#10 防戦
『おかしいな……魔力の流れが、急に乱れ始めたぞ』
ただ一人、この世界に転移した魔族であるリゲルは、急にあちらこちらで増加し始めた魔力の潮流の乱れを察知し、戸惑っていた。そのおかげで、あの大魔導師の位置を見失った。
『考えてみれば、この世界にも魔力は満ちている。当然、魔力を使う者もおろう。が、ならばなぜ急に、それが今ごろ現れ始めたというのだ?』
魔族は、魔力の流れに対しては人族より遥かに鋭い。が、それが大きく変化した理由までは、察知することができない。
『まあいい、どのみち私はこの世界の人族を統べて滅ぼし、この世界に君臨する。そのためには、魔物をもっと増やさねばな』
そう言いながら、リゲルはここ二か月ほどの間、島々を転々とし、そこにいた原住民族らを襲い、魔物の糧としてきた。おかげで魔物らはまるで鼠算式に増え続け、当初は数百匹だった魔物も、今や七千を超えるほどの規模にまで増えつつあった。
『とはいえ、ここの人族の多くは魔導を知らぬ者ばかりのようだ。我には、幸いなことだな』
そういいながら、島々を転々としつつ移動していた。やがて彼ら魔物の群勢は、ある島に近づきつつあった。
そう、そこは日ノ本軍の拠点の一つである、ラグーン基地である。
スルタン諸島最大の島、ニューヴェル島の西端に位置するこの航空基地には、陸海軍の主力となる航空隊が進出していた。
そこでは連日、アルメリア軍が爆撃を行っていた。が、彼らの基地は依然としてイーストランド島にしかなく、航続距離も長いため、なかなか大規模な攻勢に出られない。
ひと月ほど前に、一万もの上陸部隊をもってヴァトゥレブ島を再度制したものの、再び現れた黒い影の集団によって、二度目の壊滅を味わう。ただし、生存者の証言からは、それが日ノ本軍の仕業ではなく、イーストランド島を襲った謎の「黒い人獣」であったことも報告されている。
いくら機銃を撃っても、奴らは突撃を止めない。機関銃、機関砲程度の武器では、リゲルの張る防御魔導ゆえにその黒い化け物を貫けない。辛うじて二十ミリ機関砲で、その隙をつくことがある程度だ。そんな化け物が相手では、普通の歩兵が適うはずもない。この得体のしれないものとの戦い以来、その島への進出はタブーとされてしまった。このため、空母からの攻撃機か、あるいは遠くイーストランド島から爆撃機を飛ばす他ないというのが、アルメリア軍の実情である。
そんなアルメリア軍も、すでに大小二十隻以上の空母と、十隻の戦艦、数十隻もの巡洋艦、駆逐艦艦隊をこの海に送り出しており、圧倒的な兵力で日ノ本軍を圧迫し始めていた。
ここに至っては、日ノ本海軍も黙ってはいられない。
大本営により第二次スルタン沖海戦が立案されたのは、そんな時期だった。
まさかこの時、彼らはこの主力基地に魔物の軍勢が迫っていることなど、知る由もなかったが。
◇◇◇
「えっ、に、二十隻以上!?」
私は驚いた。わずかの間にアルメリアという国は、二十隻もの空母をこのうみにおくりこんできたというのである。
「わ、我が軍は……」
「ようやく空母を十隻、そろえたところです。あと五隻が、まもなく就航する手はずなのですが、思いの外、工期が遅れておりまして」
うーん、やはり坂口の言う通りだな。国力が違い過ぎる。この数か月の間、ほとんど日ノ本軍の空母は増えていない。
だが、幸いにも陸上の拠点を持たない彼らは、ラグーン基地より先に進むことはできないでいた。
しかし、奇妙な話だ。こちらはラグーン基地で防戦一方だ。そして近くには、無数の島々がある。特にその南端に当たるヴァトゥレブ島へアルメリアに基地を作られることがあれば、もっと多量の敵航空兵器が送り込めるようになり、ラグーン基地は危機的状況になると、参謀長の溝口が言っていた。
が、なぜかそれを、彼らはしようとはしない。
