一日で二レベル、老人は一振り
町へ向かう前に、確かめたいことが二つあった。
一つは、ゲームで十二分だった眠り粘体の再出現周期が、現実になったこの世界でも同じか。
もう一つは、くしゃみでスライムを吹き飛ばした老婆が、この土地でどれほど特殊な存在なのか。
レベル2を3にしたところで、あの老婆を相手に身を守れるとは思えない。
それでも、ゲームで知っている出現地点を回れば、同じ条件で魔物の強さを比べられる。川沿いや林で働く住民に会えれば、人間側の比較材料も増やせる。
幸い、眠り粘体の出現地点は一つではない。
俺は鞘の先で、地面へ簡単な地図を描いた。
現在地は西の白い木。その北西にある窪地が一つ目。
ここから川沿いに南へ進み、平らな黒い石の周辺が二つ目。さらに東の小さな林を抜けた先、倒れた木の根元が三つ目。
三地点を順番に回れば、最初の場所へ戻る頃には眠り粘体が再び現れる。
ゲームでは十二分周期だった。
現実になっても同じかは、まだ分からない。
地面へ小石を一つ置き、太陽の位置を覚える。
先ほど二匹目を倒した場所から少し離れ、草むらを探す。四十歩ほど進んだところで、葉の隙間に青い光が見えた。
眠り粘体が一匹、半分ほど土へ沈んでいる。
近くにほかの個体がいないことを確かめてから、剣先で身体を叩いた。
粘体が平たく潰れる。
跳ぶ。
避ける。
着地と同時に浮かんだ核を叩く。
三度目の攻撃で、青い身体が光へ変わった。
一分には届かなかった。
今度は三十九秒。
開始地点の魔物としては、これくらいでいい。
〈旅人の剣〉でも、一対一なら問題なく倒せる。動きを知っている俺なら、体力をほとんど失わずに連戦できる。
少し待ってみたが、同じ場所に次の個体は現れなかった。
連続出現ではなく、やはり一定時間ごとの再出現らしい。
俺は地面の地図へ一本線を足し、二つ目の地点へ向かった。
川沿いの景色は、ゲームの記憶とよく似ていた。
水面から突き出た灰色の岩。二本並んだ細い木。大きく曲がった川の内側に、黒い石がある。
ただし、完全に同じではない。
ゲームでは草地だった場所に細い水路が掘られ、川の水が畑の方角へ流されている。小さな橋まで架けられていた。
誰かが暮らしているのだから、土地が変わるのは当然だ。
それでも黒い石の北側には、記憶どおり二匹の眠り粘体がいた。水気の多い地面を好む性質までは変わっていない。
一匹へ小石を投げ、もう一匹から引き離す。
音を追ってきた個体だけを、橋の手前まで誘導する。
一匹目、四十二秒。
二匹目、三十六秒。
柄へ巻かれた革紐が、少しずれた。
ゲームなら、耐久値が尽きるまで同じ見た目と性能を保つ。現実の剣は、攻撃を受け止めるたびに柄が軋み、巻かれた革も緩んでいくらしい。
俺はポケットからハンカチを出し、ずれた革紐の上へきつく巻きつけた。
これで抜け落ちはしないだろうが、握り心地は悪くなった。俺の手にも少しずつ疲れが溜まっている。
数字に表示されない違いはある。
だが、ゲームの知識が役に立たないわけではない。
出現地点も、魔物の性質も、弱点も知っている。現実に合わせて細部を直せば、十分に使える。
その事実が、俺には嬉しかった。
三つ目の地点へ向かうには、小さな林を抜ける必要がある。
林の入口まで来たところで、道を塞ぐ太い枝が見えた。
幹そのものではない。上から落ちた太い枝が、二本の木へ引っかかっている。地面から胸ほどの高さがあり、下をくぐれば服を汚し、越えようとすれば足を取られそうだった。
ゲームにはなかった障害物だ。
俺は右へ回り込める場所を探した。
「申し訳ないが、そこを少し空けてもらえるかい。枝を払いたいんだ」
声に振り返る。
少し離れた場所に、麦わら帽子をかぶった老人が立っていた。
片手には小さな手斧。背中には木箱を背負っている。箱の隙間から低い羽音が聞こえた。
俺が道の端へ寄ると、老人は太い枝の前へ立った。
「巣箱を運ぶ道だからね。これが張り出していると、箱が引っかかるんだ」
手斧を振る。
一度だけだった。
俺の胴体より太い枝が、乾いた音を立てて真ん中から折れた。
老人は片方を右手、もう片方を左手で持ち、道の脇へ静かに置いた。
乱暴に投げないのは、地面の草花を潰さないためらしい。
俺は口を開き、閉じた。
先ほどの老婆は、くしゃみでスライムを飛ばした。
今度の老人は、手斧の一振りで落ち枝を片づけた。
「ありがとうございます」
