六塵に惑うことなかれ
錬心舘道場の館長、德丸宏次朗は、範士八段という剣道の最高位である。
範士とは、剣道八段の中から選び抜かれた者だけに与えられる称号だ。その付与基準は、『剣理に通暁、成熟し、識見卓越、かつ、人格徳操高潔なる者』。
分かり易くいうなれば、天爵を具え、技に於いては剣道の全ての模範になるような人格者、という意味である。
――隼人が錬心舘に入門した小学生の頃、德丸は既に八段だった。五十代に入って早々に合格したという。これは、合格率1%を切っていた平成初期の八段審査を思えば、驚異的な速さだ。
県下指折りの名人として、各種大会の審判、昇段審査の審査員、県剣道連盟の役員など各方面で要職を歴任してきた。
かつては警察の武道術科師範を務めていたが、早期に退職した後、隼人の勤める会社が有するこの錬心舘道場に館長として招聘され、もう30年程になる。
德丸も、もう80歳を超え、近頃は自ら面を被って指導することも少なくなった。
そんな德丸が、ある朝。
「久しぶりに、始まる前に切り返しからゆっくり稽古がしたい。
水﨑君、受けてくれますか?」
隼人に、声を掛けてきた。
「は、はい! 私で良ければ。宜しくお願い致します」
畏まって隼人は頭を下げた。
德丸は高齢相応の大病にも幾つも罹っている。癌で肺の片方は切除しているし、胃も上半分を切除している。
範士八段は剣道の最高位であるが――立ち合いでの強さは、加齢と共に失われてしまうのが世の常だ。
隼人が德丸と試合で立ち合ったなら、勿論隼人が勝つだろう。転がされていた小学生時代とは訳が違うのだ。
けれども、德丸の技倆は、競技を価値の第一に置く隼人でさえ、畏敬の念を抱かずにはいられない、玄妙無比な理合の極みだった。
老い、筋力が衰え、片肺を失い呼吸すら続かぬ体で、軽々と竹刀を振う。
まだ稽古の足りない若手――あの冢本程度なら、悠々と手玉に取って見せるのだ。
弱きを以て強きを凌ぎ、遅きを以て速きを凌ぐ。未来を見通すような德丸の剣に、ずっと隼人は魅せられてきた。
日曜日、一般稽古の開始前。
隼人と德丸の稽古が始まる。
德丸は、切り返しや正面打ちと言った基本稽古を、ゆっくりと、それでいて乱れない太刀筋で15分程打ち込み、小さく息を吐いた。
肺の半分を切除して以来、德丸が面を付けて稽古ができるのは、地稽古なら多くて三人……10分から長くて20分程度だ。
それでも、德丸に指導稽古を願い出るものは後を絶たない。
「ありがとうございます。もう良いでしょう。水﨑さんも、皆と稽古を始めて下さい」
德丸は、成人にはどれだけ段位が低い相手にも敬語を使う。
隼人も、かつて少年部に所属していた頃には德丸から「水﨑君」と気さくに呼ばれていたが、大学を卒業して戻った時には、言葉遣いが敬語に変わっていた。
それが、少しだけ寂しい。
「水﨑さん、最近お悩みのようですね」
全ての稽古の後、師範室でまたしても德丸に声をかけられた。
全日本選手権予選以来の葛藤を見抜かれていたのが、気恥しい。
温厚篤実で寡黙にして、道場の門下生を剣道ばかりか心の内まで見通す明らかな瞳。
これぞ天爵としか言いようがない。
「水﨑さん、爺くさい説教になりますが――剣道は、何を得たか、だけではありません。何を与えたかが道を作ります。
一つ人から貰ったら、一つ人に与える。稽古はそうやって進んでいくものですよ。
貴方は、もう充分に人に与えられるだけのものを持っています。
それに、貴方がしてきたことの成果が、もうすぐ見られますよ」
德丸は、そう言って燕によってスケジュールを書き込まれたカレンダーを指して、しわくちゃの顔を歪めて笑った。
八月の、少年達の昇段審査が近づいていた。
◇
剣道の昇段審査のうち、初段から五段までは、各都道府県の剣道連盟に委託されている。
