弱いから出せる音
作戦で一番難しかったのは、誰も分裂体を倒さないことだった。
レベル99の戦士なら、中央牧区までの壁を数分で作れる。
魔法使いなら、水路の流れも変えられる。
暗殺者なら、金電話の届かない水門へ正式命令を届けられる。
その力を、銀色の塊へ直接当てない。
俺たちが最初に決めたのは、それだった。
「誘導先は、各実習場の中央牧区です」
ガルドが五会場共通の図面を開いた。
中央牧区は、王冠銀粘体を調整前に集めるための広い飼育区画だった。
外壁が厚い。
排水口を内側から閉じられる。
魔力遮断容器を運び込める搬入口もある。
「分裂体が弱い鐘へ集まるなら、ここで収容できます。ただし、五つの実習場で現在位置が違います」
第一では、調整区画と第二待機所の間。
第二では、西水路の捕獲網周辺。
第三では、逆流した北排水路。
第四では、補助門の内側。
第五では、南側通気口と避難棟の間。
一枚の図を五枚重ねたような施設でも、水と分裂体の位置は揃っていなかった。
「最短経路を一本ずつ引く」
バルクが色鉛筆を取った。
「人の避難路とは重ねない。段差は板で埋める。曲がり角は仮設柵。水路から来るところには、こっち向きの傾斜をつける」
線を一本引く。
途中で止める。
「ここ、鐘を載せる場所がない」
第一実習場の資材表を開き、台車の番号を探す。
「飼料運搬台車の三号を使う。車輪を固定して、鐘の台にする」
「ほかの会場は?」
「同じ台車がある。国営施設だから規格も同じだ」
これまで、同じ規格と同じ時刻が異常を同時に起こした。
今度は同じ規格を、同じ解決に使う。
「第五の南通路は傾斜が逆です」
ルナが設備記録を見ながら言った。
「台車を置くと、避難棟側へ戻ります」
「滑車を一つ追加する。柱の固定環は?」
「図面では、南壁に四か所あります」
「なら動かせる」
バルクは迷わなかった。
戦士職を履修している十五歳の生徒が、五つの牧場でレベル99の大人を動かす配置図を描いていく。
大人が考えられないのではない。
現場の職員は、避難、遮断扉、水位、分裂体の封じ込めを同時に続けている。
一つの机で、五会場の図面だけを比べられる者が必要だった。
「飼料鐘を置いても、生徒をそばへ連れてはいけません」
セドリック先生が確認した。
「もちろんです」
バルクが答える。
「鐘は大人が運ぶ。鳴らすのは安全室から」
「どうやって?」
「これを使う」
彼は金電話の保管箱から、細長い金片を取り出した。
破損時の交換用として、共鳴箱と一緒に封印されていた予備部品だ。
五会場の保管箱にも、同じ親アイテム番号の金片が三枚ずつ入っている。
「鐘の振り子に固定する。金電話から一定の強さの魔力振動を続ければ、金片が振り子を揺らす」
「声も鐘から出ませんか」
ルナが尋ねた。
「話し声くらいの不規則な振動じゃ、振り子は端まで届かない。低い一定の音を続けたときだけ鳴るよう、紐の長さを合わせる」
「どのくらいの長さですか」
「やってみないと分からない」
そこだけは、いつものバルクだった。
完成図を知っているふりはしない。
第一実習場の飼料鐘が、安全室の前室へ運ばれた。
鐘そのものは、俺の頭ほどある。
レベル99の職員にとっては片手で持てる道具だが、音は小さい。
王冠銀粘体の飼料時刻を知らせるための、低く短い音だけを出す。
バルクは金片を革紐で振り子へ固定した。
紐を一度縮める。
また伸ばす。
「三枝。一定に流せるか」
「何秒?」
「まず三秒」
セドリック先生が試験許可欄へ時刻を記入した。
ルナが金電話へ告げる。
「全会場、試験中は発言を停止してください。第一実習場だけ飼料鐘へ金片を取り付けています。ほかの会場は、取り付け前の状態を維持」
