最初の町はイベントボスだらけ
最初の町に入って五分で、俺は住民全員をイベントボスだと判断した。
町の外壁まで着いたのは、昨夜だった。
救助員の見積もりより俺の足は遅く、着いたのは日没後だった。旅人用窓口が閉まっていたため、門番に案内された外壁脇の待合所で一夜を明かした。救難箱でもらった保存食と水が、さっそく役に立った。
一夜明けた朝。
旅人用窓口で名前と訪問目的を書き、町へ入った。
一人目は、門の前にいた果物屋だった。
荷車の片輪が石の隙間へ挟まり、動かなくなっていた。荷台には木箱が十段以上積まれている。
俺なら荷物を下ろしてから、何人かで車輪を持ち上げる。
果物屋は荷台の下へ片手を入れ、荷車ごと持ち上げた。
空いた手で車輪を石の隙間から外し、そのまま何事もなかったように門を通っていった。
二人目は、門を入ってすぐの食堂にいた料理人だった。
俺の身長ほどある大鍋を覗き込み、「まだ温いな」とつぶやく。
次の瞬間、鍋の底から赤い炎が噴き上がった。
火事だと思って身構えたが、料理人は素手で鍋をかき混ぜている。炎は鍋底の形へきれいに沿い、隣に積まれた薪へ燃え移ることもない。
三人目は、通りへ迷い込んだ角兎を捕まえた農家の女性だった。
角兎は、俺がいま使っている〈旅人の剣〉では近づきたくない相手である。
女性は両脇から角をつかみ、「畑へ入ったら駄目でしょう」と子どもを叱るように言った。そのまま大きく振りかぶり、町の外へ放る。
角兎は門の上を越えて見えなくなった。
門番は注意しなかった。
果物屋も料理人も、農家の女性も、町の人々には見慣れた存在らしい。
誰も驚かない。
驚いているのは俺だけだった。
引退した英雄たちの町なら、筋は通る。
だが、三人を見ただけで都合のいい仮説へ飛びつけば、老婆一人で世界を判断するのと変わらない。
俺は門の旅人用窓口へ戻った。
「この町は、引退した冒険者や軍人が多いんですか」
窓口の女性は、質問の意図を考えるように少し首を傾げた。
「いいえ。農業と街道輸送の町ですから、冒険者・軍務経験者の割合は全国平均より低いですよ」
「では、町の外から来る人も、ここにいる人たちと同じくらいですか」
「出身地による差はありますけれど、この町だけが特別ということはありません」
窓口の向こうでは、先ほどの果物屋が通行票を受け取っていた。荷車は南の農業区から来たものらしい。
隠れ里ではない。
特別だったのは、老婆でも、この土地でもなかった。
俺が知らなかったのは、この世界の人間そのものだ。
俺は人の流れを避け、建物の壁際へ寄った。
町の構造には、ゲームの面影がある。
中央を南北へ貫く大通り。門から見て右に商店、左に食堂と宿。正面の坂を上れば広場があり、その先に古い神殿がある。
ただし、建物の数は何倍にも増えていた。
ゲームでは入れなかった背景用の家にも扉があり、人が暮らしている。石畳の下には排水溝が通り、通りの角ごとに現在地を示す案内板が立っている。
地図を知っていても、目的の店を見つけるには看板を読む必要があった。
まずは金だ。
俺は通りの端でステータス画面を開き、所持品欄を確認した。
《ゴールド×24》
眠り粘体を倒すたび、光の一部が所持品欄へ入っていた。
ゲームでは、開始地点の宿が一泊五ゴールド。安い短剣なら二十ゴールド前後。回復薬も買える。
救難箱の保存食で空腹は収まっている。
今夜の宿と、いまの剣に代わる実用的な武器を手に入れるには十分だった。
俺は記憶どおり、大通り右手の道具屋へ入った。
店内には瓶、縄、袋、簡単な工具が並んでいる。武器屋ではなく生活用品店へ変わっていたが、金を使える場所であれば問題ない。
「旅に使える短剣はありますか」
店主は棚の下から、鞘に入った短剣を出した。
装飾のない実用品だ。初心者用としては十分である。
「これを」
「許可証はお持ちですか?」
「許可証?」
「野外作業用でしたら、冒険者登録証か採取許可証で結構です」
どちらも持っていない。
「いま持っている〈旅人の剣〉では駄目ですか」
店主は俺の腰にある剣を確認した。
「それは刃を落とした旧式の演習具ですね。粘体の核を叩く程度なら使えますが、刃物の代わりにはなりません」
ゲームでは最弱の武器だった物が、この時代では刃物にすら数えられない。その買い替えには、ゲームになかった許可証が必要だった。
「では、食事や宿に使える普通の品を」
俺は所持品からゴールドを取り出した。
光が集まり、手のひらへ小さな黄金色の粒が現れる。
店主は粒を見た。
俺の顔を見る。
もう一度、粒を見る。
「こちらは、ドロップゴールドですね」
「ゴールドです」
「はい。魔物から出たゴールドです」
「使えませんか」
「当店では取り扱っておりません。素材回収所なら引き取ってくれますが」
店主は申し訳なさそうに、回収所までの道を教えてくれた。
