三人寄れば文殊の知恵
燕の全日本選手権でのアキレス腱断裂から二週間余り。
季節は12月に入ろうとしていた。
隼人の住む九州では冬になっても滅多に雪が降ることもない。多少の肌寒さはあるが、道具を付けて稽古をすればたちまち消え去る程度だ。
ここ数日は、鈍った曇天が続いている。
戻ってきた燕は気丈にふるまっていたが、その笑顔からは疲労と落胆の色が隠せていなかった。
アキレス腱を切ってしまえば、リハビリには数か月、本格的な競技復帰は長ければ一年近くだろう。
復帰しても、以前と同じ感覚で跳べなくなったという話や、イップスに陥ったという話はごまんとある。
燕は――間違いなく、己よりも優秀な競技者だったと隼人は思う。
歩くのに松葉杖が必要になってなお、道場に訪れて見取り稽古や指導の手伝いをする燕の姿に、アキレス腱を切ったのが自分だったのなら良かったのに、とさえ隼人は思う。
「ね~、水﨑さん、もうちょっと優しくしてあげてもいいんじゃない?」
「え?」
「燕ちゃんに。――相変わらず人の心が分かんない人ですね」
「松葉杖の間は、うちに来た帰りは家まで車で送るようにはしています」
「……そういう所ですよ」
呆れたような顔をして、山國今日香は芋焼酎のお湯割りを煽った。
最近、隼人は山國に誘われて二人で飲む機会が増えた。
と言っても別段二人が深い関係になったというわけではない。
日々の愚痴をこぼしたり、その日の稽古の内容を話したりする程度の健全な軽い飲みが続いていた。
隼人も、山國に誘われるたび『またですか』などと言いながらも、律儀に付き合うのだ。
山國には敵わない、と隼人は思う。
11月の昇段審査の失敗、燕の怪我と落ち込むような出来事が続いた。けれども、普段の隼人は独りで酒を飲むことも少ない。マイペースに飲みへ誘って聞き手に回り普段は口に出せない弱音に耳を傾けてくれる山國の存在に、隼人は救われていた。
他方で、山國は自分が隼人の心の弱みにつけこんでいるような、後ろめたさを感じていた。
何度も盃を交わしながら、夏のような積極的なアプロ―チに出ることがなかったのは、そこまでズルいことはしたくない、という山國なりの一線であった。
「水﨑さんって、結構メンタル弱いですよね」
「コラ、人が気にしないことを身も蓋もなく指摘しない!」
山國はけらけらと笑った。
「燕ちゃんも、ああ見えて、あんまりメンタルが強い方じゃないんですよ」
「……知ってる。ハートの強さでは誰も山國今日香大先生には敵いませんよ。これぞ不動心、明鏡止水の境地なり!」
「年頃の女の子を鋼の女みたいに言わないで下さい」
「女の子って言う程の齢ですか」
「あーっ、セクハラ、セクハラですよぅ!」
ほろ酔い加減を楽しみながら、冗談を交わして笑いあう。
――そんな日々の最中、事件は起きた。
◇
最初に水﨑が気付いたのは、錬心舘道場に届いた一通の電子メールだった。
『あれだけの事を言ったからには、看板を背負う覚悟はあるんだろうな』
差出人は不明。隼人は内容を不審に思ったが、特に反応することもなく放置した。
近年は、稽古会や試合の申し込みは勿論電子メール送付だし、昇段審査の願書もPDFにして提出することが増えた。
しかし、高齢者比率の高い剣道界隈、この電子化の流れについていけない老人も多い。
隼人は錬心舘を代表して、道場の師範室にノートパソコンとプリンターを設置して、道場ホームページの更新や、入門者の受付、各種申込申請などを行っていた。館長の德丸も副館長の齊木も、Excelシートへの入力すら出来ないのだから仕方がない。
錬心舘道場に届くメールは、概ね無作為に送り付けられる迷惑メールか、支部剣道連盟の連絡、あるいは入門希望のメールなのだが――このような、明確に道場に向けた云われのない誹謗中傷のメールが届くのは初めてのことだ。
世の中には暇な奴もいるものだ。そう思って隼人は黙殺をしたのだが――
『なんでこんなど下手くそが指導者をしてるんだよ?』
次に来たメールは、流石に見逃すことはできなかった。尊敬する館長の德丸――あるいは、齊木らの高段者の誰かを批判するものと読み取れたからだ。
前回とは、違うメールアドレスだった。
誰だ? まさか、子供たちの父兄か? スポーツクラブの指導者がモンスターペアレントとなるケースもあると聞いたが、もしや批判されているのは、俺か燕か?