四会場が復唱する。
俺は話す側の金板へ指を置いた。
強く押さない。
声を送るときより細く、低く。
魔力を三秒だけ流す。
金片が震えた。
振り子が鐘の内側へ届く。
ごん。
一度。
大きくはない。
安全室の厚い壁に吸われ、廊下の先では聞き逃しそうな音だった。
「外の反応は?」
セドリック先生が伝声管で尋ねる。
『第一待機所前、目視確認。分裂体三体が鐘の方向へ向きを変えました』
攻撃を止めてから、分裂体は水や床の傾斜に従って動いていた。
いま初めて、自分から同じ方向を選んだ。
『追加報告。一体は反応なし。二体は移動を開始』
すべてが同じ速さで集まるわけではない。
それでも使える。
「魔力なしの鐘だけも確認します」
職員が手で鐘を鳴らす。
同じ音。
近い二体は向きを変えた。
少し離れた個体は動かない。
もう一度、俺が微弱魔力を流す。
今度は四秒。
ごん。
指先へ、細かな痺れが残った。流した魔力は弱くても、同じ細さを崩さず保つ四秒は思ったより長い。
離れていた一体が、ゆっくり向きを変えた。
「飼育記録どおりです」
ガルドが言った。
「音だけでも反応する。微弱魔力を重ねると範囲が広がる」
「大人でも流せますよね」
俺が尋ねる。
「流せます」
セドリック先生は即答した。
「短時間なら、私にもできます。ただし、五会場の鐘を何度も同じ強さで鳴らす訓練は、あなたたちの方が多い」
大人にはできない奇跡ではない。
いま、この場で任せられる者が学生だった。
それで十分だった。
「振動時間、四秒。次の発言まで二秒空ける」
ルナが新しい通信手順を書いた。
「鐘を鳴らす前に、全会場が発言を停止。振動終了後、司会者が一会場ずつ反応を確認します。音声と誘導合図を同時に使わないでください」
「金電話が壊れた会場は?」
「暗殺者通信で開始時刻を届けます。現地の低レベル操作員が、予備金片へ直接四秒流します」
金電話だけを前提にしない。
暗殺者が正式な配置図と、取り付け手順を四会場へ運ぶ。
金片の固定は現地の盗賊職の職員。
飼料鐘と台車を運ぶのは戦士。
床の傾斜を作るのは農業担当の魔法使い。
捕獲経路の壁は建築担当の戦士と魔法使い。
治療役は避難棟から動かさない。
分裂体を集める作戦なのに、誰一人、分裂体へ武器を向ける役を持っていなかった。
「第一実習場、配置一へ飼料鐘を移動します」
職員が鐘を台車へ載せる。
バルクの図面どおり、滑車で固定する。
大盾が左右を囲み、その外側に土壁が伸びた。
学生は安全室から出ない。
鐘と壁の方が、学生の代わりに現場へ出ていく。
四会場からも、取り付け完了の報告が届き始めた。
第二。
第四。
第五。
第三だけが遅れた。
『第三実習場。北排水路の逆流が増加。予定した鐘の配置二を使用できません』
バルクが図面へ新しい青線を引いた。
「第二が閉じた西水路の水だ。第三だけ先に水門を動かすと、第四へ行く」
「第四の鐘は、もう配置済みです」
ルナが答える。
第一だけを始めれば、動いた分裂体が水へ押し戻される。
第三の水門だけを開けば、第四の誘導路へ水が入る。
一会場ずつ試す時間はなかった。
五つの実習場は、柵の内側では別々だった。
水路では一つにつながっている。
金電話から、第三実習場の操作員が時刻を告げた。
『北排水路の水位、避難棟基礎まで残り十八センチ。現在の上昇速度では、約七分です』
七分以内に、五会場の水門、壁、鐘を動かす。
一つずつでは間に合わない。
俺は五枚の図面を横一列へ並べた。
「五つを同時に始めます」
ガルドとセドリック先生が、同時に図面を見た。
次の作戦では、五つの牧場を一つの現場として動かさなければならなかった。




