碌 「偽物なんかじゃありません」 4
唯一鍵がかかっていない入口がなかったので、壊れかけている窓から侵入することになった。
ちょっとした罪悪感と、スリリングな興奮が私の中に生まれた。
「探索する前に、一つ、小さな問題がある」
琥珀さんは、そう前置きして、手に持っていた懐中電灯を皆に見せる。
「懐中電灯の数が足りない。誰が持つか決めるぞ」
琥珀さんが持って来た懐中電灯は全部で、三本。
急遽増えた、ひーちゃんとアイちゃんの分は、ない。
「環、まず、お前が持て」
「はい。お言葉に甘えます」
夜中の学校ということもあり、何か出そうな雰囲気に飲まれ、さらに、一度、霊に命を狙われている身ということもあり、素直に懐中電灯を受け取った。
残る懐中電灯は二本。
「残りの二本は、双六と藍のでいいだろう?」
ひーちゃんがやや喧嘩腰で提案する。
琥珀さんは双六君の方を見て、双六君に確認する。
「お前、懐中電灯いるか?」
「なくても大丈夫ですよ。月が明るいので、結構見えます」
「そういうことだ。残りの懐中電灯は、お前らが持てよ」
琥珀さんが残り二本を、ひーちゃんとアイちゃんに投げて渡す。
陸上部に所属している運動神経抜群少女こと、ひーちゃんはちゃんとキャッチしたけれど、スポーツ全般が苦手なアイちゃんは取り損ねて、地面に落とした。
「私はいらない。双六は一番年下だ。だから、双六に持たせるべきだ」
「本人が大丈夫だっつってんだから、いいじゃねぇーかよ」
面倒くさそうに後頭部を掻きながら、琥珀さんは言う。
真摯さに欠ける態度が、ひーちゃんの正義感を逆撫でてしまったようで、言い返すひーちゃんの声に力が入る。
懐中電灯で琥珀さんを指しながら、よく通る真っ直ぐな声でこう言った。
「本人がどうこうという問題じゃない。第一、こんな子供を連れてくること自体、非常識だ」
「生憎だが、お前よりは長生きしてるんでね。それなりの常識は身につけてるさ」
小学校中退が、どの口でそれを言っているんだろうか。
「お前は、どういう神経してるんだよ」
「オレはお前より、双六のことを知っている。口出しすんな」
「関係ない! どう考えても非常識だ」
言い争いは、信じられないスピードで口喧嘩に発展した。
本当に犬猿の仲だ。
このままだと、私の記憶探しどころではない。私は意を決して、二人の喧嘩を止めるべく、二人の間に割ってい入る。
「二人共、落ち着いて。双六君は私と一緒に懐中電灯を使うから、それでいいでしょう?」
「よくない! 環は、黙ってて!」
文字通り瞬殺だった。
不慣れな私に、援護射撃を送ってくれたのは、アイちゃんだった。
「はいはい。そこまで。今日の目的を忘れたの? このままじゃ、時間がなくなっちゃうよ」
パンパンと手を叩きながら、私の隣に移動して、ひーちゃんと琥珀さんの間に、二人分の距離を作る。
ひーちゃんと琥珀さんは口を噤んだが、二人共、自分の意見を引っ込める気がないのは、顔を見ればわかる。
私の足元からひょっこりと登場した双六君が、恐る恐るといった具合に、こう言った。
「僕は、大丈夫です。暗い所とかは慣れてますから。東堂さんが、持っていてください」
面と向かって本人にこうもキッパリ言われてしまえば、仕方がない。
ひーちゃんは、わかった。と短く了解した。
「でも、双六。…環から離れちゃ駄目だぞ」
相手が子供という事もあって、少々柔らかい言い方で、ひーちゃんは双六君に言った。
「はい。環姉さんから、離れないようにします」
より一層強く、私の服の裾を掴む双六君。
なんか、すごく懐かれてる。
いい気分しかしない。
「ボチボチ行くぞ。このままじゃ、ココが解体されちまう」
琥珀さんの余計なひと言で、再びひーちゃんと琥珀さんの口喧嘩が勃発したのは、言うまでもないと思う。