都道府県の規模にもよるが、剣道人口の減少が激しい昨今、多くの都道府県では年二回、一会場での審査が行われている。
昇段審査に先立って、既に昇級審査も終了している。
錬心舘道場の小学生以下の少年部の子供たちは、全てそちらで合格済みである。
錬士六段を持つ隼人は、今年も昇段審査の立会人として審査に参加していた。
立会人とは、初二段の中高生が圧倒的な比率を占める審査で、適切に整列させたり、審査会場に誘導したりする人間――身も蓋も無い言い方を言えば、雑用係である。
館長の德丸や、副館長の齊木らの七段の幾人かは、各会場の審査員として招聘されていた。
道場の受審者達が気になるが、立会人としての仕事が先決である。
整列する受審者たちの面々を眺める。錬心舘からの受審は六人ほど。
中でも、隼人が熱心に教えた面々。
初段には、中学二年生の髙田裕翔。四段には、大学生の冢本琢也の顔があった。
隼人は少しだけほっとする。五段には吉屋燕の姿があった。四五段は人数が少ないので女子も男子に混じっての受審になるが、燕は万に一つも落ちる可能性はないだろう。むしろ相手が憐れな程だ。
――昇段審査が始まった。審査は六会場に分かれて行われている。
幸いなことに、隼人が動いている会場が、男子初段の受審会場だった。
髙田裕翔の順番が巡ってくる。協調運動障害があり、最初は面一つまともに打てなかった少年。
彼に、昇段審査に向けて隼人が教えたことは一つだけだ。
「大きく声を出して、相手より先に一歩前に踏み込んで、相手より先に面を打て。
昇段審査は試合じゃないから、何度打たれても構わない。稽古した面打ちをぶつけていけ」
着装もきちんとできている。所作事も間違っていない。果たして――
髙田は飛び込んだ。隼人と燕が教えた通り、相手の動きを意に介さず、見事に正面から打ち割ってみせた。
相手も出端の小手を狙っていたが、手元が折れて間に合っていない。明らかに先に動いた髙田の方が審査員の心証はいい。
初二段の審査では、審査員はできる限り受審者の良い所を探してくれようとする。
この一本で、合格は確定した、と隼人は感じた。その後も、髙田は二本目、三本目と続けざまに面へ飛び込んでいった。
隼人の説いた通りに、愚直に。真剣に。これが審査ではなく、試合であっても勝てるのではないかという成長ぶりであった。
遠くの試合場から、燕の高い声と、竹刀が当たり所を捉える打突音が聞こえてきた。
あちらも順調らしい。
隼人は受審者の誘導で立ち回りながら、実技審査の終了を待った。
◇
実技審査の結果、髙田と吉屋は問題なく合格した。
ただ――錬心舘所属者のうち、廣都留謙士郎という三段の受審者に不合格が出たことが、隼人には気に掛った。
廣都留は少年部から持ち上がりで稽古している錬心舘の所属者で、冢本と同じ大学生だが、その腕前はぱっとしない。
もう少し、目をかけてやれば良かったか。そんな事を思う。
――これまで、隼人はあまり他人の審査の合否を気に掛けたことがなかった。
無論、合格したと聞けば祝い、高段合格者が出れば祝宴にも参加するのだけれど、元よりあまり他人の事に興味を抱かなかったのだ。
それが今、実技で三段に落ちるようなら、もう少し教えておけば良かったと小さな悔悟を頂いている。
そんな己の変化を、隼人はどう思っているのか。
実技審査を合格したもの――ごく一部の不合格者を除いた全員――が、日本剣道形の審査を開始した。
前回の審査で形審査不合格となった冢本琢也が受審するのはここからだ。
形審査の合格率は高い。まして、錬心舘には県下一の形の名人の範士に稽古を受けているという自負があったので、受審者にも合格以上の練度で形を仕込んでいる。
