伍 「気分かな」 1
伍 「気分かな」
「遅かったな」
双六君と一緒に久恒神社の鳥居をくぐった私を、竹箒で境内を掃除中だった琥珀さんが出迎えてくれた。
琥珀さんは初めて会った時と同じくチャラチャラした格好だった。今日はあの日よりもチェーンが多い。
そんな格好で神社の掃除をしていると、神社に悪戯した不良が先生に怒られて、お詫びの意をこめて掃除をさせられているようにしか見えない。
もちろん、私はこの思いつきを声には出さず、心の中に乱雑にしまった。家で思い出して笑おう。
「遅れてすみません」
「環姉さんは悪くないんです。僕が考えなしに行動するから…」
健気に私を庇ってくれる双六君。まったくいい子だ。
「別に怒ってねぇよ。双六、おまえはジュゴンの所に行ってやれよ。環、お前はオレに着いて来い」
琥珀さんも、双六君の純情な瞳には弱いのか、少し言葉を選ぶように言った。
実際、怒っているわけではないんだろうけれど、口調が厳しい人だから誤解されやすい。特に子供には。
勝手なイメージだが、大外れということはないだろう。
「双六、ジュゴンのこと、頼んだぞ」
「わかりました。頑張ります」
トテトテという擬音語が似合いそうな小走りで、双六君は神社の裏に消えていった。
オアシスを失った私に、不安が再来した。
そうだ。私、危機的状況に立たされていたんだっけ。
「夢現環。着いて来い。蝶々の所に行くぞ」
私のビクビクを知ってか知らずか、琥珀さんは私の不安を大して気にする素振りも見せずに、勝手にスタスタと神社の中に入っていく。
「あ、はい」
ワンテンポ遅れて私も琥珀さんの後を着いて行った。
*****
琥珀さんの家は、神社の本殿とくっついていて、居住区と本殿は数メートルの廊下と二枚の襖で区切られていた。
それが神社として、標準の形なのか、例外的な形なのかは知らないけれど、とにかく、琥珀さんの家は神社の本殿と結合されていた。
本殿と琥珀さんの家を繋ぐ廊下を渡りきると、すぐに蝶々さんの部屋があった。
半紙に毛筆で「私様の部屋」と書かれていた。なかなか達筆だった。
琥珀さんはノックもせずに―――襖だからノックしなければならない道理はない―――蝶々さんの部屋を乱暴に開けた。
この部屋の床が、畳かどうかの判断がつかなかった。
もちろん襖を開けて入る部屋なのだし、なによりも琥珀さんの家の一室なのだから、和風の部屋であることは間違いないのだけれど、大量の本が床を隠してしまっていているので、自信が持てない。
本当に大量の本が飽和していた。
小説や辞書はもちろん、単行本やジャンルが統一されていない雑誌、新聞やチラシ、絵本や百科事典など、紙媒体のデータがこの狭い部屋に押し詰められていた。
本に埋もれた部屋の真ん中で、蝶々さんが大きめだけれど薄い生地の羽織だけを着て、寝っ転がっていた。
はしたないというか、だらしない格好だったけれど、美人がするとセクシーに見えるから不思議だ。
羽織から伸びた純白の長い脚が、身長がコンプレックスの私を見下しているように見えた。
「よく来たのぅ。環」
「お邪魔します」
「邪魔ではないぞ。ゆっくりして行くとよい。まったく、ここには男共しかいない故、女の話し相手は大歓迎じゃ」
「まったりしてんじゃねぇよ。環は憑かれてんだぞ」
琥珀さんは小言を言いながら、足で乱暴に雑誌類を退けて、座る場所を作った。
私も琥珀さんに倣い、本を両脇に積み重ねるように退けて、座る場所を作る。
しかし、本当にたくさんの種類の本があった。
