伍 「気分かな」 3
私が琥珀さんに案内されたのは、蝶々さんの部屋と似た間取りの和室だった。
確かに間取りは似ていたけれど、蝶々さんの部屋とは違い清潔で、なにより物が片付いていた。
しかし、蝶々さんの部屋よりも異質で、不気味な部屋だった。どこか、なにかズレている。そんな雰囲気が漂う部屋だった。
部屋には箪笥がある以外、大きな家具はなく、生活的なイメージが沸かない部屋だった。
家具の代わりのように大量にあるのは、お面。
目つきが鋭い狐面。惚けた表情のひょっとこ面。幼稚なプラスティック製の戦隊ヒーローのお面。憤怒の表情を浮かべる般若のお面。一度は見たことがあるお面がズラリと壁に飾られていた。
そして、この部屋の主も、お面を身につけていた。赤い顔と長い鼻が特徴的な、天狗のお面。
天狗のお面をつけた人が、部屋の真ん中に敷かれた、清潔感溢れる薄地の白い布団に包まれていた。
お面に隠された顔以外の部位は、まるで隠すかのようにその布団に覆われている。肩や首すら布団の中にある。
性別も、年齢も、性格も、敵意も不明な人だったが、一つだけわかることがあった。
この部屋に充満する怪異的な雰囲気は、お面ではなく、この人が発しているものだということだ。
「紹介する。コイツはジュゴン。犀魚儒良。オレの仕事仲間だ。今は大怪我してるんで、寝かせてやってくれ」
「あぁ、はい。別に構いません」
この人物に対して警戒していたので、琥珀さんの紹介に少し、返答が遅れた。
琥珀さんはそんなことを気にしていないようで、スラスラと話を続ける。
「コイツはオレみたいな霊力もねぇし、蝶々と比べれば知識もねぇ。だが、コイツがいねぇと解決できなかった依頼が沢山あった」
自慢げというよりは、なぜか、嫌味たっぷりと琥珀さんは紹介してくれた。
天狗面の人の表情はもちろん伺えない。お面の向こうで目を閉じて寝ていても、私は気づかないだろう。
そんなことを思っていると、天狗面の人は厳格な天狗の表情に似合わない軽快な口調で話し出した。
その声はとてもハキハキとしていて、とても大怪我をしている患者には見えない。
私の偏見もあるのだけれど、声を聞く限りだと、私よりも年下か同年代ぐらいの男の子の声に聞こえた。
「どうも、ジュゴンです。君が環ちゃんだね。話は点々と聞いてるよ。なんでも死にかけたとか」
昨日のテレビ見た? とでも言うような、気楽な口調でジュゴンさんは言う。
死にかけた。この台詞を、彼ほどあっさりと言える人はいないだろう。死ぬと言うことを知らないかのような気楽さ。もしくは既に経験したかのような余裕で、ジュゴンさんは「死にかけた」と言った。
予想を遥かに超えて、あまりにも緊張感のない声で、あまりにも不謹慎なことを平然と言うのだから、私は面を食らって、返答に困った。
「あの、えっと、はい。運よく助けてもらったようで、琥珀さん方には感謝してます」
「そう? でもさ、もしかしたら死ぬのが少し遅くなっただけかも知れないよ?」
「…そうかも知れませんけど、それでも、私を死ぬ恐怖から救ってくれたことを感謝してます」
「また、死ぬ恐怖を感じることになると思うけどな~。それも、もっと、とっても大きな恐怖」
「いい加減にしておけ、ジュゴン。悪ぃな環。コイツは性格が壊滅してるんだ。聞き流してくれ」
琥珀さんが威圧的にそう言うと、ジュゴンさんはむしろ、逆鱗を逆撫でようとするかのように嬉々と笑っていたが、とりあえず不謹慎なことは言わなくなった。
ほんの少し会話をしただけなのだけれど、私は、ジュゴンさんのことが嫌いになった。
デリカシーと危機感が欠如している。
「それで、環ちゃんの症状を詳しく教えてくれないかな?」
「そうだったな。最初から順を追って説明するぞ」
琥珀さんがそう言うと、赤い顔の天狗はゆっくりと頷いた。
*****
「コイツは夢現環。女子高に通っている十七歳。交通事故に遭ってから記憶喪失になっちまってる」
「交通事故? 先日のことと言い、環ちゃんはとっても運がないね」
冷やかすような、小馬鹿にするような口調で、口を挟むジュゴンさん。
言い返そうとした私を、琥珀さんは手で小さく制して、それを黙殺して続ける。
「環の記憶喪失のことだが、あの斎蓮(ヤブ医者)が言うには、医学的におかしいんだとさ」