隼人の脳内を、解けない疑問がぐるぐると巡る。
――荒らしは触らず放置が基本。SNSとはFACEBOOKとインスタグラムにアカウントを作って放置をしているだけの隼人であるが、無闇につつかない方がいいケースだろう、ということは察しがついた。
それでも、疑惑を放置することに耐えられず、隼人は返信をタイプした。
『この度はお問い合わせを誠にありがとうございます。
この度いただいた指導者に関するご意見を拝読し、ご不快な思いをされたことをお詫び申し上げます。
よろしければお名前と、当道場の指導に関してご不満を抱かれる切っ掛けとなった出来事をお教えください。
事実関係を調査し、適切に対処致したく存じます――』
そんな定型句を打ち込んだが、端から答えなんて期待していなかった。
真っ当な話が通じる相手なら、初手こんな無礼なメールを送るような真似はしない。
しかし、返信は直ぐに来た。
『すっとぼけな! 黄柱剣乃助はお前の道場の奴だろう!
嶋岡龍輝さんに喧嘩売ったんだから、逃げ回らずに勝負を受けやがれ。
知っている名が出てきた。嶋岡龍輝は確か有名な剣道系Youtuberで、福岡県を中心に活動をしている筈だ。
だけど、黄柱剣乃助……?
「誰だよそれ……」
隼人は意味の分からない言いがかりに、途方に暮れるのだった。
◇
「なあ、冢本。黄柱剣乃助って知ってるか?」
ある日の稽古後、一番若者文化に詳しそうな大学生の冢本琢也に尋ねてみた。
「え? 誰っスかそれ? 全然聞いたこともないっスけど……
あ、嶋岡龍輝は勿論知ってるっスよ。Youtuberでしょう。あれで結構強いらしいっスよ」
「嶋岡は強いよ。高校の頃には団体でインハイに出てる」
あまりSNSに詳しくない隼人でも知ってる程だ。その知名度を利用して各地で稽古会を開催したり、インターネットを通じて指導なども行っている。
高段者には嶋岡の活動を好ましく思わない者も多いが、隼人はその活動は大いに評価していた。
この剣道に逆風が吹く時代に、新しいメディアで人気を博す少年指導者は歓待すべきだろうと思っている。
それに――プロ制度のないこの時代、剣道の腕で「食っていける」人間である。
幾ら剣道が強くとも、警察の特錬にでも入らないと剣道で飯は食えない――そんな風にくさされる時世であるというのに。
「あ、黄柱剣乃助、検索したら出たっスよ。
VTuberなんすね。あ、でもかなりの弱小っス。登録人数115人……しょっぺえっスねえ」
「VTuberって一体なんだ? Youtuberみたいなもんか?」
「ええっと、何て説明したらいいかなあ……」
燕が補足を入れてくれた。
「隼人せんせ、VTuberはYoutuberみたいに顔を出さずに、漫画みたいなアバターを貼り付けて話す人のことですよ」
「詳しいのか、燕」
「いえ、全然詳しいとかじゃないんですが――」
「俺ら、一応、水﨑先生より若いっスから」
「あんまりオッサン扱いしてくれるなよ。傷つくんだよ。これでも」
冢本と燕が声を上げて笑った。
「しかし、嶋岡みたいなYoutuberは分かるんだが、剣道でこの漫画のガワをかぶったVTuberってのは一体何をするんだ。
技を見せられる訳でもないだろうに」
「この黄柱剣乃助って奴は、試合の解説動画を作ったり、現代剣道に物申す、みたいな内容の動画を上げてるみたいっスね。
なんか説教臭くてやだな~。剣道は試合で勝つためのものじゃない、理合を悟るためのものである――なんて、絶対中身相当なオッサンか初老の爺さんでしょ」
冢本のスマホの中で、侍の格好をしたアニメキャラクターが、剣道の何たるかを滔々と語っている。
しかし……
「浅っさ」
