伍 「気分かな」 2
「手紙に花束、ぬいぐるみ、髪留め、香水…服にノートに漫画にアクセサリー……けっこうあるな」
琥珀さんに呪いの媒体かも知れない物を持って来い、と言われた私は、次の日、大量の私物をリュックやバックに詰めて、久恒神社に来ていた。
私が持ってきた呪いの媒体候補を見て、琥珀さんは絶句していた。
今日の琥珀さんはアクセサリーの類を一切つけてなかった。どうやら私の呪いや霊についての調査忙しいようでアクセサリーをつけている暇がないらしい。
「仕方がないじゃないですか。記憶喪失なんで、どれかが事故直前にもらったものかわからないんですもん」
「開き直ってんじゃねぇよ。親に聞いてみるとかねぇのかよ」
「ちょっと、親とはうまくやってなくて。ごめんなさい」
「別に謝ることねぇだろ」
琥珀さんは首をポキポキと鳴らして気合を入れると、この前のような真剣な目で呪いの媒体候補を括目する。
目つきが悪い琥珀さんが、さらに目を凝らして睨んでいるのを見ると、鬼気迫るような迫力がある。
弱そうなチンピラよりも怖い睨みだった。
「あの量じゃと、しばらくかかるじゃろうな」
お盆に乗ったお茶をピチャピチャと零しながら運んできたのは蝶々さん。
畳には何かの足跡のように、お茶を零した跡が転々と残っている。
普通なら絶句するか、怒る場面なのだろうけれど、蝶々さんほどの美人がすると愛らしいから不思議だ。美人は得だ。
「粗茶ですが」
お茶は湯飲みの一番上を十割とすると、三割ぐらいしか残っていなかったが、私はツッコミを入れなかった。
蝶々さんは私のそばに湯飲みを置くと、私の隣に胡坐を掻いた。
みっともない座り方だが、蝶々さんがすると心清らかな仏のようにさえ、見える。
「どうも、ありがとうございます」
「堅苦しいのぅ。私様と環の仲じゃろうが」
それほど親密な仲になった覚えはないのだけれど、素直に蝶々さんの馴れ馴れしさが嬉しかったので、肯定の意味を込めて苦笑いしながらうなずいた。
私の肯定を見て、より機嫌がよくなったのか、穏やかな笑顔を浮かべて、気さくに話しかけてきた。
「しかし、記憶喪失とは不便じゃな」
「そうでもないですよ? 勉強はできるし、一般常識は覚えてるし、この通り、言葉も話せます」
「普通に生活する分には不便がなさそうじゃな。じゃが、交友関係をりせっとするというのは、中々辛いものじゃないのかのぅ」
「皆じゃないですけど、私の友達は今の私を認めてくれてます。前の私に心残りはあるでしょうけど、それでも、今の私を直視してくれてます」
「よい友を持ったのじゃな。大切にするんじゃぞ」
「はい。もちろんです」
「ところで、じゃ」
蝶々さんの表情から穏やかな笑みが消えた。
どこか作り物のような顔で蝶々さんは私に聞く。
「お主の記憶喪失、本当に記憶喪失なのかの?」
「えっ…どういう意味ですか?」
「今、お主が話した内容もそうなんじゃが、お主の記憶喪失、少々風変わりじゃな」
そうなのだろうか。
今回の件以外に、過去に記憶喪失になった記憶がないからわからない。
記憶喪失になった記憶があるなら記憶喪失ではないな。
「なぜお主、交友関係やら、自身の思い出やら、学校や家の場所やらだけを忘れてるのじゃ? まるで、お主の個性を象徴する部分だけが欠落したように見えるぞ?」
「そういう呪いなんですよね?」
「正直な話なんじゃが、そんな呪い、私様は聞いたことがない。記憶を全消去する呪いや錯覚させる呪いは知っておるが、生活に支障が出ないように記憶を操作する呪いなんぞ聞いたことがないのじゃ」
「そんな…」
「じゃから、記憶喪失じゃないんじゃないのかと、私様は考えておるのじゃ。呪いは記憶を消すものではなく、別の作用を持った呪いじゃないのかと」
「別の作用…」
蝶々さんはお茶を飲むと、一呼吸置いて話始めた。
「例えばじゃ、少し高位の祟りじゃが、「人の一番大切なものを奪う祟り」」
「祟り、ですか?」
「説明してなかったかのぅ。昔から人や死霊が人や物を呪うことを呪いと呼び、神仏の類が自身の霊力で呪うことを祟りと呼び分けているのじゃ。まぁ、同じようなものじゃ」
