魔物誘引には申請が必要です
魔物を百匹集める方法は知っていたが、そのために申請書を三枚出す必要があることは知らなかった。
三日目の朝。
俺は宿の主人へ礼を言い、町の外へ出た。
布巾を畳み終えた後、主人から朝食代わりの堅焼きパンをもらっている。寝床と二食分。短い時間だったが、異世界で初めて自分の労働で得た報酬だった。
所持品欄には百万を超えるゴールドがある。
現実に使える財産は、堅焼きパン一つだった。
朝のうちは、白い木、川沿いの黒い石、小さな林を結ぶ昨日の巡回経路を使った。柄を巻き直した剣なら、眠り粘体の核を二度叩けば倒せる。
最初の一周でレベル4。
三周目を終える頃にはレベル5になった。
町の住民には遠く及ばないが、数字も身体も計算どおりに強くなった。剣を振っても腕が疲れにくくなり、川の段差を助走なしで越えられる。
ゲーム知識は、やはり役に立つ。
ただし、このまま一匹ずつ倒すだけでは、最初の職業条件まで何日もかかる。
そこで香気草を使う。
町から北へ続く道を外れ、低い岩山へ向かった。
香気草は、黄色い筋の入った細長い葉を持つ。生のままでは青臭いだけだが、乾いた葉を燃やすと、周辺の魔物が好む甘い煙を出す。
煙の届く魔物が自分から集まるため、出現地点を回る必要がなくなる。ただし、そのままでは囲まれる。
北側の狭い坂へ誘い、一列になった先頭から倒す。増えすぎたら横の岩を落として道を塞ぐ。実物の地形を確かめ、逃げ道も確保した。
香気草を少量ずつ三か所へ置き、火をつけた。
甘い煙が立ち上る。
風は北から南。
煙は岩の間を抜け、草原へ流れていく。
最初に現れたのは眠り粘体だった。
一匹。
二匹。
五匹。
青い身体を弾ませ、煙を追って坂へ入ってくる。
狙いどおり一列になった。
俺は先頭の核を剣で叩く。
光へ変わる前に次の個体が来る。
一匹ずつの強さは変わらない。
探しに行く時間がなくなった分だけ、経験値が速く入る。
少し離れた草むらから、角兎が二匹現れた。
眠り粘体より速く、攻撃力も高い。いまの装備で正面から戦う相手ではない。
細い坂へ入った一匹を、用意した石と一緒に坂の下へ転がす。倒せなくても、起き上がるまでに次の眠り粘体を処理できた。
使える。
ゲーム画面で考えた手順が、現実でも噛み合っている。
煙の向こうから、さらに魔物の影が現れた。
十匹。
二十匹。
まだ増える。
百匹集まるまでには時間がかかると思っていた。
予想よりずっと速い。
風向きが少し変わった。
南へ流れていた煙が、東側の草地へ広がる。
ゲームでは、風向きは背景の演出にすぎなかった。
実物の煙は、決められた範囲だけを進んではくれない。
東側から、甲虫型の魔物が現れた。
岩坂へ向かわず、煙の濃い場所を探して横へ回り込んでくる。
俺は火を弱めようと、香気草の一つへ近づいた。
そのとき、頭上を何かが通過した。
細い縄の付いた金属筒が、三か所の香気草の中央へ落ちる。
筒から白い泡が噴き出し、燃えていた葉を一度に覆った。
甘い匂いが消える。
代わりに、鼻を刺すような青臭い香りが広がった。
集まっていた魔物たちが動きを止める。
眠り粘体は来た道を戻り、甲虫は草むらへ潜り、角兎は耳を伏せて岩山から離れていった。
坂の下へ、一人の男性が走ってくる。
茶色の上着。胸には葉と角を組み合わせた徽章。腰には先ほどの筒と同じ物が何本も下がっている。
「火元から離れてください」
声は落ち着いていた。
俺が数歩下がると、男性は燃え残った香気草を金属容器へ入れた。
風向きを確かめ、魔物が元の生息域へ戻っていることを順番に確認する。
「負傷は?」
「ありません」
「周辺の方へ被害は?」
「誰もいないと思います」
「東側に共同果樹園があります。いまの風向きで続けていれば、角兎が畑へ流れていました」
俺は東を見る。
低い丘の向こうに、木の上部だけが見えていた。
ゲームでは何もなかった場所だ。
昨日見た水路と同じように、町の外側にも人々の生活が広がっている。
「申し訳ありません」