ジャンルはもちろん、時代すらバラバラで、ここの本を分類するだけで、三日はかかりそうだ。
「それじゃあ、単刀直入に言うぜ」
自身のスタイルのいい体を自慢するかのように寝そべっている蝶々さんに構わずに、琥珀さんは言う。
「環みたいなケースは、前例がない。だから対処の仕方がわからねぇ」
苦虫を噛み潰したような渋い顔で、琥珀さんは言った。
一瞬言葉の意味を理解し損ねたが、私は現実と向き合う。
「つまり、私は助からないってことですか?」
「そういうわけじゃねぇよ。まぁ、覚悟はしておいたほうがいいかも知れねぇけどな」
琥珀さんが後味が悪いことを言う。
彼に悪気はないのだろう。しかし、その言葉で私の不安が膨らむのは事実だ。
私の不安を察知したかのように、蝶々さんがフォローするように言う。
「今できる最善の手はなんじゃろうな」
「コイツが霊に襲われた原因を探すことだろうな」
「えっと、具体的には何をするんですか?」
琥珀さんは言葉に詰まる。
代わりに蝶々さんが言う。
「まず、環の記憶を取り戻すのじゃ。そうすれば、なぜ霊に憑かれたのかわかるはずじゃ」
「でも、私の記憶喪失は原因が不明で…」
「呪いには過程がない。あるのは結果だけだ。だから、環の記憶喪失みたいなケースは呪いによるものの可能性が高い」
「それって、どういう意味ですか?」
私が首を傾げながら聞くと、琥珀さんは咳払いをして答えてくれた。
「簡単に言うと、オレが蝶々に「病に侵される呪い」を掛けたとする。すると、蝶々は手洗いうがいをしても、薬を飲んでも、外に出なくても、病に侵されちまうんだよ」
「呪いを掛けられたら、何をどうしようが、無駄だってことですか?」
「そうじゃ。琥珀の例えじゃと、不本意ながら私様は病魔に侵されてしまった。じゃが、私様の体内に病原菌が入ったわけでもなく、免疫の力が低下したわけでもないのじゃ。ただただ、私様は病魔に侵された」
「それが、呪いだ。過程がない。あるのは結果だけ」
蝶々さんがどれだけ病気の予防をしたとしても、呪いがもたらすのは結果だけ。つまり、過程を潰す予防をいくらしても意味がないということなんだろう。
「えっと、つまり、私は記憶喪失になる呪いをかけられた。だから、私の記憶喪失には原因、つまり過程がない。あるのは、記憶喪失という結果だけ。そういうことなんですね?」
「そうだと思う。悪ぃけどよ、珍しい症状なもんで、断言はできねぇ」
自分の非力さを悔やむように琥珀さんは顔をしかめる。
「問題は、どうやって、環にかけられた呪いを解くかじゃの」
「お祓いしてもらえないんですか?」
「メチャクチャ修行を積んだ天才じゃなけりゃ、簡単に呪いは祓えねぇよ。呪いの媒体があれば別だけどよ」
「呪いの媒体?」
私は新しい情報の詰め込み過ぎで、フラフラし始めた頭を回転させて質問する。
「丑の刻参りって知ってるか?」
「髪の毛を入れた藁人形を釘で打つやつですよね?」
「そうだ。呪いの媒体っていうのは、丑の刻参りでいう藁人形のことだ。つまり呪いに使う道具ってことだな」
「そんなもの見つけられっこないですよ。誰が私を呪ったのかすら、未知なんですよ」
「そう簡単に諦めてはいかんぞ。よいか、丑の刻参りは遠隔系の呪い方じゃ。これらの方法は霊力が高い者にしかできない」
「遠隔系?」
「おいおい説明するから待っておれ。簡単に言うとじゃな。素人が呪いを行う場合は、呪いの媒体を呪いたい者のそばに置くのじゃ」
蝶々さんは寝そべったまま、長い手を伸ばして、古臭い本を本の山から抜き取った。
本の山はあっさりと崩れ落ちてしまったが、蝶々さんは関心がないようで、古臭い本をパラパラと捲る。