「あの人のオカルト好きは病的だけど、医学の知識は確かだし、医師としてのプライドを持ってる。斎蓮センセーがそう言うなら、そうなんだろうね。絶対とは言い切れないけど」
「お前が言う通り、アイツはオカルト大好き人間だからな。医者としての腕は確かだが、頭っから信じていると痛い目に遭う」
「僕らからしてみれば、事件を持って来てくれる協力者だけど、とっても優秀だとは言い難いね」
「当人も悪気はないんだろーけど、はっきり言って俺は迷惑だぜ? コッチはあんまり霊とは、関わり合いたくねぇんだからよ」
一応、申し訳程度にオブラートで包んでいるけれど、言葉の棘がオブラートを突き破っている。
絶好調だった斎蓮先生の陰口は、当初の目的を思い出した琥珀さんが、脱線した話を元の路線に戻した。
「で、だ。環の記憶喪失の何が変かと言うと、大きな外傷もないのに、生まれてから今までの記憶が一つも残ってないってことなんだとよ」
「ストップ。環ちゃんと僕達は普通に会話が成立している。つまり、言語能力や思考力は年相応。記憶が一つも残ってないって言うには変じゃないか?」
口調とは違い鋭いジュゴンさんの質問に、琥珀さんは苦い表情で後頭部を掻きながら答える。
「そこが問題なんだよ。家族の顔、友達の名前、学校の場所、何かの記念品。環が忘れちまったのは、そういう類の思い出だけなんだよ」
「じゃあ、忘れてない記憶は?」
「数学の公式、歴史の年号、英語の単語、漢字の読み書き。勉強面という分類だ」
そんな分類はないと思う。
私は訝しんだ。ジュゴンさんは納得したような声色でこう言った。
「そうか。相変わらず、琥珀はとっても馬鹿だね」
「うっせ」
「外国人向けの日本語教室に行ってみるといいよ。頑張れば日本語の難しい単語ぐらいなら覚えれるんじゃないかな?」
「うるせぇよ。オレは記憶喪失のスペシャリストじゃねぇんだよ」
「スペシャリストじゃなくても、もうちょっとマシに分類するよ。ていうか、勉強面って分類はどうなの?」
「国数社理。完全に勉強面じゃねぇかよ」
「いいかい? 勉強面って言うのは、琥珀君に欠けているものの分類だよ」
「黙れ。オレにそれらは必要ねぇんだよ」
「真実から目を背けちゃいけない」
「使いどころを間違えたかっこいい台詞は、嫌味以外の何物でもねぇよ」
一触即発。そんなやり取りだけど、妙なことに、フレンドリーな雰囲気を感じた。
これが、琥珀さんとジュゴンさんのコミュニケーションなのだろうか。
仮にそうなら、ジュゴンさん、友達少なそうだな。
「僕ならこう分類するね。経験と知識」
「ずいぶん大雑把だな」
「いや、これでいいと思うよ。残っている記憶は知識的なものだ。つまり、言葉や道具の使い方。もちろん、勉強面も、ね」
嫌味な表情を使わずに、ここまで嫌味を込めることができる人を私は初めて見た。
なんて言うか、嫌味が自然体とでも言うのだろうか。
慣れ、なのか、琥珀さんは眉毛の形を歪めただけで、特に言葉を返さず、話を促した。
「んで、経験っつーのは?」
「文字通りだよ。細かく言うなら、思い出や場所、趣味だね」
「場所っつーのも、知識じゃねぇのか?」
「君は近くのコンビニに行くのに、頭の中で地図を思い浮かべるかも知れないけど、大抵の人はそんなことをしなくてもコンビニに着くんだよ」
「オレだって、いちいち地図を思い浮かべねえよ。つまり、勘ってことか?」
「体で覚えるってことだよ。琥珀は、頭で覚えるってことを知らないかも知れないけどね」
琥珀さんから、ギリッという歯をこすり合わせたような、音が聞こえた。
私は、琥珀さんの握り拳がプルプルと震えているのを見て、話を戻そうと発言した。
「えっと、つまり、私の記憶喪失は経験のみの記憶喪失ってわけですね」
「ま、素人の見解だよ。第一、そこはあんまり重要じゃない」
「てめぇ、じゃあ、なんでそんな話をしたんだよ」
「気分かな」
まったく悪びれた様子もなく、ジュゴンさんはそう言った。
仮面の向こう側では、舌をペロと出しているような気がする。
「それはさて置き」
「てめぇ…いい加減にしろよ」
「先日、記憶喪失になった、環ちゃんが斎蓮センセーのお勧めで、久恒神社に相談しに行こうとしたら、霊に襲われた」
今にも飛び掛かりそうな琥珀さんを無視して、ジュゴンさんは話を強引に進める。