*****
静寂に支配された空間に、私達の疎らな足音が響く。
無音を破る足音。それが自分らが発した音だとわかっていても、不気味さは拭えない。
夜中の校舎。それも廃校舎。この建物が発する残留思念のようなオーラを感じて、私達の口数が極端に減った。
月が明るいと双六君が言っていたが、建物の中は真っ暗で、私達の視線は、懐中電灯による三つの楕円の光に注がれていた。
明後日には解体される小学校に、電気が通っているはずもなく、無意味にぶら下げられた蛍光灯が、物悲しい。
彼らに、今後、出番はない。そう思うと、変な同情をしてしまう。
「やっぱり、夜の学校って、雰囲気ありますね」
私が今の気持ちを率直に言葉にすると、琥珀さんは、あぁ。と小さく相槌を打ってくれた。
「しかし、オレがいた頃と、だいぶ変わったな。まぁ、十四、五年ぐらい前だから、当然か」
琥珀さんは複雑な表情をしていた。
昔失くした落し物を拾い損ねたような、残念だけど仕方がない。そんな哀愁に似た表情。
「環。ここが私達のクラスだぞ。六年二組」
ひーちゃんは懐中電灯で、「六年二組」と書かれたプレートを照らしながら、そう言った。
ここが、私達のクラスだった教室。
何も思い出さない。頭痛すら、しない。
「鍵はねぇみたいだな」
琥珀さんがそう言いながら、教室の扉を押し開く。
ミニマムサイズの机と椅子が、埃が積もった背の低い黒板と、ボロボロに風化したチョークのほうを向いている。
旧型のテレビとビデオデッキ。箒や雑巾、塵取りが仕舞われているロッカーのような掃除箱。誰かが忘れて行ったであろう科学セット。もう二度と使われることはない。
教室の隅には、ピアノでもあったのだろう空白のスペースが、寂しげに存在していた。
「タマちゃん、どう?」
「ううん。何も思い出さない。可笑しいね。思い出がいっぱいの教室のはずなのに」
私はそんなに、皆との関係を軽視していたのだろうか。
友達との生活に、どこか面倒くささを感じていたのだろうか。
冷めた気持ちで、ひーちゃんやアイちゃんと、遊んでいたのだろうか。
薄情な自分に嫌気が生まれる。本当に嫌になる。
「私は色々、思い出すな」
ひーちゃんが私の隣に来て、そう前置きする。
「藍が、苺の匂いがする消しゴムを学校に持って来て、皆に自慢しててさ。そしたら、クラスの男子に、その消しゴム取られたんだよ」
「思い出したよぅ。体が大きい食いしんぼうの……名前なんだっけ?」
「ゴリって呼んでた記憶しかないな」
憎まれっ子世に憚る。なんて中身がない言葉なのだろう。
「消しゴムを取り返してくれたの、タマちゃんだったよね」
「そうだったな。私が先生を呼びに行っている間に、ゴリと取っ組み合いの喧嘩をしてたな」
そんな記憶はない。
でも、すごく恥ずかしい気分だ。
私に最後に、トドメを刺したのは、他でもない双六君だった。
「環姉さんって、昔は、やんちゃで喧嘩早かったんだ。琥珀さんみたいだね」
「うぅ…」
私は、何も言い返せなかった。
記憶がないというのが、理由の全てじゃない。
「もっと、別のカッコイイ思い出はないの~」
私は自分のイメージを取り戻すために、話題を変えることにした。
「あるよ~。それは、ある授業参観の日でした~」
間髪置かずに、アイちゃんが手を挙げて、そう言った。
そして、ゆったりとした口調で、話し始めた。
「その日は、親の前で裁縫をする時間だったんだよね。この学校、ちょっと古風だから、針と糸を使って手で縫う裁縫」
「ボタンが外れた時とか、役に立つから、文句はないけどな」
ひーちゃんが何かをフォローするように言う。
私は、裁縫の授業があったんですか? という視線を琥珀さんに悪戯っぽく送ると、琥珀さんは口パクでバーカ。と返してくれた。
その頃には、既に中退していたようだ。
