悪人のいない責任
事故調査書には、悪人の名前が一つもなかった。
責任者の名前はあった。
事故から三週間後。
俺たちは、もう一度、学校の大会議室に集まった。
前と同じ長机。
前と同じ五会場の図面。
違うのは、赤い線が増えていることだった。
分裂体の移動。
閉じた水路。
変わった警報表示。
救援班へ渡った命令。
金電話を開封した時刻。
事故当日に起きたことが、分単位で一枚へ重ねられている。
ガルドは統括責任者の席ではなく、説明者の席に座っていた。
制服に地方統括章はない。
机の上にも、彼の印はなかった。
「最初に、個人の故意による規則違反は確認されませんでした」
事故調査官が報告書を読み上げた。
「王冠銀粘体の育成記録、分裂事例、段階試験の結果に、改竄または隠匿はありません」
ガルドが善人だったから、責任がなくなるわけではない。
同時に、事故が起きたから、していない改竄まで加えることもない。
調査官は、最初の赤い線を指した。
「新系統の分裂事例は、五つの実習場で一件ずつ、監視継続を要する軽微な異常として記録されました。各記録は規定どおりです」
一件ごとの処理時間は、最長でも十秒。
怪我人なし。
設備被害なし。
それだけを見れば、軽微という判定は規定範囲だった。
「ただし、地方統括部には、複数施設の同系統個体に起きた異常を横断して確認する権限がありました。自動で集約する規則はありませんでしたが、統括責任者は必要に応じて照会できました」
五冊の記録を同じ机へ並べたのは、金電話の試験後だった。
ガルドが情報を消したのではない。
別々の棚にある記録を、同じ問題として探さなかった。
「初期の危険度評価には、統括上の不足があったと認定します」
ガルドは反論しなかった。
「認定を受け入れます」
次は、安全審査会の判断だった。
一体。
五体。
十体。
計十六体の段階試験。
二体が分裂した。
八秒と九秒で封じた。
区画外流出なし。
負傷者なし。
設備破損なし。
「段階試験は、審査会が定めた停止条件をすべて満たしました。規模を三分の一へ減らして実施した判断は、当時の規則と決議に適合しています」
ガルドが一人で押し切ったことにはならなかった。
安全審査会が騙されたことにもならない。
学校も、牧場も、保護者会も、見た試験結果に基づいて署名している。
「問題は、試験の外側です」
調査官が、区画線を指した。
段階試験では、分裂体は一体もそこを越えなかった。
だから、警報表示は最後まで《調整対象・分裂体》だった。
本番では、同時に発生した分裂体の一部が線を越えた。
表示が《区画外魔物》へ変わった。
担当が牧場職員から地域救援班へ移った。
同じ銀色の塊が、線の内側と外側で別の規則を受けた。
「牧場規定では、分裂体を攻撃せず、凍結と捕獲を行います。地域救援規定では、区画外の魔物を人へ接近する前に制圧します。どちらの規則にも、相手側の例外情報がありませんでした」
救援隊員は、正式な命令へ正確に従った。
命令が届いた後は、正確に攻撃を止めた。
個人の判断で暴走した者はいない。
「救援隊員個人への処分は行いません」
調査官は明言した。
「一方、実習の安全計画を提出した地方統括責任者には、区画外流出後の担当変更を含めて手順を接続する責任がありました」
ガルドは、本番で分裂体が出る可能性を認めていた。
二重柵も、捕獲網も増やした。
分裂確認後は攻撃しないと決めた。
だが、その規則がどこまで届くかを確認しなかった。
「ガルド・メイヴァンの地方統括職を解き、育成施設の安全承認権限を停止します」
会議室は静かだった。
長い功績がある。
国営牧場が少なかった時代から、低レベルの若者を何万人もレベル99へ送り出した。
その功績は、事故で消えない。
事故の責任も、功績で消えない。
「育成技術者としての資格は取り消しません。再配置については、職務停止期間と再教育の終了後に別途審査します」
ガルドは立ち上がった。
「処分を受け入れます」
頭を下げる相手を、一人には決めなかった。
生徒。
保護者。
学校。
救援隊。
現場職員。
その全員がいる会議室へ向かって頭を下げた。
「私は、牧場の中で正しい手順を作れば、生徒を守れると思っていました」
顔を上げる。
「区画線の先でも、同じものが同じ名前で扱われると思い込んでいました。それを確かめるのが、統括責任者の仕事でした」
誰も彼を罵らなかった。
誰も、仕方がなかったとも言わなかった。
次に読み上げられたのは、制度側の改善命令だった。
安全審査の段階試験へ、失敗時手順を追加する。
区画外流出。
設備停止。
担当部署の変更。
外部救援への引き継ぎ。
別施設の水路や避難路への影響。
予定どおり動いた場合だけでなく、予定から外れた瞬間に、次の規則が何をするかを試す。
警報表示も変わる。
《区画外魔物》
それだけではなく、確認された特性を付記する。
《強い衝撃による分裂可能性・直接攻撃禁止》
救援班の命令書へも、施設側の危険情報を自動で添付する。
「金電話については、地域多地点状況共有設備として正式採用します」
通信局の代表が、新しい運用規則を示した。
「ただし、正式命令と本人保証を金電話だけで行うことは認めません」
声は速い。
書面は確かだ。
金電話で五会場の現在を揃える。
暗殺者通信で命令の原本を届ける。
どちらかが古くなるのではなく、二つの役目が分かれた。
「暗殺者課程では、多地点通信の司会、記録、本人確認を新しい専門科目へ加えます」
ルナの背筋が少しだけ伸びた。
自分の仕事を奪うかもしれないと心配していた電話が、暗殺者の新しい授業になった。
「通信規則の原案作成者として、ルナ・セイルの実技研究単位を認定します」
「ありがとうございます」
声は落ち着いていた。
机の下で握っていた手だけが、少し緩んだ。
バルクには、緊急設備配置図と鐘台車の設計で、建築職の実技選考加点が与えられた。
本人は表彰欄より先に、事故後に曲がった台車の車軸交換申請を読んでいた。
「そっちは後でいいだろ」
「次に使うなら、先に直す」
彼らしい答えだった。
移行実習を終えられなかった生徒への措置も決まった。
専門課程の席は取り消さない。
現場研修枠を繰り下げる。
資格試験の受験期限も延長する。
安全が確認された従来系統を一体ずつ直接調整し、未到達者へ個別実習を行う。
一日に扱える人数は少ない。
四千人全員が同じ日にレベル99になることは、もう優先しない。
一人ずつ、進路を失わない順番を作る。
ルナの個別実習は、翌週に決まった。
「遅れたのに、席は残るんだな」
俺が言うと、ルナは頷いた。
「遅れを本人だけの責任にしないと、会議で決めましたから」
制度は、予定を守れなかった。
その代わり、予定から外れた人間を守る形へ変わった。
会議の最後に、俺にも一枚の通知が渡された。
《五地点施設異常対応に伴う功績認定》
その下に、もう一枚。
《特別履修判定・対象者 三枝透》
特別。
履修判定。
危機を解決した功績を、学校が正式に評価するらしい。
「もしかして、飛び級か」
思わず漏れた声に、セドリック先生は答えなかった。
「判定は明日の午前です」
否定もしなかった。
俺は通知を、攻略メモの一番大事な頁へ挟んだ。
この世界へ来て初めて、現地の制度より一歩先へ進めた気がした。




