倒せる異常は、危険ではない
五か所を結ぶ試験運用の日、俺たちは西部第一実習場の管理室にいた。
窓の向こうには、王冠銀粘体の飼育棟が並んでいる。
俺がレベル15になった西部第四実習場と、ほとんど同じ造りだった。
第一から第五までの実習場へ、一台ずつ金電話が運ばれている。
五台に組み込まれた金板は、すべて同じ金の山から切り出した物だ。
バルクが共鳴箱を大型化し、盗賊課程の生徒が親番号を保ったまま板を加工した。距離による音の減衰は、各会場で生徒の操作員を二人ずつ置き、一定の弱さで魔力を流すことで補っている。
正式な指示書は、すでに暗殺者通信で各地へ届いていた。
金電話で行うのは、開始確認と状況共有だけ。
試験中に設備異常や本人確認の疑いが出た場合、通信を停止する。
何か起きたときに便利だからこそ、何か起きたときの止め方まで決められていた。
「第一実習場、三枝透。午前九時。五地点通信試験を開始します。本時の合言葉は、銀の王冠」
俺の声が振動板へ入る。
ルナが発言記録へ開始時刻を書いた。
ガルドとセドリック先生は、少し離れた机で運用を見守っている。
『第二実習場、ハンナ・クレイ。午前九時。合言葉、銀の王冠。開始を確認しました』
『第三実習場、ジオ・ワレン。午前九時。合言葉、銀の王冠。開始を確認しました』
第四。
第五。
順に声が返ってくる。
校内試験より音は小さく、ときどき語尾が擦れた。
それでも、五か所の担当者が同じ挨拶を聞いた。
通信塔なら、四か所へ四通を送り、返事をまた第一実習場へ集めるところだ。
金電話では一度で済む。
「第二から第五実習場。飼育棟の点検結果を、順番に報告してください」
俺が指名する。
柵、給水路、飼料鐘、王冠銀粘体の頭数。
各地の報告を、ルナが短い文へ整えて記録していく。
バルクは距離ごとの音量を測り、共鳴箱の調整ねじへ印をつけていた。
開始から二十分。
混線は一度もない。
俺は自分が、レベル上げではなく会話の順番を攻略していることに気づいた。
画面の向こうで一人だけ正解を選ぶのとは違う。
全員が正しい情報を持てるようにする。
その方が、今は面白かった。
窓の外で、飼育棟の扉が開いた。
来月の上級職課程移行実習へ向けた、午前の体力調整試験が始まる。
職員が一体の王冠銀粘体を調整区画へ移した。
俺が受けた基礎成長実習では、職員が一体ずつ指で弾き、体力を残り一へ合わせた。
上級職の専門進路が決まった生徒をまとめてレベル99へ上げる移行実習では、何百体もの体力を同じ時間帯に調整する。そのために使うのが、《牧場規定・一括体力調整術式》だった。
今日は本番ではない。一体だけを使った、出力確認である。
魔法使いの職員が杖を向ける。
青白い光が、王冠銀粘体へ当たった。
銀色の体が平たく潰れた。
次の瞬間、縁から小さな塊が三つ、千切れるように飛び出した。
「今のは?」
俺が立ち上がるより早く、現場の職員が動いた。
一人が本体と生徒の間へ入る。
もう一人が飛び出した塊を、床ごと氷で覆う。
三つの塊は封じられた。
十秒もかかっていない。
警報は鳴らなかった。
避難指示も出なかった。
誰一人、負傷していない。
「通信試験を一時停止します」
ガルドが管理室の扉へ向かいながら言った。
「現場を確認します。ほかの会場は通常待機を」
俺は指示を復唱し、四会場へ伝えた。
ルナが発言記録へ時刻を書く。
ガルドと職員はすぐに調整区画へ入った。
凍らされた三つの塊を検査台へ移し、本体の核と体力を測る。
結果が出るまで、十五分ほどだった。
「分裂体に核はありません」
戻ってきたガルドが報告した。
「本体の核は一つ。飛び出した三体には、追加の経験値も確認できません。攻撃性はなく、氷結後の再活動もなし」
彼は異常をなかったことにしなかった。
現場記録を作らせ、分裂体を別容器へ保存し、使用した魔法の出力まで測らせている。
「では、試験通信を再開します」
セドリック先生が確認する。
「この現象についての聞き取りに限ります。正式な事故報告は文書で行ってください」
金電話は記録を自動で残さない。
声だけでは本人確認もできない。
それでも今なら、四か所の担当者へ同時に尋ねられる。
