碌 「偽物なんかじゃありません」 5
ドアが開かない。
何度も力任せに押したけれど、全然開かない。
「環、どうした?」
ドアの向こうから琥珀さんの声がした。ドアのガラスの部分から向こうを除くと、アイちゃんとアイちゃんのライトに照らされた琥珀さんが見えた。
二人共、慌てた表情でこちらを見ている。
「ドアが、…ドアが開きません」
「なんだって」
私の背後から、ひーちゃんの声が飛んできた。
私達の間に、張り詰めた緊張感が生まれる。
ひーちゃんは駆け足でドアに近寄って、私よりも強い力で、ドアを横に押す。
およそ、ドアを開けるのに必要な力を、満たして有り余る程の、むしろ、老朽化したドアを壊してしまいかねないぐらいの力を加えているのに、ドアは頑なに開くことを拒んだ。
「双六! そっちにいるな」
「はい。教室の中にいます」
「オレとお前で、ドアを開けるぞ」
琥珀さんが双六君を指名したことに、ひーちゃんは不服そうだったが、双六君が力持ちだということを知っている私が、ひーちゃんを引っ張るようにして、ドアから離した。
一流のスポーツマンのような、集中した瞳で取っ手を握る双六君。教室の外の琥珀さんの様子は窺えないが、向こうで双六君のように、取っ手を握っていることは想像し易い。
「行くぞ、せーの!」
琥珀さんの掛け声で、双六君は限界まで縮められていたバネのように弾け飛び、体重を掛けてドアを横に引いた。
小さな体からは想像もできないスピードで、サラサラの髪をなびかせながら、取っ手を引く双六君。向こう側では、琥珀さんも力一杯ドアを開けようとしているに違いない。
しかし、ドアはビクともしない。
取っ手が取れるのが先か、ドアが歪むのが先か、そんな状況だと言うのに。
一分程、二人はドアをこじ開けようとしたが、引くのをやめて、ひとまずドアから離れた。
「やられたな」
ドアの向こう側から、悔しそうな琥珀さんの声が聞こえた。
「霊…ですか?」
「今、見てみる。ちょっと待ってろ」
琥珀さんは私の質問を保留した。
でも、口ぶりから察するに、ほぼ確信しているようだった。
これが、悪霊の仕業だということを。
「見えましたか?」
双六君が急かすように聞く。
ドアの向こうからの返答は、予想通りのものだった。
「あぁ、無数の手が取っ手を掴んでやがる」
緊張感が、一気に高まる。
私とひーちゃん、双六君は、この教室に閉じ込められてしまった。
死への恐怖が、私を襲う。首と肩に、あの冷気が甦る。
「くそ。とりあえず、全員ドアから離れろ。オレがなんとかしてそっちに行くまで、三人で固まってろよ」
琥珀さんの命令に、私や双六君はもちろん、ひーちゃんも素直に従った。
言い争っている場合ではない。皆それを、直感的に理解していた。
「いいか。コッチはドアを開けるのに、役に立ちそうなものを探して来る。ソッチは三人で固まったまま、大人しくして、霊を刺激するなよ」
「私達を置いて行くんですかぁ?」
恐怖で声が震えた。
我ながら情けないなと思ったけれど、気丈に振る舞えそうにない。
「すぐに戻る。何かあったら、双六を頼れ」
「双六って、…何をアホなことを言ってんだよ!」
ひーちゃんが間髪置かずに噛みついた。
こんな状況への恐怖よりも正義感が強かったようだ。
でも、ひーちゃんの表情に、いつもの強い意志がこもった気迫がない。
「お前、一人で逃げるつもりなんだろ」
「違ぇよ。まぁ、ついでにコイツを安全な場所に避難させる予定はあったけどな」
コイツというのは、きっとアイちゃんのことだろう。
「信用できないね」
「する必要はねぇよ」
琥珀さんの声に、普段程の余裕はないが、私達よりも格段に落ち着いていた。
経験値の差かも知れない。なんて思った。
案外、私も頭は冷静なのかも知れない。
「信用する必要がないって、どういうことだよ」
「お前たちに信用してもらおうが、されなかろうが、オレの行動は変わんねぇだろ?」
もっともな台詞だった。
開かないドアによって、私達と琥珀さん達は隔たれているのだ。
私達が琥珀さんを止める手立てはない。
「琥珀さん、大丈夫です。僕が環姉さんと東堂さんを守りますから」
二人の小競り合いに割って入ったのは、今までと打って変わって、真剣な表情の双六君だった。
普段は大きくて垂れ気味の瞳が、今は鋭く険しい眼になっていた。
「任せたぞ、双六。無理はすんな」
「か、勝手なこと、言わないでください」
ドアの向こうの廊下に、琥珀さんとアイちゃんの言い争う声が反響している。
よく聞こえないけれど、雰囲気から考えるに、アイちゃんは自分だけ、逃げることが嫌らしい。
「アイちゃん! アイちゃんは助けを呼んで来て。琥珀さんがビビって逃げ出してもいいように!」
気が付いたら、私はそう叫んでいた。
「…でも、……うん。三人共、待っててね!」
察しがいいアイちゃんだ。
アイちゃんが助けを呼びに行ってくれれば、ひーちゃんもわざわざ琥珀さんに噛みつくことはなくなるはずだ。
「環、お前覚えてろよ」
まとまりかけた雰囲気に、琥珀さんが一石を投じた。
確かに、この言い方は悪かったな。
「ひーちゃん、タマちゃん、双六君。待っててね!」
「いいか、くれぐれも勝手に行動して、霊を刺激するなよ」
二人はそう言い残して、足早に私達から遠ざかって行った。
本音を言えば、行かないで欲しかった。とても心細くなるから。
琥珀さんに、絶対な信用を持っているわけではないが、それでもどこか、琥珀さんの存在は心の支えだったのだろう。
ひーちゃんやアイちゃんとは、別の意味で。
「環姉さん。僕がいますから。その、安心してください」
双六君は、強がってそう言った。いや、全然強がっていない。
表情一つを取っても、双六君は私達よりもずいぶんと冷静だった。
本当にこの子は一体、何者なんだろうか。
私は、恐怖で潰れそうな心で、そう思った。