「本当にこいつ、剣道やってるんスかね。未経験者じゃなくて?」
「隼人せんせ、そもそもどうしてこんな話を?」
「ああ、うちにこんなメールが届いてな」
あれから3枚追加され、計5枚になった迷惑メールを印刷したものを冢本達に見せた。
「ミステリーですね、これは」
燕が目を輝かせる。
「まあいいや、俺は帰ったらこの黄柱剣乃助の動画をよく見てみるよ」
もう一度その名を出した時、隼人の背後でボトリと音がした。
錬心館道場に通うもう一人の大学生、廣都留謙士郎が肩にかけた竹刀から道具袋を取り落とした音だった。
その顔面は蒼白で、手足はガタガタと震えている。
廣都留の様子を見て、冢本は「はは~ん」と面白そうに笑った。
「そういえば、黄柱剣乃助のXアカウントを見つけたんスけど、写ってる竹刀袋とストラップ、こいつのにそっくりっスね。
なあ、廣都留。どういう訳か聞かせて貰おうか」
◇
廣都留謙士郎は、錬心舘道場の中でも、隼人にとって印象薄い会員だった。
腕は全く褒められたものではない。夏の審査で三段で落ちたのも仕方がないだろうと思える程だ。
まず、全く基礎稽古が足りておらず、最低限のスピードすら持っていない。
しかし、稽古態度は真面目で、黙々と稽古は行う。ただ、地稽古の際には德丸ら高段者の指導稽古に並んで掛ることを好み、冢本や隼人、燕といった若手相手と稽古をすることは殆どなかった。
その廣都留が――
『現在の剣道は、試合に特化するあまりに理合を置き去りにしています。日本の伝統文化である剣道は、このまま廃れてしまうのでしょうか』
『剣道家に筋力トレーニングは要りません。持田盛二や小川忠太郎といった大名人が、筋トレをしていたでしょうか。稽古の中でつく筋肉こそが本当に剣道に必要な筋肉です』
『俺は、試合剣道は捨てました。剣道は生涯武道。理合剣道に今一度目を向けることが必要ではないでしょうか』
『範士八段の先生に剣道を頂戴し、俺は現代剣道から忘れ去られたものを真に理解しました。この玄妙な技を途切れさせてはいけません。スピードに頼った現代剣道はいらないのです』
VTuber黄柱剣乃助のアバターで、剣道についての蘊蓄を語ること語ること。
剣道の歴史や思想の話も好んで語るが、剣道史好きの隼人から見れば、いかにもな俄か知識で正確性に欠ける話ばかりだった。
「すげぇ。お前こんな事考えて剣道してたの。Xに書いてる同じ道場のチャラい奴って、俺のことかよ」
冢本が呆れた声を上げた。
現在、師範室のプロジェクターで、黄柱剣乃助のVTuberチャンネルの鑑賞会の、絶賛開催中である。
……VTuber黄柱剣乃助の主張は、主に競技剣道の批判と、高段者や戦前の名人をロールモデルにした理合剣道への転換だった。
確かにそれは、説諭や講話としては割とメジャーな話だ。
但し、高段者が語る限りは。
間違っても、三段に落ちるような人間が説けるような内容ではない。
理合、理合と口にはするが、廣都留の腕の程度は中学生程度である。
いや、近頃は中学生の中でも強い部類とは言えない髙田裕翔に正面から打ち負けているのを何度も見た。
普段の剣道を思い出しても、理合の何たるかを理解しているとは到底思えなかった。
それにしても――普段の寡黙な廣都留の姿からは想像もつかない。これ程の自己顕示欲を内に秘めていたのか、と隼人は舌を巻いた。
冢本が、小馬鹿にしたように廣都留を笑う。
「何か難しそうなことを言っているが、お前がそんなことを説教できる腕かよ」
「……それは違うよ、冢本。言うだけなら、自由だ。廣都留が未熟でも、語りたいことがあれば、好きに語ればいい」
「――でも、これはいけないよ」