さて置きも何も、自分で膨らませた話だっただろ。
「霊に襲われたのは、蝶々も感知したから、間違いないね」
「オレは信用に置けねぇってわけか?」
「まっさかー! 僕は誰よりも君を、とっても信頼しているよぉ~」
余りにも軽い声色。心にもない称賛の言葉は、嫌味にしかならない。私はその事実を再確認した。
そして、軽快な口調はそのまま、ジュゴンさんはこう締めくくった。
「その後、霊との接触はなし、だよね。うーむ、前例がない面白いケースだね」
「暢気に楽しんでる場合じゃねぇぞ? 目の前に当事者がいるっつーのに、どういう神経してんだよ」
「あはは。琥珀の言う通りだ。環ちゃん、ごめんごめん。僕、人外だから、さ」
悪びれもせずに、そういうジュゴンさん。
私は少しムッとしながら、ジュゴンさんを睨む。
「そんなに睨まないでよ。琥珀君じゃないんだし。目つきが悪くなるよ」
「ナチュラルに、オレの目つきを馬鹿にしてんじゃねぇよ」
「いや~、そんなつもりはなかったんだけどね~」
真剣、真摯、真面目。それらの言葉をどこか遠くに放り投げて、生まれてきたのだろうか。
悪意は感じないが、信用に全く置けない類の人だと、私は認識した。
「環ちゃん」
「え、なんですか?」
私の心の声を見透かすようなタイミングで、ジュゴンさんは声を掛けてきた。
「こんな奴、頼りがいがないように見えるだろうけど、安心して。君のことはちゃんと、琥珀君が守るから」
「人任せかよ」
「まぁね。僕もちゃんと、琥珀君が環ちゃんを守るのを手伝うよ。精々、出来る限り、とっても頑張ってみるよ」
穏やかな声で、ジュゴンさんはそう言った。
その声を聞いていると、私は少しずつ、自分の機嫌が悪くなっていくのを感じた。
理由は単純。
(人の命が掛っているのに、どうして、この人はこんなにも楽しそうなの?)
悪意はない。害意はない。敵意はない。
ある意味すごく純粋な、だけど、ある意味すごく不純な、知的欲求。
掴みどころがなく、本心を知りにくい人物。
私のジュゴンさんへの、好感度は、限りなく無限に近いマイナスだった。
「協力してくださる気がないなら、結構です。人の不幸が楽しいなんて、最低です」
「辛辣だな~」
「ふざけないでください。私は本気で困ってるんですよ?」
「そんなこと言われても、僕が困ってるわけじゃないからね」
赤い天狗の仮面が少し困ったように、最悪の言い訳を、さも当然という風に口にした。
私の中で、イライラと嫌悪感が混ざった感情に火がついた。
「なんで、ふざけていられるんですか! 何が楽しいんですか!?」
「複雑怪奇な、この現象が楽しいんだよ。楽しいからついつい、ふざけちゃう」
淀みなく答えるジュゴンさん。
数学の公式を読み上げるように、スラスラとペラペラと想像もできない答えを連発する。
言い返そうとした私を、琥珀さんが止める。
「やめとけ、環。ジュゴンもだ。てめぇも黙れ」
「う~ん。僕は質問に答えてただけなんだけどな」
「いいから黙れ」
琥珀さんが睨むと、赤い天狗はクックックッと喉で笑った。
「何なんですか? 何なんですかこの人は」
行き場のない感情に任せて、私は琥珀さんに八つ当たりをしてしまった。
私の答えを期待していない問いに答えたのは、軽薄な口調の天狗だった。
「僕は人外さ。とってもおかしな人外だよ?」
初対面の私と口喧嘩になったというのに、まったく凹んでる様子もないジュゴンさん。
これ以上下がりようがないはずの好感度が、スキーの直滑降のように、高速で下がって行くのを感じた。
ジュゴンさんとのやり取りで、私はこの部屋の異質の正体に気がついた。
この異質な感じは、人が人に見えないというズレが起こしていたようだ。
つまり、目の前にいるのジュゴンさんは、一見、人のように思えるが、人ではなく、人外。
人外を脳が勝手に、無理矢理人だと思おうとしていたから、人とは異なる部分が異質に感じたのだ。
ジュゴンさんの人とは異なる部分。それはお面ではない。心だ。
彼は心が欠如している。そして本人もそれに気づいている。でも、本人は、それをよしとしており、治す気はサラサラない。
そんな腐った心が、人とは異なる部分だ。
私は、部屋を出るとき、もう二度とジュゴンさんとは関わらない。そう心に誓った。