その理由については、皆が不可解に感じていた。前回のスルタン沖海戦で多くの艦艇を破ったとはいえ、それ以降は我が軍は南下もままならず、ヴァトゥレブ島攻略もかなわない。奴らにとっては絶好の機会だというのに、なぜかその島を奪おうとしない。
いや、それ以外にも多数の島はある。中には飛行場を建設可能な島の一つや二つはありそうなものだ。が、それすらも手出しせず、ただアルメリア軍は空母からの戦力に大きく依存しており、大型の爆撃機はイーストランド島という遠くの島から飛び立つ羽目になっていた。
「やれやれ、アルメリア軍のやつら、何を考えているんだ。まさかとは思うが、より大規模な艦隊を結成するまで、防戦に徹しているというのか」
と、参謀長である溝口は、この不可解な敵の動きを、兵士らに向けてこう語っていた。にしてもこの男、策略を読み解く能力が異様に高い。さすがは参謀長という肩書を持つ男である。
が、不可思議なのは、参謀長というものは通常、司令長官か艦隊旗艦に所属する者だと聞いた。が、溝口はなぜか単身で、空母「飛翔」に乗り込んで指揮を執っている。
少し奇妙に感じたので、ドネツランド語で坂口に尋ねてみた。すると、返ってきたのは意外な一言だった。
『ああ、あの方は要するに、左遷されたんですよ』
衝撃的な一言だ。が、どうやら溝口はこの艦に来る前、強行に空母艦隊思想を司令部内で説いていたのだという。挙句に、戦艦「和尊」を改装し、空母にすべきだとまで言い放った。
このひと言が決め手で、参謀長という肩書のまま、この一隻の空母に飛ばされた、というのである。
『私は、こちらの軍務については分からぬ。が、奴はあながち、戦略眼に過ちがあるようには思えぬが』
『正しいとか間違いとか、そういう基準ではないんですよ。単純に、大艦巨砲主義から離れられない将官が多すぎる。そんな中で溝口参謀長は、危うい存在だと思われてしまったというわけですよ』
『だが、いまや航空兵力なくして、戦いは成り立たぬのであろう?』
『そうですよ。そんなことは百も承知で、実際に敵も味方も空母の増産を決定しています。が、それでも一度下した決定を覆そうとしないんですよ。軍の上層部なんて、前線の兵士らの命よりも、自らの尊厳を保つことを第一に考えてますからね』
呆れた連中だ。国の存亡がかかっているというのに、自らの力を最大限に活かせない状況を放置し、失敗を認めようとしないで尊厳を優先するのはいかがなものか。
いや、似たような話は、王国にもあったな。特に王族が総大将となって戦ったものの、大敗したときなどはその重鎮が責任を取って辺境の地の防衛に飛ばされたりしたものだ。
世界変われど、そういうメンツを重視する輩はいるものらしい。
『それほどの人材ならば、今度の第二次スルタン沖海戦とやらの陣頭指揮に立たせれば、何かと都合がよいであろうに。なんともったいないことを』
私はそう、坂口に漏らす。が、坂口はこう返してきた。
『いや、その溝口参謀長のそばに「アマデラス様」、すなわちヴェルヘルミーネさんが現れたこと自体、幸運なことだと思いますよ。戦いの主導権を、握ったも同然ですから』
『私の言葉を解することが可能なそなたがいたことも、また幸いではあったがな』
この会話を通じて、私はなんとなくこの世界に来た運命のようなものを感じていた。
決して、ただの偶然ではない。何かを成すために、私はこの世界に現れた。
しかし、それが一体、何なのか? しかもだ、魔族や魔物まで転移し、この世界を荒そうとしている。おそらくはかの魔族は、何かを企んでいるに違いない。
いや、魔族の企みなど容易に想像がつく。すなわち、この世界から人族を消し去り、魔族の楽園とすること。向こうの世界でもやろうとしていたことだ、こちらでも同じことを企んでいることは間違いない。
そんな存在と共に、この不可解な世界に放り込まれて、私は何を為せというのか?