燕が、最新の幾つかの動画を再生した。
そこには、錬心舘道場の稽古風景がアップロードされている。
垂れの名札こそぼかしていたが、見る者が見れば、錬心館道場の風景だと一目で分かるものだ。
肝心の廣都留は、師範室の端で俯いて、みっともなく涙と鼻水を流して泣いていた。
幾つかの動画を往復して、隼人たちにもようやく事態の全貌が掴めてきた。
黄柱剣乃助が、自身の動画で稽古の勝ち方を広めようとする嶋岡龍輝の動画を批判した。普段なら誰の目にも留まらぬ筈の批判は、運悪く嶋岡のファンに見つかった。
更に運の悪いことに、その嶋岡のファンはVTuberで対立煽りを仕掛ける性質の悪い人物だった。
彼は黄柱剣乃助の褒めたたえ、より過激な言動を、過激な言動を引き出した。
『嶋岡龍輝の剣道は全く取るに足らない』
『嶋岡龍輝の剣道を教わる子供たちは可哀想だ』
『嶋岡龍輝に比べれば、自分の方が真面目に剣道に取り組んでいる』
ファンの居なかった黄柱剣乃助というアカウントで褒められたのが余程嬉しかったのだろう。発言の過激さはヒートアップする一方だった。
黄柱剣乃助――廣都留は、してはならない失言を幾つもした。自分の稽古風景までアップロードした。
そして――全てを嶋岡龍輝にタレ込まれ、大炎上を起こしていたのだ。
嶋岡龍輝も、動画を見れば、勿論廣都留の腕が大したことがないことは一目で見抜いたであろう。
けれども、彼は身内の仕掛けた炎上に乗ったのだ。再生回数を稼ぐ種になると。その頃には、既に黄柱剣乃助――廣都留の所属道場が、錬心舘であることも特定されていた。
嶋岡は、黄柱剣乃助に対して挑戦状の動画を叩きつけた。
『お前の道場が隣県なのは知っている。そこまで俺の剣道に文句があるなら、いざ尋常に勝負をしろ』と。
挑戦状の動画のアップロードは、二日前だった。
剣道というYoutubeのマイナージャンルに属する動画の中で、異例の速さで今の再生数を増やし続けている。
「……お前、すげえな。よく今日稽古に顔出せたもんだな」
冢本が、畏敬さえ籠ったような目で、体を丸めてぐじゅぐじゅと泣く廣都留を見つめた。
「で、お前はこれをどう収集を付けるんだよ」
◇
「なるほど……ゆーちゅーば、というのは良く分かりませんが、要は、この錬心舘に道場破りに来たいという申し出があったのですか」
こんな雑事に館長の德丸を巻き込むのが気が引けたが、既に内々で納められる話では無くなっていた。
錬心舘の悪評を広められるのもご免だ。隼人は德丸に指示を仰ぐようにした。
勿論、廣都留には頭を下げさせた。自分の管理不行き届きも兼ねて、隼人も共に頭を下げた。
しかし、普段は温和な好々爺然としている德丸が、実に愉快げに笑みを浮かべた。
その禿頭に興奮で赤みがかかっている。
「面白い話ですよ。道場破りなどという話は、私が若い頃に師に思い出話で聞いたきりです。
今の若者は皆お行儀が良くなったとは思いますが――まだ威勢の良い方もいるのですねえ」
Youtuberの決闘騒ぎは、道場破りとは違う――そう言おうとする隼人だったが、高齢の德丸に何と説明すれば通じるものか想像できない。
「水﨑さん。貴方が立ち合いなさい。
でも、まずは廣都留君、発端となった君が非礼を詫びるのが先です。
筋を通して詫びを入れ――それから、折角この道場まで来て頂いたんですから、うちの道場の一番の剣士と立ち合って頂きましょう。
そうすれば、勝ったにしても負けたにしても、面目は保てるものです」
德丸の語る方法は、この時代にネット炎上を納める方法としては悪手の部類に思えた。
しかし――隼人は、面白いと思った、德丸の篤い信頼に応えたい。
そんな思いがあったのだ。