そして、目当てのページを見つけると、私にそのページを見せる。
「これがわかりやすい例じゃな。「蠱毒の呪い」」
古い本にはこう書かれていた。
蠱毒の呪い。
蠱毒とは、一般的に、虫を使った呪術のことであり、蠱道、蠱術、巫蠱などとも呼ばれている。
壷の中に百の虫を入れ、蓋をする。最後まで生き延びた虫を呪いの媒体として呪いの対象者の家に放つ。
百の虫が壷の中で互いに共食いし合うことを利用して怨念を増幅させ、増幅させた怨念を用いて、呪いを行う。
解説文の隣には笑いながら壷を開けている小汚い男と、巨大な虫に襲われている着物姿の女性の姿が描かれていた。
服装から察するに、平安時代頃だろうか。
「素人が呪いを行う場合、呪いの媒体が呪われた者のそばにあるのが常じゃ。故に、がんばって探せば見つからないこともないぞ」
「プロが呪ったってことはないんですか? さっき言ってた遠隔系とかで」
「それはねぇよ。俺達霊能力者の間での協定で、呪いは禁止されてるからな」
「そうなんですか?」
「当たり前だろ。そうでもねぇと、霊能力者が全員死ぬぜ?」
感情が伺えない表情で笑う琥珀さん。
その笑顔を見た瞬間、私の背筋にゾゾッという寒気が走った。
まるで怪奇現象を見たかのような不可解な感じ。現実を受け入れることを拒絶するような震え。
琥珀さんは何か、とても暗くて重いものを背負っている。そんな感じがした。
「遠隔系の説明をしようかの。だいたい予想はついてると思うがのぅ。呪いの媒体を相手に贈りつけて呪う方法を「直接系」。呪いの媒体を自身が保持する方法を「遠隔系」と分類しているのじゃ」
「わかりました。蝶々さん、具体的に、呪いの媒体って、どんなものなんですか?」
「厄介なことに、呪いによって媒体はさまざまなのじゃ。先ほどの蠱毒の例で言うと、虫じゃな」
「えぇ! それじゃあ、どうやって呪いの媒体を探すんですか?」
「オレが見抜けばいいだけだ」
自信に満ちた声で断言したのは琥珀さんだった。
いや、自信というよりも、定義を述べると言ったほうが正しい表現だろう。
誇らしげではなく、むしろ何かを忌む様な響きがあった。
「オレは霊能力者なんでね。霊や呪いを見ることができる」
「以外に普通なんですね」
「まぁな。オレ、努力とか嫌いだから、生まれつきのセンスしかねぇもんな」
私の失礼なリアクションに怒るどころか賛同してくれた。それが少し意外だったので、私は言葉に詰まる。
「とりあえず、最近もらったものとか、事故に遭う前にプレゼントされたものとか、少しでも怪しいものがあれば、ココに持って来い」
「わかりました。とりあえず、全部持って来ます」
「偏見は捨てることだな。でけぇ物とか高価な物とか、そういう物でも持って来い。迷ったらとりあえず、持って来い」
「了解です」
一縷の希望が見えたような気がした。
上手くいけば、簡単に呪いの媒体が見つかり、呪いが解けて、私の記憶が戻り、私が霊に襲われた原因が判明するかも知れない。
「そうじゃな。お守りは肌身離さず持ち歩くんじゃぞ? 気休めじゃが、効き目がないわけじゃないからの」
「はい。ちゃんと持ち歩きます」
「それから、ちゃんと寝るのじゃ。睡眠不足は美容の敵じゃぞ」
「うぅ。気をつけます」
蝶々さんが寝そべりながら私に注意をする。
霊は怖いし、不安は残っている。でも、今日は眠れそうな気がした。
「ま、あんまりビビるなよ。そんじゃ、明日から本格的に動くぜ」
私達三人は互いの顔を見て、大きく頷いた。