「第一実習場、三枝透。午前九時四十二分。目視した事実を報告します」
俺は、見た順番のまま話した。
高出力の一括体力調整術式が当たったこと。
本体の縁から、三つの小さな分裂体が生じたこと。
職員が十秒以内に封じ、負傷者も設備被害もなかったこと。
「第二実習場。同じ挙動を見たことはありますか」
しばらく返事がなかった。
音が届かなかったのかと思ったとき、弱い声が返る。
『第二実習場、ハンナ・クレイ。午前九時四十三分。記録を確認しました。六日前、同系統の一体から分裂体一体。体力調整後に発生。現場で処理し、飼育経過観察として記録しています』
ルナの筆が止まった。
「第三実習場、報告を」
『第三実習場、ジオ・ワレン。午前九時四十四分。目視情報ではありません。担当職員の記録では、三日前に分裂体二体。攻撃性なし。処理時間八秒』
第四実習場でも、一件。
第五実習場でも、一件。
これまで各地では、別々の小さな異常として処理されていた。
柵は破られていない。
人は傷ついていない。
レベル99の職員なら、数秒で倒せる。
それぞれの現場だけを見れば、大きな事故ではなかった。
金電話が、五つを一つの現象として並べた。
「共通しているのは、新しく配布された系統です」
ルナが記録を見比べた。
「発生時期は一週間以内。いずれも移行実習へ向けた体力調整試験の後です」
「魔法の術式も同じです」
バルクが、事前に配布された作業手順書を開く。
「五か所とも、牧場規定の一括体力調整術式を使っている」
俺はゲームの記憶を探した。
王冠銀粘体が分裂するなんて知らない。
倒せば経験値が入り、ゴールドを落とす。それだけの魔物だった。
知らないのは、また俺だけではなかった。
この現象は、現地の教科書にもまだ載っていない。
「強い魔力を受けて、衝撃を逃がしたように見えました」
俺が言う。
「可能性はあります」
ガルドは否定せず、かといって結論にもせず、記録へ加えた。
「現時点で確認できるのは、新系統で小規模な分裂が起きたこと。分裂体は弱く、経験値を持たず、職員が容易に処理できることです」
五会場の報告をもう一度読み上げさせる。
件数。
処理時間。
負傷者。
設備被害。
すべて確認した後、ガルドは分類名を告げた。
「監視継続を要する軽微な異常として、地方記録へ登録します。新系統は追加検査。体力調整時には職員を一人増やし、分裂体を発見した場合は保存してください」
「実習は止めないんですか」
俺は聞いた。
「現時点では、停止を必要とする危険度ではありません」
ガルドの答えは早かった。
「倒せるから、ですか」
「それだけではありません。負傷者なし、設備被害なし、攻撃性なし。五件すべて、現行の封じ込め手順で処理できています。ただし、同じ系統で続いている以上、通常記録のままにはしません」
筋は通っていた。
第一実習場で見たものも、危険には見えなかった。
レベル1の俺でも倒せた眠り粘体より弱く、レベル99の職員には触れることさえできない。
それでも、ルナの記録には五つの実習場名が並んでいる。
同じ時期に。
同じ系統で。
同じ作業の後に。
「通信試験は、ここで終了します」
セドリック先生が言った。
「実際の施設異常を扱った以上、これ以降は試験設備ではなく、正式な通信経路へ移します」
ガルドも頷いた。
「各会場は、記録の写しを暗殺者通信で第一実習場と学校安全審査へ送ってください。試験機は手順どおり停止。金片を照合し、学校管理の保管箱へ封印を」
未確認情報を隠すためではない。
誰が話したか証明できず、会話も自動で残らない試験機を、事故調査の正式経路には使えないからだ。
俺たちは終了を伝えた。
一か所ずつ、復唱が返る。
第三実習場。
第四実習場。
第五実習場。
最後に第二実習場の声が消え、金板はただの薄い金へ戻った。
バルクが振動板を外す。
ルナが切りくずまで数える。
俺は共鳴箱を布で包み、蓋の開いた保管箱へ収めた。
五つの実習場で、五つの箱が同じように閉じられていく。
金電話の声は止まった。
だがルナの記録には、五つの実習場名の横へ、同じ一語が残っていた。
分裂。