◇
「悪くないと思いますよ。嶋岡サンがYoutuberとしてやりたいのは、剣道界へのアンチヒーローとしての立場っス。
礼法とか、慣習とかはまず横において、試合で勝てる方法を教えるってスタンスが受けてるんスから。
嶋岡さんはヒールにはなりたくないんスよ。
廣都留が詫びを入れれば、追い打ちはしないでしょうし。
何より、水﨑先生みたいな強い人との立ち合いは、いい絵になるんで、向こうとしても喜ぶ筈っス」
冢本の分析は、想像以上に的確だった。
廣都留のXアカウントのDMを通じて、嶋岡に打診を入れた。
無論、最初に非礼を詫びさせたのは間違いない。
「廣都留、今回の事は全部お前が悪い。
まず、最初はお前が頭を下げて詫びて見せろ。
剣道は礼節を教えるものだ、ってお前も動画の中で語っていただろ。
腹の中じゃ、お前は俺たちの事を嫌いかもしれないけどさ、德丸先生を尊敬してるのは本当なんだろ。
なら、これ以上德丸先生の顔を汚さないよう、見事に詫びてみせろよ」
廣都留は、歯を食いしばりながら、ハイ、と頭を下げた。
◇
『決闘騒ぎ』の日は忽ち訪れた。
最も、内容は既に互いで取り決めたブックありきの決闘であるが。
既に廣都留の詫びも快諾されている。嶋岡ほどのYoutuberになれば、あの程度の誹謗中傷は日常茶飯事だったが、たまたま動画のネタに困っていたので上げてしまったとのことだ。
嶋岡は、ワゴン車で撮影のカメラマンと共に訪れた。
燕から聞きつけたのか、山國など他の道場もニヤニヤ顔で訪れて、錬心舘はいつになく盛況だった。
「こちらが錬心館道場ですか。大きな道場ですねえ」
胸元に付けたピンマイクに向けて、嶋岡が芝居がかった声を上げる。
「ようこそいらっしゃいました。私がこちらの錬心舘の館長、德丸宏次朗です。どうぞ宜しくお願い致します」
「德丸先生、どうぞ宜しくお願いします」
嶋岡は館長の德丸に剣道家らしい一礼をする。
「範士!? なんと、範士八段が館長をされている道場です! 剣道家の最高位の先生ですよ!」
後で加工する為のコメントも忘れない。
忙しい奴だ、と隼人は思った。
「この度は、大変失礼を致しました」
廣都留が、嶋岡に真っ直ぐに頭を下げた。隼人が一番心配していたのが廣都留の詫びであったが、声も大きく挙措も勢いがあり、見ていて心地の良い礼であった。
顔や声など、個人を特定できる情報は編集で隠して貰うよう約束をしてある。
德丸からも詫びと共に、地元の名産品の柑橘の箱が手渡された。
勿論、德丸は今に至っても事態の全容を理解していないだろう。しかし、これ以上の追求を納め、手打ちを求める雰囲気を作り上げたのは年の功としか言いようがない。
そして、折角来たのだから、と道場の代表となる水﨑との試合を持ち掛けた。
嶋岡はスムーズにこれに応じる。役者だな、と隼人は思った。
自分の観客が求めていることは、剣道家としての見事な立ち合いであり、愚かな相手への私刑ではないことを良く理解していた。
審判は三人。主審は德丸、副審二人は嶋岡の仲間から選出された。
『これは令和の道場破りか、はたまた決闘裁判か』――嶋岡のYoutubeチャンネルのそんな煽りに苦笑したものである。
立ち合ってみると、嶋岡は確かに言うだけの腕はあった。
共に、全日本や国スポ予選に出場し、勝ち上がれずに苦心している者同士である。
こんな形で立ち合うことになったが、シンパシーがあった。
年齢と段位は、嶋岡の方が若干若い。その剣道は、宣伝通りに試合向けで、学生時代の色を濃く残していた。
膝を抜いて体を沈ませる独特の攻め方――確かに試合に向けてチューンした剣道をしているが、勝負強さは勿論、理合に於いても廣都留の遥か彼方を行っている。