今はまだ、その運命の真髄にたどり着けていない。
やれやれ、こちらの神とやらは、本当に不親切だ、
さて、今度の戦いは、ラグーン基地という陸上の航空隊も参戦する予定となっている。このため、ラグーン基地まで敵を引き付け、そこで昼間航空機による攻撃を、夜は戦闘艦の砲撃をもって敵艦隊を叩こうという思惑のようだ。
こうして、第二次スルタン沖海戦が始まろうとしていた。
そんな矢先に、事件が起きた。
◇◇◇
「敵爆撃機隊、引き返していきます!」
ここはラグーン基地。海軍側の見張り兵が叫ぶ。
「よし、全機に帰投の合図を送れ!」
通常ならば、追撃に入るところではあるが、大きな作戦が控えていることもあり、このところラグーン基地では防戦に専念していた。
ちょうど防空任務に上がっていた局地戦闘機「雷炎」が次々と滑走路に向かいつつあった。一機、また一機と降り立ち、けたたましいエンジン音が基地全体に響き渡る。滑走路端の整備場に入った機体から、整備兵が駆け寄りメンテナンス作業が始まる。
被弾した機体があればその穴を埋め、機関に不調があれば調整、そうでなくとも激しい旋回や加減速を繰り返した機体ほど、鋲が飛んだり翼がねじれたりするなど、細かい修理が必要となる。
さて、そんな機体の修繕を行ってる間に、滑走路の脇では陸軍の兵士らが行軍訓練を行っている。敵上陸に備え、いつでも臨戦態勢を取れるようにという訓練だ。
が、海軍の兵士らはそれを、冷ややかな目で見ていた。
「行進するだけで、敵が倒せるわけがないだろう」
魔導訓練が導入されたとはいえ、やはり歩兵の訓練の中心は、行軍だ。規律正しい動きこそが精神を鍛えるという考え方は、やはり残っている。
無論、それは海軍とて同じだ。確かに魔導訓練は目に見えて力が現れる。だが、それ自体が敵を倒せるわけでもなく、結果的に満足感を得られる鍛錬という位置づけでしかなかった。
そう、この時までは。
異変に気付いたのは、まずは行軍訓練中の陸軍兵士たちだ。
「……今、何か聞こえなかったか?」
短射式歩兵銃を肩に抱えた兵士らが、何やらうめき声のようなものを聞き取る。
「あれだろう、この辺りに生息する野鳥の鳴き声ではないのか?」
「いや、あれほど低い声で鳴く鳥なんて知らんぞ。妙だとは思わないか?」
訓練中に私語を交わすなど、当然ながらあってはならないことだ。だから、その行軍列の先頭に立つ士官がこう叫ぶ。
「おい! 今、私語をしていた奴、出てこい!」
当然ながら、規律に厳しい陸軍の士官が怒鳴り散らす。行進が止まり、指揮官による「犯人捜し」が始まる。
無論、このまま黙っていれば、他の兵士によって指摘されてしまう。だから、その異変に気付いた兵士らはこう士官に告げる。
「少佐殿、森の中からなにやら、聞いたことのないうめき声が……」
だが、その報告はかえって、その指揮官を怒らせる。
「何をたるんだことを言っておるか! 臆病風に吹かれ、ついに幻聴が聞こえるようになっただけではないか! そのたるんだ精神を、叩きなおしてくれる!」
そういってその指揮官は、報告した兵士に拳を振り上げた。拳を向けられた兵士は、歯を食いしばる他ない。
が、その直後だ。
いきなり、森の中から何かが飛び出した。
真っ黒な、二足歩行ながらも、人の形とは思えぬ異形のもの。それが、拳を振り上げた指揮官の腕先に飛びついてきた。
「な……」
その指揮官は、その異形の獣に腕をつかまれるが、声が出せない。しかし、その異形の獣は、次々と森から飛び出し、兵士たちに襲い掛かってきた。
「う、うわーっ!」
すでに指揮官には、五、六体もの小型の魔物が取り憑いていた。そのうちの一匹に首元を嚙みつかれ、すでに絶命していた。残った兵士らは、持っていた銃で応戦する。
「くそっ! くそっ!」
バンッバンッと銃声が響き渡る。が、それらはいとも簡単にはじき返される。おびただしい数の魔物らが森から現れ、次々と兵士らに襲い掛かる。
やがて、百人余りのその部隊は、あっという間に黒い異形の化け物によって覆い隠されてしまった。
それを、滑走路越しに見ていた陸海軍兵士らが気付く。
「て、敵襲! 総員、戦闘用意!」
それがアルメリア軍でないことは承知していた。が、陸軍部隊を飲み込んだあたりで、それが味方などというものでないことくらい、誰にでもわかる。陸軍兵士らは銃を、海軍も戦闘機用の予備機銃抱え、その黒い一団に放つ。
バリバリと音を立てて放たれる機銃。だが、それらはまるで効き目がない。何体かの魔物が斃れるが、それ以上の黒い波が押し寄せてきた。
