電話を知らない天才たち
『加工室、聞こえます。三枝さんの声です』
金板から出たルナの声は、薄い紙を一枚挟んだように頼りなかった。
それでも、聞き間違えようがない。
「こっちも聞こえる」
俺が答えると、一拍置いて教材室から歓声が上がった。
扉越しに直接聞こえた声の方が、金板の声より大きかった。
最初の通話距離は、廊下一本分。
胸を張るには短い。
だが、昨日までは存在しなかった距離でもある。
「この道具に名前はありますか」
教師に問われ、俺は迷った。
元の世界と同じ物ではない。
線もない。呼び出し音もない。相手を一人だけ選ぶこともできない。
それでも、用途は同じだった。
「電話、と呼んでいました。遠くの人と、声で話す道具です」
「デンワ」
バルクが音を確かめるように繰り返す。
金板で作る電話なので、実験記録には仮称「金電話」と書かれた。
「構造は?」
「分からない」
「どの部品で声を振動に変える?」
「知らない」
「振動を声へ戻す部分は?」
「それも知らない」
バルクは黙って俺を見た。
「本当に知っているのか」
「使い方なら」
完成品を毎日使っていた。
だが、分解して組み立てたことなど一度もない。
俺が知っているのは、受話器を耳へ当てることと、遠くの相手へその場で話しかけられることだけだった。
「十分です」
教師が助け舟を出した。
「用途が先に分かれば、必要な性能を決められます。ノーエンさん、声を聞き取りやすくする構造を。セイルさんは、同じ親番号を保った薄板の追加加工を。私は発声補助魔法の波形を調べます」
役割を渡された瞬間、二人は動いた。
バルクは木枠を外し、金板の裏へ大きさの違う木箱を当て始めた。
ルナは残りの板から細い円板を切り出し、縁へ印を刻んでいく。
教師は俺の魔力を測定具へ通し、声を出したときだけ生じる揺れを記録した。
俺も電話の絵を描いた。
四角い箱から受話器が伸びている。
「この線は何につながる」
「たぶん町中の線」
「たぶん?」
「家の中では壁につながってた」
バルクは俺の絵を裏返した。
使える情報が少なすぎたらしい。
代わりに彼が描いたのは、薄い金板を張った小さな共鳴箱だった。
前面へ漏斗形の筒があり、側面から耳当てが伸びている。
「同じ板で話す音と聞く音を扱うから、耳へ届く前に自分の声が響く。口側と耳側を分けたい」
「金板を二枚使うのか」
「同じ親番号なら、どちらも全体と共鳴する。できるはずだ」
俺の世界の電話に似た形を、電話を知らない十五歳が先に作った。
一号機ができたのは、その日の放課後だった。
試験場所は加工室と、一階下の教室。
話す側の板へ発声補助を流し、聞く側の板へ耳を当てる。
「一階教室、ルナ・セイルです。加工室、聞こえますか」
今度の声は、最初よりはっきりしていた。
「加工室、バルク・ノーエン。聞こえる」
俺は二人の横で頷く。
すると一階からルナの声が返った。
『頷くだけでは分かりません』
「電話だった」
見えない相手と話す作法を、俺自身が忘れていた。
二号機では、校舎の端と端を結んだ。
三号機では、教師が操作を試した。
「では、始めます」
教師は慎重に出力を絞った。
金板が、べこん、と内側にへこんだ。
耳当てから金属を引っかいたような音が響き、全員が耳を離す。
「申し訳ありません。通常の発声補助の百分の一でも強すぎますね」
教師は変形した板を観察し、すぐ記録を取った。
レベル99だから、弱い魔法を使えないわけではない。
ただ、普段の生活で必要とされる弱さより、さらに何段階も小さな制御だった。
俺たち低レベル組は、全力を出しても板を壊せない。
この道具に限っては、未熟さが安全装置になっていた。
「訓練すれば大人も扱えます」
教師は測定値を見ながら言った。
「ですが現時点では、皆さんの方が安定しています。これは重要な記録です」
低レベルだから学校に送られた俺が、低レベルだから任される。
少しだけ可笑しかった。
少しだけ、嬉しかった。
三号機の板を直す間にも、問題は増えた。
中庭まで距離を伸ばすと、声は急に小さくなった。
バルクが共鳴箱を大きくすると聞きやすくなったが、箱まで大きくなり、持ち運びにくい。
同じ親番号の板を三組に分けると、三か所すべてへ同じ声が届いた。
特定の一台だけを呼ぶ方法はなかった。
二人が同時に話せば、声は重なって言葉にならない。
そして、もっと困ることが起きた。
「今、倉庫から返事がありました」
ルナが耳当てを外す。
「倉庫?」
「教材の残りを整理していた生徒です。切り落とした金片から、私たちの会話が聞こえたそうです」
共鳴箱も耳当ても要らなかった。
同じ親番号の金を一片持っていれば、近距離ならかすかに聞こえる。
電話の外にいるつもりの相手まで、勝手に参加者になる。
「盗み聞きし放題ですね」
ルナの声が硬くなった。
「声を似せる技能もあります。今のままでは、誰かが教師の声で指示を出しても確認できません」
「でも、まず距離試験だけ続けないか。どこまで届くか分からないと、使い道も決められない」
「反対です」
ルナは迷わなかった。
「同じ番号の金片が何枚あり、誰が持っているか確認できるまで、声を流すべきではありません」
「電話は、遠くへ届いて初めて――」
「三枝さんが知っている電話には、聞いている人数さえ分からない欠点がありましたか」
返事に詰まった。
「俺もルナに賛成だ」
バルクは共鳴箱から金板を外した。
「作った俺たちが部品の数を知らないまま動かすのは駄目だ。距離は、数えた後でも測れる」
二人が正しい。
それでも、すぐに頷けなかった。ようやく見つけた自分の役割を、完成する前に止められたように感じた。
「……分かった。金片を全部確認するまでは止める」
ルナは勝ち誇らなかった。封印用の箱と、親番号を照合する台帳を取りに走った。
その日の距離試験は、そこで中止した。切りくずまで回収し、加工記録の数と一致することを確かめてから、金片を箱へ封じた。
俺が持ち込んだ用途を、バルクが形にした。
教師が魔法として成立させた。
そしてルナが、使ったときに人が起こす問題を見つけた。
実験を見に来たセドリック先生は、三台の記録へ目を通した。
「遠距離試験へ進む前に、校内三地点で運用試験をしましょう。ただし、機械の改良だけでは許可できません」
「盗聴を防ぐ箱が必要ですか」
バルクが聞く。
「それも必要です。しかし先に、誰が、いつ、何を話すかを決めなければなりません」
試しに三台をつなぎ、俺、バルク、教師が別々の場所から話してみた。
『加工室、聞こ――』
『中庭です。先ほどの――』
『こちら二階教室、音量を――』
三人分の声が重なり、耳当てから巨大な唸り声だけが返ってきた。
誰かが譲ろうとして黙り、同じ瞬間に全員が話し始める。
二度目も同じだった。
横で記録していたルナが、紙面から顔を上げた。
「足りないのは性能ではありません」
彼女は三本の発言時刻へ、赤い線を引いた。
「この道具には、通信の規則がありません」