隼人はやや警戒を濃くした。間を詰めるのが早い。跳んでくるぞ――と思った瞬間、隼人は胴を抜いていた。三本の旗が上がる。
続いては、隼人が小手を狙った所を合小手面で乗られた。連続技が早い。
どうする――攻めあぐねた所で、太鼓が鳴った。試合時間は短く、3分に設定してあった。
引き分け。どちらの顔も潰さない、丁度良い塩梅の決着だった。
「ありがとうございました。これで撮影は終了になります」
軽い試合の感想のインタビューなどを終えた後、嶋岡は丁寧に挨拶に来た。Youtuberとしての大袈裟な言動が嘘のような礼儀正しさだった。
「撮影にお付き合い頂き、ありがとうございました。錬心舘道場は素敵な道場だったと、宣伝させて頂きます」
「こちらこそ。うちの者が大変ご迷惑をお掛けいたしました」
「いえ、お陰様で良いご縁を頂きました。それから――もし宜しければ、折角ですので、德丸範士にも稽古を頂戴できればと思うのですが」
――勿論、動画の為ではなく、剣道家として個人的に。
そう付け加えて、嶋岡は笑った。Youtuberとして人気を博すだけある、爽やかな男だと隼人は感心をした。
◇
こうして、廣都留が発端のVTuber炎上騒動は、一応の決着をみた。
嶋岡龍輝のYoutubeチャンネルでは、このエピソードは『美談』として評価が高く、再生回数も上々だったようだ。
黄柱剣乃助のVTuberチャンネルは、嶋岡龍輝への謝罪文が掲載されて以来、更新が停止している。
便乗してコメント欄に中傷を書き込む者もいたが、黄柱剣乃介が実質的に活動を停止したのを見て取ったのか、やがてそれも途絶えた。
「なあ、廣都留、どうしてお前は俺たちのことが嫌いだったんだ?
……別に、答えたくなければ答えなくてもいいぞ」
黄柱剣乃助の動画には一通り目を通したが、そこかしこに廣都留の抱いていたコンプレックスと、競技者として活躍する人間への憎悪の香りが嗅ぎ取れた。
別に、誰からも好かれようなんてことを隼人は思ってはいない。
しかし、廣都留の抱いていた憎悪は、隼人にとってあまりに意外で、不可解だったのだ。
共に師範の德丸へ頭を下げた。
嶋岡龍輝と立ち合いもした。
少しは、この廣都留との距離も縮まったように思っていたのだが――
「だって、水﨑先生とか、強い人は、俺たちのような弱い人には興味がないんじゃないですか」
拗ねるように口にした廣都留の台詞には、小さな棘があった。
ほんの小さな棘だったが、それは隼人が想像していたより大きく、隼人の胸中に引っかき傷を残した。
……確かにここ半年ばかりは、初段を受審した髙田裕翔など、実際に教えて目をかけた子供たちのことはよく気に掛けていたように思う。
しかし、廣都留の言う通り何年も同じ道場に通いながら隼人の視界には、弱い人間のことは全く視界に入っていなかった。
回り稽古で相手にする時も、『歯ごたえのない相手でつまらないな』程度の感想しか抱いていなかったではないか。
「そうか。その通りだな」
しんみりと、隼人は答えた。
今回の事件の責は、廣都留にあるだろう。しかし、その発端を助長した要因が隼人の態度だったなら――
――隼人は思う。それは、自分の不徳としか言いようがない。
「でも、今回の事で、俺はお前のことをバッチリ覚えたぞ。
一生忘れられない奴になった。
三段審査、次は落ちないようにしっかり指導してやるから、また、頑張ろうぜ。
まだ、理合が良く分かってない指導者かもしれないけどな、三段に受かる稽古ぐらいは教えられるぞ」
そう言うと――『もうやめて下さい』と、廣都留は照れ臭そうに笑った。
続