その様子を、銃声によって気づいた海軍将官が窓越しに見る。
「あれはもしや、アマデラス様がおっしゃっていた『魔物』とやらではないのか?」
そう認識したその将官は、拡声器で陸海軍兵士らに向かって叫ぶ。
『総員、杖を持ち、横一線に並べ! 魔物どもを引き付け、訓練通り魔導を放て!』
ほぼ毎日、訓練を続けてきた魔導訓練だが、ここに来て初めて「実戦」で用いることになる。歩兵銃はおろか、機関銃もまともに聞かぬ相手となれば、頼れるのは魔導しかない。
そのことは、その将官もアマデラス、すなわちヴェルヘルミーネから散々聞かされていたことだ。もしも魔物が現れたならば、横一線に並んで陣形を組み、魔導を放ち続けよ、と。
まさかそれを実践する場面が来るなど、この時までその将官は考えもしなかった。が、相手はまさしくアマデラス様が話していたあの、魔物そのものだ。
真っ黒で、人と獣の中間のような異形の生き物。それらは人を集団で襲い、根絶やしにするまで襲ってくる。
それに対する対処法はただ一つ、魔力を持って壁を作り、防戦することだ、と。
ついさっきまでアルメリア軍と戦っていた兵士たちは、階級を問わず杖を片手に、横一線に並んだ。ちょうど、基地の滑走路の端から端まで、ずらりと陸海軍兵士が並ぶ。
だが、それ以上の波が、まさしく滑走路の上にゆっくりと現れた。
小型の魔物がほとんどだが、中には人の数倍もの大きさのものもいる。それを見たその将官は、こう指示を飛ばす。
『アマデラス様の教え通り、魔物とやらに対処する! 引き付けるだけ引き付けた魔物に、詠唱を間断なく唱え続け、魔導を放ち続けよ!』
黒い波が、まさしく迫りつつあった。横一線に並んだ兵士たちに向かって、その波はまさしく荒波の如く覆いかぶさろうとしていた。
「「オー ゴット デス フォイアーズ、 エルフェレ ディー シュピッツェ マイネス シュターベス ミット ダー クラフト デス ファイエ・バウル!」」
初級魔導の詠唱を唱え、大小の炎が杖先に現れた。まさしく飛び掛かってきた黒い魔物らは、その炎魔導に不意を突かれ、焼かれていく。
機銃ですら聞かなかった相手が、たった一撃で粉砕されていく。しかし、奴らは何重にも陣を組み、次々と襲い掛かってくる。その度に詠唱を唱え、魔物を退ける。
まさに、この地上で初めて、魔物と人族との戦いが始まった。
むろん、小型の魔物ばかりではない。一つ目の大型の魔物が、こん棒を片手にその陣形の一端を崩そうと、まさにそれを振り下ろそうとしていた。
が、そこに氷魔導の使い手が現れる。
「オー ゲレヒター アイスゴット、 ゲヴェーレ ミーア デン カルテン、 ウネルビットリヒエン ハマー アウス アイス、 デン シュペア アウス アイス! 」
氷の槍を作り出す、中級魔導だ。幸いなことに、それなりに鍛錬された氷魔導師となった士官がいたことが幸いする。森の大樹よりも太い氷の槍先が現れ、まさに棍棒を振り下ろそうとしている大型魔物の上にその氷の槍を叩きつけた。
あっという間に、氷の槍は巨大魔物を貫く。あっけなく倒された大きな魔物を前に一瞬、小型の魔物の進撃も止まる。が、再び前進を開始する。
だが、実に基本的ながらも、統制の取れたこの魔導防戦によってじりじりと削られていく自らの兵力を、苦々しく見ているやつが森の木々の中にいた。
そう、この世界唯一の魔族である、リゲルだ。
『なんてことだ、この世界にも、魔導師がいたというのか』
初めて遭遇する魔導を放つ集団を前に、貴重な戦力が次々と削られていくのを黙って見ているわけにはいかない。
『ここは魔物を引き上げるか。このままでは、せっかく増やした魔物の群勢が無為に削られてしまう』
そう判断したリゲルは、魔物たちを後退させた。
『くそっ、この世界の人族など簡単に制圧できると思っていたというのに、何ゆえにここにきて急に、大勢の魔導師が現れたか』
悔しがるリゲルだが、一度魔物を失ってしまえば、もう二度と復活できない。なにせこの世界には、魔物というものは存在しないのだから。
『やむを得ないな、出直しだ』
森の奥に急ぎ撤退する黒い集団。それを見てようやく、ラグーン基地の兵士たちは安堵した。
もっとも、滑走路上には無数の黒い屍が転がっている。これらを撤去せねば、基地として機能しない。
「山崎司令長官に打電だ。我、魔物と遭遇するも、これを撃退した、と」
その将官は、すぐさまこの事実を戦艦「和尊」に座乗する司令長官宛に知らせる。単なる精神力の鍛錬と思っていた魔導訓練が、初めてかれらの軍事拠点を救った。




