肆 「お互いに友達だと思えば、友達だよ」 4
「大丈夫か?」
悠長に敷いた座布団の上で、特に心配そうではない声で琥珀は言う。
相手の答えを待つ間、琥珀は軽い疲労感を感じて瞳を閉じる。
視界が断たれ、感覚が鋭くなる。琥珀の鼻を畳の匂いがくすぐる。
「大丈夫じゃないかな? ま、死にはしないだろうけどね」
いやらしくも、琥珀の不意をつくように、あっさりとした声が返ってきた。
自分のことすら、気に留めていない。そんな響きがある声だった。
「それだけ饒舌に喋れれば問題ねぇな」
「そうでもないよ。全身が痛いし」
「馴れっこだろ? それぐらい。人外なんだしよ」
「はは。まぁね」
あっさりとした返事が再度返ってくる。
琥珀はそれを気にした様子もない。むしろ、いつもの反応だと、心なしか安堵しているようにも見えた。
全身を包帯でグルグルと巻いているミイラのような男を見下ろして、平然と琥珀は続ける。
「元気そうでなによりだ」
「だから、元気じゃないんだけど」
ミイラのような男は何事もないかのように答える。
不自然な光景だった。
瀕死の重傷を負っている男と交わす会話ではない。重傷の男も平然と答えていい道理はない。一見、喋ることはもちろん、呼吸すら困難な風にしか見えない。
なのに、二人はさも当然と言わんばかりに、軽薄な声色で会話を重ねていく。
「不幸って重なるもんなんだな」
「正確には重なってないよ。次々に降ってきたけど」
「気をつけろよ。二度あることは三度あるって言うだろ」
「別に、なんど起ころうと、僕は人外だから、死ぬことはないと思うけどな」
「そりゃそうだな」
二人の会話は続く。
気楽に、道楽に、享楽に。
中身がない。スカスカな会話は続く。
他にするべき言葉があるのではないかと思ってしまうシチュエーションで、二人の場違いな会話は続く。
「双六の奴はどこに言ったんだ?」
「さぁてね~。あの子も、もう子供じゃないんだ。自分で考えて行動するよ」
「いいのか? アイツが目の届かない所にいても」
「無問題。かわいい子には旅をさせろって言うだろ? 琥珀は心配性なんだね。優しいね」
「テメェが暢気なんだよ」
「確かに僕は、少し穏やかな性格だね」
最期の言葉を交わさなければならないだろう男と、琥珀はあまりにも無味乾燥な雑談をする。
そして、それが平常だと錯覚してしまうほどに、重傷の男は軽快な口調で答える。
「所で、彼女は元気かい?」
「夢現環のことか?」
「へぇ。そういう名前なんだ。可愛い名前だね」
「見た目も悪くねぇよ」
「ふぅん。それで、環ちゃんは元気?」
「微妙だな。今は無事だが、いつまで持つか」
「呪われているのかい? 祟られているのかい?」
重傷の男の声はまだ、明るい。まるで世間話をしているようだ。
逆に琥珀の声は少しずつ真剣みを帯びてきている。
「ここからが本題なんだけどよ。アイツに憑いている霊が見えねぇんだよ」
「へぇ。でも霊的な気配は確かにあったよね」
「間違いない。オレも蝶々も感じた」
「でも、霊が憑いてない。少なくても、君には見えない」
「そうだ。一体どういうことなんだか」
二人は黙る。
琥珀は男の回答を待つ。男は思考している。
「きっと、琥珀の目が腐ってるんじゃない?」
「ぶっ殺すぞ」
「あはは」
怒るというよりは、呆れた声色で琥珀が言うと、男はカラカラに乾燥した笑い声をあげた。
「うーん。無理。ヒントが少なすぎるよ。僕はわからない」
「匙を投げるのが早ぇよ」
「頑張って、考えてみるけど、完全に二つの出来事が矛盾してるんだよね」
「環は霊に襲われた。環から霊の気配はない」
「ま、考えうるとしたら、環ちゃんが襲われた所が霊の巣窟だったっていう仮説ぐらいかな」
「それはねぇと思うけどな。襲われたのが、神社の石階段なんだからよ」
琥珀は長い溜息をつくと、立ち上がる。
怪我人に無理をさせないために、早々に立ち去るという気遣いからではない。なにせ、小一時間、だらだらと会話をしていたのだから。
琥珀は怠慢な動作で襖を開けると、ふと思い出し、重傷の男に告げた。
「そう言えば、夢現環は、斎蓮が言ってた記憶喪失の女だったぜ」
「へぇ~。偶然だね」
「あるもんだな。こういう偶然も」
「それじゃ、明日、その女の子を連れてきてよ。何もわからないと思うけどね」
「なら、期待しねぇで連れて来るぜ。ジュゴン」
琥珀が部屋から出ていくと、静寂が部屋を支配した。
さっきまでの緩慢な空気は消え、重傷の男が寝ている一室という緊迫した雰囲気が生まれる。
しかし、その雰囲気は長く持たなかった。男の独り言により、儚くも常識的な雰囲気は崩壊した。
「ふぅん。中々どうして、厄介そうな依頼だね。下手すれば、環ちゃんだっけ? 死んじゃうな」
ジュゴンはそう呟きながらヘラヘラと苦笑する。
誰に話しかけるわけでもなく、一人っきりの部屋で、呟いた。
「ま、いっか。僕、人外だし」
悪意も善意もない声は、初めからなかったかのように、消えた。
あるいは、初めからなかったのかも知れない。