とはいえ、本番の審査では緊張のあまり完全に覚えた筈の形を間違えたという話も度々聞くものだ。
隼人は冢本に目をやった。冢本は打太刀だったが、上手く仕上がっている。普段通りなら問題なく合格するだろう。
軽薄な所もあるが――本番に緊張で固くなることなく挑める気質は、裏表の長所だと隼人は認めていた。
しかし――冢本は、相手が悪い。形は立ち合いと違い、勝敗を競うものではない。
けれども、相手のレベルがあまりに低い場合、引きずられて落ちる、ということはままあるのだ。
隼人の見立てでは、冢本の相手は、錬心舘に来た時の冢本と変わらない程度には形が拙い。
けれども、打太刀――形の流れを先導する立場である冢本は、相手の技倆の応じて、上手に技の誘導を行い、見事に十本の形を演武して見せた。
ああ、これなら大丈夫。合格をして余りあると、安堵する。
隼人の見立て通り、実技審査を合格した者は全員、形審査と学科審査も合格を果たした。
閉会式が行われる。
三々五々に受審者たちが帰宅していく中、隼人は立会人として審査会場の片付けを手伝っていた。
不意に、ジャケットの袖が引かれた。先生、と声がかかる。髙田裕翔だった。
「水﨑先生、ありがとうございました」
髙田は、神妙な顔をして折り目正しく頭を下げた。
隼人は目元に柔らかな笑みを浮かべ、髙田の頭を撫でた。
「うん。良い面だった。おめでとう!」
それだけ簡潔に告げる。上達の成果は、自分自身が一番良く分かっている筈だから、多くの言葉は要らなかった。
後ろで、髙田の母親も頭を下げている。
「ありがとうございました!」
髙田は、もう一度大きな声で挨拶をして、踵を返して駆けていった。
マナーモードにしたスマホがポケットの中で震えている。
道場のLINEには、本日の昇段審査の受審結果の報告と、労いの言葉が飛び交っているのだろう。
『それに、貴方がしてきたことの成果が、もうすぐ見られますよ』
これが、德丸の言っていた自分のしてきた成果なのか、と隼人は首を捻る。
否。と胸中でかぶりをする。
してきたこと、と誇るには、自分のやってきた事は余りにささやか過ぎる。
剣道の成果は、結局己自身がどんな稽古をしてきたかでしか計れないのだから、と。
けれども――悪い気分はしなかった。
スマートフォンが着信を伝える。冢本だった。
『お疲れさまっス。形のご指導をありがとうございました』
「応。おめでとう。ちょっとは見られる形を打つようになったじゃねえか」
『水﨑先生にそう言って貰えると嬉しいっス。
――吉屋さんと話してたんスけど、今日ちょっとささやかな合格祝いの飲みをするんス。
俺らで飲むんで、水﨑先生も来ないっスか?』
――普段の隼人なら、断っただろう。隼人はあまり飲み事が好きではない。
無論、錬心舘を挙げての祝い事なら、若手を代表して幹事として立ち回ることも度々だが、不要な飲み事に顔を出す性質ではない。
それが、若手だけの飲みなら尚更だ。竹刀を置いた隼人は、20代の燕と冢本との距離を未だ計れずにいる。
一歩引いて年長者として見つめるべき立場とは思うのだが――共に笑い合えるような相手とも思うのだ。
――あんまりオッサンが若い奴に絡むんじゃないぞ。相手がニコニコ対応してくれても、無理させてるだけだからな。
職場では、そんな警句も幾度かは聞いた。
断るべきだ。
「分かった。店をLINEに入れといてくれ」
自分でも驚いたことに、隼人の口は、頭の判断とは真逆の答えを発した。
よっしゃ! と電話口の向こうで喜ぶ声がする。
四段と五段の合格祝いだ。今晩の飲み代ぐらいは俺が持ってやるか。
隼人は、そんな風に苦笑するのだった。
◇
「やあやあ! 吉屋ちゃん! 琢也君! オメデトウオメデトウ!」
乾杯の音頭をして程なく、途中参加で山國がやってきた。
