牧場を止められない人
ガルドは、俺たちの表を否定しなかった。
翌朝の面談には、五つの実習場から集め直した原本と、新系統の繁殖記録を持ってきた。
学校の会議室。
机の一方にガルドと牧場の検査担当者。
もう一方にセドリック先生、俺、ルナ、バルク。
「最初に、学校の報告書は妥当だと認めます」
ガルドは表の育成番号と術式出力へ印を付けた。
「新系統の近い繁殖群であること。一括体力調整術式の高出力域でのみ分裂が記録されていること。再検査を要する関連です」
「では、上級職課程移行実習を延期しますか」
俺は聞いた。
「全面延期には同意できません」
答えは明確だった。
危険を否定した直後ではない。
危険の可能性を認めたうえで、止めないと言った。
ガルドは別の冊子を開いた。
五つの実習場で移行実習を受ける生徒の一覧。
人数は四千人を超えている。
氏名の横には、進む上級職課程、現場研修先、取得予定資格が記されていた。
暗殺者課程の欄には、ルナ・セイル。
開始予定の欄には、来月。
「専門進路が決まり、移行実習でレベル99へ到達する生徒たちです。その出力を前提とする上級職授業と現場研修が、ここから始まります」
治療院での賢者課程実習。
建築現場での騎士課程実習。
農業水利の魔導士課程。
通信塔を巡る暗殺者課程。
どれも、開始日までにレベル99の基礎能力証明を提出する必要がある。
「少し遅れるだけでは?」
「新系統を全頭停止し、旧系統だけで四千人分を用意するには、早くても二か月。繁殖からやり直せば、さらに延びます」
国営牧場は、希少魔物を必要な日に合わせて育てている。
経験値を持つ個体を、倉庫から出すようには増やせない。
「上級職課程や研修先へ事情を説明すれば」
「待てる授業もあります。季節が決まった農業実習や、限られた設備を使う治療実習もあります。研修枠を二か月空けるか、次の候補者を入れるかは、受入先の判断です」
予定どおり上級職課程へ進めない。
ただそれだけで、積み上げた成績や研修枠を失う生徒がいる。
俺は一覧の端を見た。
一人ずつに、ルナと同じような進路がある。
「私の名前もあります」
ルナが言った。
「ですが、必要な再検査を省く理由にはなりません。延期する場合は、参加者の研修枠をどう守るかも同時に審議してください」
自分だけ名簿から外れようとはしない。
自分の進路を守るために、安全なふりもしない。
「だから、危険でも続けるんですか」
「危険を減らして続けます」
ガルドは、安全対策案を並べた。
同時に扱う個体数を三分の一へ減らす。
調整区画の職員を倍にする。
既存の柵の外へ、目の細かい第二柵を設置する。
排水路には捕獲網と遮断扉を追加する。
分裂が一件でも起きた区画は、その場で停止する。
「基礎成長実習と同じように、職員が一体ずつ直接調整するのは?」
俺が尋ねた。
「可能です。ただし、移行実習では経験値量の多い成熟個体を使います」
牧場の検査担当者が、個体ごとの作業時間を示した。
「直接調整では、一人の職員が一体を担当します。飼料後に硬さと経験値量が安定する時間内では、予定数の一部しか処理できません。全員分を終えるには、飼育と測定の日程から組み直す必要があります」
安全にはできる。
その代わり、延期による損失は避けられない。
「魔法の出力を下げればいいのでは」
バルクが尋ねた。
牧場の検査担当者が、体力調整の記録を示した。
「低い出力を複数回使う方法は試験中です。しかし、王冠銀粘体は攻撃の間に硬さを戻します。残存体力を一へ合わせられず、生徒の一撃で倒せない場合があります」
倒しきれなければ、生徒がもう一度攻撃する。
鎮静が切れれば、低レベルの生徒の前で動き出す可能性もある。
高出力の一括体力調整術式は、長年の事故記録から作られた安全手順だった。
新系統のために弱くすれば、別の危険が増える。
「一括体力調整術式が原因かもしれない」
俺は言った。
「承知しています」
「五か所で起きています」
「それも承知しています」
「それでも使う?」
「原因だと確定した場合は使いません」
ガルドは声を荒らげなかった。
「現時点では、新系統の一部で小規模な分裂が起きる可能性と、一括体力調整術式に関連があるという段階です。分裂体の攻撃性はなく、五件すべて十秒以内に処理されています」
「移行実習で同時に増えたら」
「その可能性を検討するため、安全審査会を求めます。ただ、可能性だけを確定した事故として扱えば、停止による被害だけは確実に発生します」
危険が起きるかは分からない。
延期すれば、上級職課程と現場研修の遅れは起きる。
片方だけが数字になっていた。
ガルドは厚い冊子の間から、古い身分票を取り出した。
紙ではなく、角の削れた薄い金属板だった。
若い頃の記録らしい。
氏名は同じ。
年齢十七歳。
レベル43。
「私が育った地域には、国営育成牧場がありませんでした」
ガルドは言った。
「筆記と実技課程を終えても、レベル条件へ届くには野生魔物を探すしかなかった。農業水利の採用試験に合格しましたが、基礎能力証明を期限までに出せず、採用は取り消されました」
俺の天然狩場巡回を、何年も続けなければならない時代。
攻略法を知る一部の人間と、希少魔物に出会えた人間だけが、早くレベルを上げられる。
「六年後、別の職へ就きました。さらに後になって牧場が整備され、同じ地域の生徒は予定どおりレベル99へ到達し、希望する専門課程へ進めるようになった」
ガルドが国営牧場を守ろうとするのは、施設の成績や自分の地位のためではなかった。
安全なレベル99到達を、出身地や家の知識に左右されない権利だと考えている。
「一度も止めないつもりですか」
ルナが尋ねた。
「いいえ。新系統が人を傷つけると確認された場合。現行設備で封じられないと判断された場合。安全審査会が延期を決定した場合には止めます」
「でも、あなた自身は全面延期を提案しない」
「はい」
その答えだけは変わらなかった。
ガルドは俺たちの再検査申請へ、地方統括責任者として賛成の署名をした。
同時に、安全対策を増やした実施案も提出した。
危険を消してはいない。
報告を隠してもいない。
ただ、牧場を止める損失を知りすぎている。
「明日の安全審査会で、両方を審議します」
セドリック先生が二冊の申請書を重ねた。
一冊は、再検査のために移行実習を止める案。
もう一冊は、安全策を増やして続ける案。
どちらにも、守ろうとしている生徒の名前が書かれていた。




