決める」
教師の判断は正しかった。
レベル6になってから、俺は自分の身体が軽くなったと思っていた。
だが、目印へ合わせて急停止しようとすると、二歩ほど前へ出る。草原では地形と魔物ばかり見ていて、自分の足の制御までは測っていなかった。
歩く。
止まる。
少し速く歩く。
転び、腕ではなく肩から敷物へ触れる。
ゲームの攻略にはなかった練習だった。
授業の終わりには、決められた線で止まれるようになった。
投球は一度もしていない。
それでも、始める前より自分の身体を扱えている。
「本日の基礎目標は達成です」
体育教師が評価票へ印を押した。
教室へ戻る途中、最初に球を投げた少年がもう一度謝りに来た。
「怪我はありませんでしたか」
「球は俺に向かって飛んでいない。何もされていないから大丈夫だ」
「よかった。次までに、もっと弱く投げる練習をしておきます」
俺が追いつくより、向こうが下へ合わせるつもりらしい。
ありがたいが、十二歳へ手加減の自主練習をさせる二十六歳にはなりたくない。
俺も歩行練習を続けることにした。
放課後、ルナが一週間分の時間割を持ってきた。
「不足している基礎科目から受けます。分からない場所は、授業後に私か担当教師へ聞いてください」
「全部、初めて聞く内容ですか」
「明日は経験値配分と職業成長補正です。野外経験があると聞いたので、知っている内容もあると思います」
紙の上に並ぶ文字を読み返す。
経験値配分。
職業履歴。
成長補正。
どれも、ゲームで何度も計算した分野だった。
歩き方も、校内規則も、十二歳の先輩に教わった。
だが、明日の科目まで、教わる側だけで終わるとは限らない。