「被害が出る前でよかった」
男性は怒鳴らなかった。
俺が仕掛けた岩と、煙を焚いた三地点を確認する。
「香気式野外誘引法ですね。許可証を確認しても?」
「許可が必要なんですか」
男性は少し驚いた顔をした。
「住宅地、農地、街道の近くで行う場合は必要です」
「山の中でも?」
「魔物に土地の境界は分かりませんから」
正論だった。
俺は許可証を持っていないことを伝えた。
男性は手帳を開き、いくつか質問する。
香気草の量と設置場所。想定した誘引範囲。集めた後の処理方法と、風向きが変わった場合の中止手順。
答えられることもあった。
答えられないこともあった。
「地形の使い方は悪くありません。狭い場所へ誘導し、同時に相手をする数を減らしている」
男性は岩坂を見上げた。
「ただ、戻す方法が用意されていません。集めた魔物をすべて倒せなかった場合、煙が消えた後で周辺へ散ります」
俺は、さきほどの青臭い筒を見る。
「あれは?」
「退散香です。誘引香と組み合わせて使います」
集める方法だけでなく、元の場所へ帰す方法まで存在していた。
俺が知っているのは経験値を得るまでの手順だけだ。この世界では、その後に散った魔物がどこへ行き、畑へ何をするかまで考えなければならない。
「初めてでしたら、違反記録ではなく安全講習で済みます。こちらへ」
男性に案内され、岩山の反対側にある小さな監視所へ入った。
壁には周辺地図と、香気式野外誘引法の一覧が貼られている。
香気草の種類。魔物ごとの反応距離。風速と煙の拡散範囲。誘引後に必要な退散香の量。
俺が攻略サイトで読んだ内容より、はるかに細かい。
「この方法は、昔からあるんですか」
「古い技術です。大きな事故が何度か起きたため、現在の手順になりました」
男性は棚から三枚の用紙を出した。
「実施する場合は、誘引計画、風向変化への対応、魔物の帰還経路を提出してください。小規模なら当日申請もできます」
最初に抱いた疑問が解けた。
申請書は本当に三枚だった。
俺にとっては効率のよい経験値稼ぎ。
現地の人々にとっては、事故と改良を積み重ねた野外技術。
名前も、使い方も、止め方も決まっている。
知らないのは、人間の強さだけではなかった。
俺が知っているのは、ゲームが切り取った一時点と、プレイヤーに必要だった範囲だけだ。その後も人々は暮らし、失敗に名前を付け、測定し、規則を作ってきた。
未知なのは、ゲームの時代から積み重なった生活と制度だった。
特別な発見だと思っていたものが、壁の掲示物へ変わったのではない。
誰かの発見が、長い時間をかけて掲示物になるまで磨かれていた。
講習を終え、残っていた眠り粘体を許可された範囲で倒す。
胸の奥で音が鳴った。
《レベルが6に上がりました》
三日でレベル6。
天然狩場だけを使った結果としては、ゲーム時代の最短記録に近い。
少なくとも、俺の知識が完全に無意味になったわけではない。
男性は講習修了の印を押しながら尋ねた。
「本人確認のため、身分証をお願いします」
持っていない。
救難箱では空欄のまま済んだ。
町の店では、金が使えないことの方が問題だった。
公的な手続きで身分証を求められるのは、これが初めてである。
「遠方から来たばかりで、手続きをしていません」
「でしたら、先に登録した方がいいですね。今後も野外活動をするなら、許可申請にも必要です」
男性は新しい紙へ地図を描いた。
町の大通りから東へ二本目。広場に面した大きな建物。
紙の上へ、行き先を書く。
《冒険者登録所》
冒険者。
ようやく、知っている言葉が出てきた。
魔物を倒し、依頼を受け、実績を積む者たちの集まる場所。
そこで身分を作れるなら、職業への道も開けるかもしれない。
「ありがとうございます。明日の朝、行ってみます」
紹介地図を受け取り、俺は町へ戻った。
救難箱も、ゴールドも、聖剣も、俺が知っていた使われ方とは違っていた。
それでも冒険者登録所だけは、名前からして間違えようがない。
今度こそ、俺の知っている場所であるはずだった。