「山國さん、また飲み事があると聞いてたかりに来たんですか?」
「とんでもない! 私の行きつけの居酒屋で飲んでると聞いて、私の故郷の地酒をお祝いに持ってきたんですよ!」
山國は、祝い合格と書かれた括り酒を取り出してみせた。
ハイボールを注文して、山國は隼人の隣に滑り込んだ。
これまでは四人席の片側に隼人が座り、対面に冢本・燕という形だった。憎まれ口を叩いて見せたが、若手二人に挟まれて尻の座りが悪い思いをしていたので、山國の登場はありがたかった。
山國を呼ぶことを提案したのは冢本である。隼人が少し居心地悪げにしていたのを察したのだ。
燕が一瞬裏切り者を見るような瞳を冢本に見せたが、冢本は黙殺した。隼人は気付きもしない。
隼人は年長者の自分は無闇に口を挟まずに聞き役に徹しよう、と考えていたが隼人は勿論気付かない。
燕も冢本も、全日本選手権予選の後隼人が落ち込んでいた事を気に掛けていたし、前々から親しく話す機会を求めていたのだ。その辺り、やや鈍感な男なのである。
これまでは二人が交互に盛り上がらない話題を提供していたが、山國の投入で一気に場が回りだした。
「え? 水﨑さん大学の頃そんなアホしてたの!? あははははは!」
「応。うちの大学には変な風習があって、飲んだ後に先輩が『セミやれ』って言ったら、後輩は電信柱に掴まってこう叫ぶんだよ。
みぃぃぃぃんみぃぃぃぃんみぃぃぃぃん!!」
げらげらと笑い声が上がる。
燕も冢本も、居酒屋の油っ気の多い料理をよく食べた。見ていて気分が良くなるような食いっぷりだった。
30代も半ばを越えて、揚げ物を食い込めなくなった隼人には羨ましい食欲だった。
年末の飲み会では、余った料理を『若いんだから、お前はたっぷり食え』と高齢者がよこしてくるのだが、ありがた迷惑も良い所である。
――今度から、飲み会の料理はこいつらに回そう。隼人は決意した。
「だから、私は藤﨑選手に憧れてるの。藤﨑八段も有名だけど、私が目指すのは断然で藤﨑綾子選手!」
山國が酔いに乗じて熱弁を振う。
――尊敬する選手。
国民スポーツ大会に出場した時の審判への愚痴。
学生時代の無茶な稽古。
試合した中で一番強かった相手。
剣道以外の諸々の趣味。
若手と話すことなどあまりないと思っていたが、思った以上に話は弾んだ。
――歓談は二時間ほど続いた。
「じゃあ、俺たちはここで。今晩はご馳走様でした」
「お疲れ様でした~」
燕と冢本が手を振って去っていく。隼人は、真っ先に潰れた山國に肩を貸しながら、九州の地方都市の夜道を歩く。
夏の夜の蒸し暑さで、肌が触れ合っている腕がじっとりと汗ばんだ。
「――もう一軒、もう一軒行きましょうよぉ~!」
「そんなに飲んで。な~に言ってるんですか」
「全日本予選、私、燕ちゃんにボコボコにやられちゃいましたよ。反則二回って、あんな恥ずかしい負け方をしたのは初めてです。
あーあ、もうアラサーのオバサンは現役を引退しろ、ってことですかねえ」
隼人自身、山國の想いは十分に理解できた。随分ペースが早いと思ったら、自棄酒でもあったのかもしれない。
そう思ったが、代わりに毒に薬にもならない慰みを口にした。
「山國さんは、まだ十分に若いでしょう」
もうじき30歳になる山國は、えへへ、と少女のような顔で笑った。
アルコールで焦点の定まらない眼鏡の下の瞳が、とろんとした艶を帯びる。
「水﨑さんわぁ、まだ結婚とか考えないんですかぁ」
「……そろそろ、身を固める時期だ、って周囲からは言われるんですけどね。
思えば人生、剣道ばかりで趣味も何もない。家はいつも道具を干していて臭いし――
俺の所に来たい女性なんていないでしょう」
「じゃあ、剣道をやってる人をお嫁さんに貰えばいいんじゃないですかぁ?
