肆 「お互いに友達だと思えば、友達だよ」 1
学校が終わると、私は一直線に久恒神社に向かった。
昼なら幽霊に襲われないだろう。しかし、また昨日のように遅い時間なら。そう思うと、悠長に学校に行っている暇がないように思えた。
それでも私が学校にいたのは、琥珀さんの指示だった。
「とりあえず人の多い場所にいたほうが安全だ。お前の症状については、調べておくから放課後にでも寄りな」
面倒くさそうに言っていたが、見た目が本心じゃないことはわかっていた。
心の中では、ちゃんと私のことを心配してくれている。
チャラチャラした格好とぶっきら棒な態度とは真逆で、真面目で直向きな人なんだと、昨日の帰り際に蝶々さんが教えてくれた。
私もその意見に賛成だ。
―――琥珀さんと蝶々さん、ずっと調べてたのかな? 疲れてないかな?
私はそんな心配さえもしていた。本当に疲れているのは自分だと言うのに。
心配性のひーちゃんはもちろん、アイちゃんも私にこう言っていた。
「今日は真っ直ぐ帰って、早く寝ること。いいね」
念を押すような「いいね」に、私は頷いてみたものの、実際は久恒神社に寄り道しなければならない。
久恒神社に行かないと、恐怖で眠れそうにないし。
心配してくれた二人には悪いと思いながら、私はテクテクと久恒神社を目指して歩いていた。
「あのぅ。すみません、この近くに海水を売ってるお店ありませんか?」
私は後ろから呼び止められた。
振り向くと、大きなリュックを背負った、小学生ぐらいの男の子が立っていた。
端正な顔つきと、幼い見た目とは吊り合っていない大人しい雰囲気が、どことなく常識離れした違和感を出しているように思える。根本が人と違っているような、そんな違和感が生まれる。
服装はお祭りでもないのに、波をあしらった濃い藍色の浴衣。顔つきが中性的なので、白人が浴衣を着ているような錯覚を持ってしまう。
背丈が低く、手足が細い。成長過程。そんな言葉がピッタリだった。
本来なら適当に誤魔化して先を急ぐ所なのだが、すごく困っている様子だったので、私は良心に従って話を聞くことにした。
「一人なの? お父さんとかお母さんは?」
「僕一人です」
「ふむ。それで、買い物だっけ?」
「はい。海水を探しています」
「海水? 海の水?」
「はい。そうです」
素直な声で返事をする男の子。
男の子の目には、見知らぬ人に声を掛けた不安がありありと浮かんでいた。
なるべく威圧しないように、私は男の子と視線の高さを合わせるようにしゃがみ、優しい声を意識して話しかける。
「えっと、海水を売ってるお店はないと思うよ?」
「…そうなんですか?」
「うん。見たことないし」
「海水は売られてない……。どうしよう」
話してみると、以外に子供らしい男の子だった。
年相応ではない言葉使いだけど、背伸びをしている感じはなく、むしろ、しっくりくる。
これが教育の差というものか?
「親に買って来なさいって言われたの?」
「いいえ。でも欲しいって言っていたので、勝手に…」
天然水だというならまだしも、海水を欲しいというのは、どんな親なのだろうか。
食通の人かな?
「優しいんだね」
「そんなことないです。ただ、いつもお世話になってますから」
「ふぅん。お父さんとお母さんが大好きなんだね」
「…そう、です」
何か引っ掛かるような話しぶりだけれど、少年は素直に私の質問に答えてくれる。
何と言うか、「そう言えば嘘じゃないんだけれど、実際はちょっと違うかな」という雰囲気を持たせる話し方なのだ。
少年は私の質問が終わるのを待って、一拍置いてから自分の質問をした。
「海水は、どこに行けば手に入りますか?」
箱入りとはこのことかも知れない。私はそう思った。
記憶がないから断言できないけれど、生まれて初めての質問を受けた。海水はどこに行けば手に入りますか? 間違いなくデパートではないだろう。
「海水か。何か商品名とか言ってなかった?」
「いいえ。海水が欲しいと言われました」
なら、保障とか安全面とかを無視した海水でもいいのかも知れない。
そもそも海水なんて市販されている訳がないのだから、海水を購入する必要はない。
私は色々と考えてみてから、妥当な結論を出した。
「海に行ってみようか」
「海…ですか」
「ちょっと遠いけど、大丈夫?」
「道がわかりませんので、どっちに行けばいいか教えてもらえませんか?」
どっちに行けばって、歩いて行くつもりだろうか。
バスを使えば片道三十分程度なので問題ないが、子供の足で海まで歩くには、距離がありすぎる。
私は箱入り少年を一人で遠出させる訳にもいかないと思い、進言することにした。
「一緒に行こうか? 海まで」
「遠いんですか?」
「バスを使わないとね。ちょっと遠いかな」
男の子はしばらく私の表情を伺いながら真剣に悩み、恐る恐る、上目使いでこう言った。
「でも急いでるんじゃないですか?」
「別にいいの。時間を決めてるわけじゃないし。それに、海なら片道三十分ぐらいだからね」
現在の時刻は十五時十分ちょっと。海まで往復しても、幽霊が出るであろう夜中になる前に、問題なく久恒神社に行ける計算だ。
男の子は自分の使命を果たそうという責任感と、他人に頼る申し訳なさに葛藤していた。
男の子は私の機嫌を伺うように私の顔を覗き込んできたので、私は優しい笑顔で答えて上げた。自分で言うのも何だけれど、笑顔を作るのは得意だ。笑顔は女の武器だしね
私のアベマリアのような笑顔が決め手になったのか、男の子は控えめにこう言った。
「では、よろしくお願いします」
「私は環。君は?」
「双六です。双子の双に数字の六で双六」
「いい名前だね。双六君」
「ありがとうございます。環さん」
照れ臭そうに私の名前を呼ぶと、双六君は目を伏せた。
私はそのあまりの可愛らしさに双六君の頭をクシャクシャと撫でる。
「…子供扱いしないで、ください」
男の子は安堵の笑みを浮かべながら、精一杯強がるように言ったけれど、頭を撫でられるのは気持ちがよかったらしく、口は笑っていた。
純粋で可愛らしい微笑みが、年相応に思えて、私は双六君との距離が縮まったような気がした。
寄り道をするという一握りの不安を胸に抱えたまま、私は双六君と並んで、最寄りのバス停に向かった。