「こちらこそ、待たせたね」
老人は穏やかに笑い、俺の手元にある剣へ目を留めた。柄には、応急処置で巻いたハンカチが残っている。
「その剣を使っていたのかい?」
「代わりの武器がなくて」
「武器」
老人は少し考えてから、背負った木箱の脇袋から黄色がかった細い紐を取り出した。
「その巻き方では、振ったときに手から抜けるよ。少し貸してごらん」
俺が剣を渡すと、老人はハンカチと緩んだ革紐を外した。代わりに黄色い紐を柄へ巻き、指が滑らないよう等間隔に結び目を作っていく。
一分もかからなかった。
「巣枠を固定する蝋引き紐だ。汗や雨でも緩みにくい」
「いただいていいんですか」
「紐だからね。遠慮するような物ではないよ」
返された剣を握る。攻撃力の数字は変わっていない。それでも柄が手のひらへ吸いつくように安定し、先ほどまでより狙いをつけやすかった。
「以前は戦士だったんですか」
老婆へ尋ねたときと、ほとんど同じ質問が口から出た。
老人は麦わら帽子のつばを上げる。
「養蜂家だよ」
背中の箱から、ぶん、と蜂の羽音が返ってきた。
「手斧は?」
「巣箱の周りへ枝が落ちると困るから持っているんだ」
戦士でも、木こりでもない。
養蜂家だった。
「この辺りには、あなたのような人が多いんですか」
「蜂を飼っている人かい?」
「いえ、その……力の強い人です」
老人は困ったように自分の腕を見た。
「私は手先を使う方が得意でね。力仕事なら、川向こうの果樹園へ行くといい。あそこの人たちは大きな木も運ぶよ」
どうやら、これでも力仕事が得意な部類ではないらしい。
老婆一人が特別だった、という可能性はかなり低くなった。
だが、これだけで世界中の人間が強いと決めるのも早い。
老婆も老人も、高齢で、戦闘とは無関係の仕事を名乗っている。そして、同じ町の近くで暮らしている。
ゲームに配置された隠し人物が二人いるのではない。
ゲームにはなかった水路と橋が造られている以上、俺の知っている時代から時間も経っている。
ゲームの物語が終わったあと、高レベルになった冒険者たちがこの土地へ移り住み、仕立て屋や養蜂家として静かに暮らしているのではないか。
開始地点の町は、いつの間にか引退した英雄たちの隠れ里になった。
それなら、二人の強さとゲームの記憶を同時に説明できる。
未知の範囲は、老婆一人から、この土地へ広がった。
町へ入れば、この仮説を確かめられる。
老人へ礼を言い、林の奥へ進む。
三つ目の出現地点には、眠り粘体が三匹いた。
巻き直された柄はよく働いた。
核を叩いたときの衝撃が手元で逃げず、狙いが中心からずれない。攻撃力の数字は同じでも、正確に当てれば一匹につき二度で倒せた。
一匹目、二十七秒。
二匹目、二十五秒。
三匹目を倒した瞬間、胸の奥で音が鳴った。
《レベルが3に上がりました》
身体が少し軽くなる。
試しにその場で跳ぶと、さっきより高く足が浮いた。剣も、目を覚ました直後より軽く感じる。
レベルは数字だけではなかった。
この身体は、確かにゲームと同じ規則で強くなっている。
俺は地面の地図へ、倒した六匹分の印をつけた。
老人と話していたため、最初の窪地へ戻っても十二分を正確には測れない。再出現周期の確認は、次に巡回するときへ回すことにした。
レベル1から3まで、一日もかかっていない。
ゲームで同じ条件から始めた場合と比べても悪くない。剣一本しかなく、支援もないことを考えれば、かなり速い。
魔物の出現地点、行動、経験値、レベルアップ。
魔物側の規則は、ゲームの知識で説明できる。
人間側は、引退した英雄たちの土地という仮説まで広がった。
次に確かめる場所は、町だ。
日が傾き始めていた。
ただし、空腹のまま未知の町へ入る必要はない。先に回復薬と保存食を確保しておきたい。
幸い、その場所も知っている。
北の稜線。折れた角のような岩。その裏側に、ゲームでは初心者用の隠し宝箱が置かれていた。
俺は黄色い紐の巻かれた〈旅人の剣〉を手に、岩場へ向かった。
道は少し変わっていたが、目印になる岩は残っている。
岩の裏へ回る。
宝箱も、そこにあった。
ただし、記憶にある古びた木箱ではない。
雨風の中でも見落としようがないほど鮮やかな赤色に塗られ、岩へ太い金具で固定されていた。
蓋には、ゲームの時代にはなかった白い印と、大きな文字が記されている。
隠し宝箱にしては、あまりにも見つけやすかった。