素材回収所は、大通りから一本外れた場所にあった。
建物の前には、石、壊れた道具、魔物の殻などを積んだ荷車が並んでいる。
その中に、見覚えのある黄金色の山があった。
桶いっぱいのドロップゴールドである。
俺は受付へ行き、所持している二十四ゴールドを見せた。
「少量でしたら無料で回収します」
受付の女性は事務的に答えた。
「交換ではなく、回収ですか」
「はい。分別後、舗装材や重しへ加工します」
「ゴールドなのに?」
「ゴールドですから、ですね。ほかの素材と混ざりやすく、加工に手間がかかります」
受付の横には、回収料金の表が貼られている。
一定量までは無料。
それを越えると、運搬費と混入物の分別費が加算される。
表の一番下に、《百万ゴールド以上》という項目があった。
「百万ゴールドを持ち込む人もいるんですか」
「珍しくありません。先ほども処分依頼がありました」
女性は建物の前にある大桶を示した。
中身は、およそ百万ゴールド。
ゲームなら城が買える。
ここでは回収待ちの廃棄物だった。
「あれ、持っていっても?」
「所有権は放棄されていますから、構いません。ただし、不要になって当所へ戻す場合は処分費がかかります」
俺は大桶へ手を触れた。
「収納」
黄金色の山が光へ変わり、所持品欄へ吸い込まれていく。
《ゴールド×1,000,024》
異世界へ来て二日目。
俺は百万長者になった。
同時に、その百万ゴールドを処分するための金がないことも判明した。
短剣は買えず、宿代にもならない。
それでも百万という数字を捨てる気にはなれず、俺はゴールドを持ったまま回収所を出た。
次に向かったのは、町の中央にある古い神殿だった。
ゲームでは、その地下に勇者の聖剣が眠っていた。
通常なら物語後半で入手する装備だが、北側の壁にある印を決まった順番で押すと、序盤でも保管室へ入れる。
短剣を買えないなら、最強装備を手に入れればいい。
広場へ続く坂を上る。
古い神殿は残っていた。
ただし、入口には大きな看板が掲げられている。
《西部歴史博物館》
伝説の剣は、月曜日なので休館だった。
正面扉は閉ざされ、本日の休館を知らせる札が下がっている。
俺は建物の北側へ回った。
壁の形も、印の場所も記憶どおりだった。
一つ目。
二つ目。
三つ目。
何も起きない。
壁をよく見ると、印の周りだけ石の色が新しい。かつて扉だった場所を、後から埋めたように見える。
「見学でしたら、明日の朝からですよ」
背後から声をかけられた。
振り返ると、箒を持った男性が立っている。博物館の職員らしい。
「この壁に、地下へ続く通路があったはずなんですが」
「昔の搬入口ですね。収蔵品の保存環境を整えたときに閉鎖されました」
「中に聖剣が?」
「中央展示室にあります。明日なら正面からご覧いただけますよ」
「持ち出すことは」
男性は冗談だと思ったらしく、笑顔で答えた。
「文化財ですから、館外貸出は行っておりません」
最強装備は知識どおりの場所に存在し、博物館の休館日と文化財保護に守られていた。ゲームの壁より、現代の規則の方が厚い。
空が暗くなり始めた。
宿代はない。
大通りへ戻り、宿の主人へ事情を話す。ドロップゴールドしか持っていないこと、寝る場所を探していること、代わりに働けること。
主人は俺の細い腕と、腰の剣を見て、少し考えた。
「それでしたら、裏庭の水桶を厨房まで運んでおいてください。今夜の食事と、物置部屋でよければ寝床を用意します」
「分かりました」
裏庭の井戸にあった桶を持ち上げる。
持ち上がった。
だが、両手で抱えて十歩運んだところで腕が震えた。
主人は一瞬だけ目を見開いたが、理由を尋ねず、俺の手から桶を片手で受け取った。
「こちらは私が運びます。代わりに、食堂の布巾を畳んでいただけますか」
仕立て屋の老婆に飲ませてもらった水と同じくらい、ありがたい申し出だった。
布巾を畳み、食堂の椅子を拭き、夕食を受け取る。
泊めてもらえる場所もできた。
町で使える金も、新しい武器も手に入らなかったが、今夜を越えることはできる。
物置部屋の小さな寝台へ横になり、俺は明日の予定を考えた。
知っている場所へ行くたび、知っていた使い道が一つずつ消えていく。
ゴールドも武器も駄目だったが、魔物の倒し方とレベルの上げ方、職業の選び方はまだ残っている。
そこまで失ったわけではない。
住民へ力で追いつくには、まだ遠い。
普通に一匹ずつ倒していては時間がかかる。
金が使えず、まともな武器も買えないなら、地形と魔物の習性を使うしかない。
町の外には、魔物が好む煙を出す香気草が生えている。
ゲームでは、それを使って周囲の魔物を一か所へ集められた。
俺は目を閉じ、崖までの最短経路を思い浮かべる。
切れる武器がないなら、魔物自身に走らせればいい。
明日は、百匹まとめて経験値にする。