「タマちゃんは、裁縫がめちゃくちゃ苦手だったからね」
「裁縫というより、針の穴に糸を通せない人間だったな」
「うん。お淑やかの対になる存在だからね」
アイちゃん、それは、言いすぎだ。
私はアイちゃんに、無言のプレッシャーを放つが、飄々(ひょうひょう)とした笑顔で無視された。
「だからね、クラスの親御さんの前で、一時限丸々、針の穴に糸を通そうとして、終わったのだよ」
「え、え、それって、どういうこと」
私は、素直に質問した。
「授業参観に来た全ての親に、見守られながら、針の穴に糸を通そうと、悪戦苦闘していたってことだな」
ひーちゃんが、結果を言わないように気をつけて、私に説明してくれた。
「あの頃は一時限が四十五分。環、泣きそうだったな」
つまり、こういうことだろう。
四十五分間。クラス中の親御さんに見られながら、針の穴に糸を通し続けていたということだろう。
しかも、一度として、成功しなかったようだ。
私、よく逃げずに頑張ったね。四十五分も晒しものになって。
「でも、一回だけ奇跡的に糸が通ったんだよね」
悪意を感じる言い方で、アイちゃんが言う。
ひーちゃんには、アイちゃんの悪意を汲み取って、さらっと相槌を打つ。
「そうそう。あの時の感動は、クラスと親御さん、皆で分かち合ったな」
「ずいぶん、感動的な授業参観だな」
皮肉るように琥珀さんが呟く。
私は、身に覚えがないことなので、反論もせず、小さくうなだれた。
「結局、通った糸も、手元を狂わせて落として、抜けちゃったしね~」
きっと、クラス全体で哀愁を分かち合ったことだろう。
話が一通り終わったようなので、私はずっと言いたかったひと言を我慢せずに言った。
「それのどこが、カッコイイ思い出なのー!」
*****
前の私に関係する思い出話が終わり、学校の施設を一通り見て回ることになった。
でも、私には、そこまでする価値が、だんだんわからなくなってきていた。
正直に言うと、私の記憶は、この程度のことで戻らないと、根拠はないが、強く確信していた。
「どうしたの環?」
いつまでも、立ち止っている私に、ひーちゃんが心配そうな声で尋ねる。
「何でもないよ。ただ、ちょっと、ね」
「迷ってるのか」
確信を突く、ひと言。
ひーちゃんの真っ直ぐさが、少し心に痛い。
「なんで、こんなに頑張ってるんだろうって、思っちゃって。ゴメン、自分勝手だね。ひーちゃん達を付き合わせておいて、そんなこと言うの」
「別に。だって、私達、好きで付いてきたんだ。でも、…」
ひーちゃんは一拍置いて、ジュゴンさんや琥珀さんにはない、真摯な表情で、こう言った。
「でも、私は環がまた傷つくのを見たくない。環がまた遠くに行くのが嫌だ。だから、悪霊退治、頑張って欲しい」
「記憶を取り戻せば、足がかりが掴めるかも知れない確証なんてないんだよ」
「それでも、今できることを全力でやるしかないだろ」
その通りだ。百パーセント正論。文字通り、正しい論理。
だけれど、私は、論理だけで動けるほど、大人じゃない。
理に適っていても、無駄なこと、嫌なこと、辛いことはしたくない。
それが私の本心だ。
だと言うのに、私は静かに、歩き始めた。
私を動かしたのは、言葉ではなく、ひーちゃんの真剣な瞳。
「死にたくないからね。早く行こうよ」
こんなこと、意味ない。そんな余計な負の感情を胸の奥に仕舞いこんで、私は皆について行くことにした。
自分のことでもないのに、真剣なひーちゃんの強い瞳を見て、足掻いてみようと決心した。
どうせ死ぬとしても、静観しているより、少しでも努力したほうがいい。結果が同じでも、プロセスは、よりよくありたい。
自暴自棄になりかけていた自分を奮い立たせて、私は勢いよくドアを…。
「ドアが、開かない…?」