「呪う側によって、呼び方が変わるんですね」
「正確には違うのじゃが、にゃあんすはそうじゃな」
蝶々さんは聞き取りにくい発音で言った。たぶん、ニュアンスと言いたかったのだろう。
「話を戻すのじゃが、昔から願いを叶える変わりに一番大切なものを奪うという話はよくあるのじゃ」
「なんとなく、聞いたことがあるような気がします」
「文献を読む限りじゃと、ほとんどは強欲な人の心を戒めるための作り話じゃが、ちらほら本当にそういう契約をする神仏がおるようなのじゃ」
「願いを聞き入れる代わりに、一番大切なものを奪う。悪魔的ですね」
「うむ。もしかしたら、お主は何か願いを叶えるために、一番大切だった”思い出”を差し出したのかも知れんの」
「じゃあ、もしかしたら、私、その祟りを受けているのかも知れないんですか?」
「可能性の話じゃ。私様の机上の空論じゃよ」
大切なものを失ってまで、叶えたい願いがあるだろうか。
私の頭の中に、ひーちゃんとアイちゃんの顔が浮かぶ。二人が私の一番大切なもの。
二人を犠牲にしてまで、叶えたい願い事があるだろうか。
「あの、もしも一番大切なものを手放せば願い事が叶うとしたら、蝶々さんはどうしますか?」
「願わんのぅ。私様の一番大切なものは私様じゃ。自分を失ってまで叶えたい願いはないの。環はどうじゃ?」
「私は願いません。だって、二人を失うことは耐えられない」
「聞き方をかえようかの。一番大切なものが目の前で壊れてしまったら、二番目に大切なものを失ってでも、”一番大切なものを元に戻す”という願いをするかのぅ?」
「…どういう意味ですか?」
蝶々さんは心の底から楽しそうにニタと笑うと、話を続ける。
「目をつぶり、主の一番大切なものを、いめーじするのじゃ」
蝶々さんの声は私の中で山彦のように反復される。
誘われるように私は目をつぶると、少し俯き、大切なものをイメージする。
すぐに私の頭の中に二人の顔が再び現れる。
「主の一番大切なものが、今、目の前で唐突に壊れてしまう」
蝶々さんの声に呼応するように、二人が悲鳴を上げる二人の体が消えていく。
押し寄せる喪失感。私の中に穴が開いたような幻覚を感じる。
胸を刺す悲しみ。リアルな絶望。
「どうじゃ? 主の二番目に大事なものを差し出すかの?」
「蝶々さんの言いたいことがわかりました。二人のために、私は二番目に大切な物を差し出すかも知れませんね」
「んじゃ。もちろん、環が神仏のそんな胡散臭い話を真に受けるとは思い難いのじゃがの」
目を細めて、ホホホと上品に笑う蝶々さん。
私は笑う気分になれなかった。だって、もしも蝶々さんの仮説が正しいのであれば、私の記憶は戻らないんじゃないだろうか。
「さて、琥珀のほうも、そろそろ終わる頃じゃろうかの」
蝶々さんに促されるようにして、琥珀さんのほうを伺うと、私達の視線に気づいたのか、琥珀さんがこちらを向いた。
苦虫を噛み潰したようなしかめっ面だった。純粋に自分の力の足りなさを悔いているように見える。
「この中に、怪しい物はなさそうだな。邪気が感じられねぇし、見えねぇ」
「そんな…じゃ、じゃあ、他に怪しそうな物を探すしか…」
「いや、その必要はねぇよ」
あっさりと琥珀さんは言う。
苦虫を噛み潰したような表情ではあるが、一縷の光はちゃんと見えているようだった。
琥珀さんは、こう続けた。
「アイツの怪我が峠を越えたからな。とりあえず、アイツの所に行く」
「アイツって、誰ですか?」
琥珀さんは不敵に笑うと、こう言った。
「人外だな」
蝶々さんは上品にフフフと笑った。
「気をつけろ、環。奴とまともな話し合いはできぬぞ」
堪え切れずに、蝶々さんは、またフフフと声を噛み殺すような、楽しそうな声を上げた。
これから私の身に起こるであろうことを思い、堪えきれずに笑う蝶々さん。私は、深く追求しないことにした。
一抹の嫌な予感を感じながら、私は琥珀さんに従って、部屋を出た。