理解ありますよ、きっと」
「そんな女性、滅多にいないでしょう」
「いるところにはいますよぉ」
えへへへへへ、と子供っぽく山國は笑う。
「……私、もうじき六段審査を受けるんです」
「再来週、福岡ですよね。こんなに飲んで良かったんですか」
「飲まなきゃやってられませんよぉ。審査には落ちるし、若い子には負けるし。
燕ちゃん見てると、若さが羨ましくて目が潰れそうになります」
「わかります」
「水﨑さんはきっと分かってないですぅ」
山國はぽかぽかと水﨑の頭を叩いた。
「あんまり自信ないんですよね。今度の福岡審査。
女で二刀ですし、審査員に見て貰えないんじゃないかとか、男の人の速度についていけるかな、とか、そんなことばかり考えちゃいます。
妙武道場はおじいちゃん先生ばかりですから、同いぐらいの若い人とできる機会が中々なくって。
しばらく、錬心の方に出稽古に伺おうと思ってるんです」
昇段審査は、同じ段位を受審する者が年齢順に並ぶことになる。
六段からの全国審査は、基本的に男女混交で行われる。山國は自分よりフィジカルで勝る男性選手を相手に有効打を加えて見せなければならない。
――加えて、山國の使う二刀は、昇段審査では審査員から受けが悪いと昔から言われている。
審査の時だけ、二刀を一刀中段に戻す選手も多い。
けれども、山國は頑なに二刀での審査合格を目指している。
前回不合格だった審査も、一刀で受ければ山國は合格していた――隼人はそう思うのだが、山國は夫婦で日本の二刀の代表的な指導者になっている女性指導者の剣を強く意識していて、この数年、山國が二刀を下ろした所を隼人は見ていない。
「水﨑さん、最近面倒見がよくなったじゃないですかぁ。
今度審査を受ける私の事も、ちょっとは面倒見て下さいね」
ぐい、と体重が預けられる。アルコールと、女性の汗の香りが鼻をくすぐった。
隼人は、無言で歩き続ける。
程なくして、山國のアパートへと着いた。覚束ない手付きで、山國は鍵を開ける。
「それじゃあ、よく水を飲んで、お気をつけて」
用は済んだとばかりに去ろうとする隼人の手首を、ぐいと山國は引いた。
「送って貰って、ありがとうございました。
お茶ぐらい、飲んで行って下さいよぉ」
アパートに引き込もうとする山國を、隼人は両肩を掴んで留めた。
「もう遅いですから。早く寝た方がいいです。――それでは、失礼します。お休みなさい」
静かな音を立てて扉が閉まる。
山國は、酔い醒めやらぬ覚束ない足取りでベッドに倒れ込んだ。
「……ふん、つまんない男。
男ならガバ―ってくればいいのに。ガバ―って。
まあいいか。私が六段を取ったら、その時はまた――」
呟く声は、やがて小さな寝息に変わった。
山國今日香が、眼鏡のフレームの歪みに気付くのは明朝の話である。
今はただ、胡乱な夢の中を揺蕩うばかりだ。
夢の中で、彼女は逞しい男の腕に抱きしめられている。山國は、ベッドの上のクッションを抱きしめ返す。
――隼人は、山國今日香のアパートの扉に背中を預けて、夏の大三角形を眺めていた。
酒の香りと、山國の甘い体温がまだ腕に残っている。
「……ちょっと、勿体ないことをしたかな」
ぼりぼりと頭を掻いて、隼人は静かな帰路についた。
◇
二週間後、山國は見事六段審査に合格を果たした。
女性で二刀による六段合格は、ささやかな快挙である。
小さな祝賀会で山國はまた存分に飲み、またしても隼人の介抱を受けることになった。
今度こそ部屋に引き込んでやる――そんな下心を以て、事前に寝室を綺麗に片付け香水を撒き、勝負下着を纏って祝賀会に参加した山國だったが、目を覚ますとタクシーの中であった。
「水﨑隼人の甲斐性なしぃっ!」
山國は、一人夏の夜空に叫ぶのだった。
続




