第94話 重なる文字
夏の風が、円形列石の間を静かに吹き抜けていた。
春人は、しまいかけたタブレットをもう一度取り出した。
「黒崎さん」
「ここで見比べてもいいですか」
黒崎は少し考えてからうなずく。
「ええ」
「今日は調査の日じゃ」
「比べるんも調査のうちじゃ」
蒼太が顔を輝かせた。
「よっしゃ!」
みゆはしゃがみ込み、ノートを開く。
今日描き写した刻み。
①。
④。
⑧。
三つの形が並んでいた。
◇
「まず」
春人は①番の刻みを見る。
細い一本線。
タブレットの画面をゆっくり送る。
「あ……」
指が止まった。
「これ」
蒼太が身を乗り出す。
「同じじゃ」
一本線。
向きまでよく似ていた。
春人は静かに言う。
「『わ』」
みゆもうなずく。
「氷色が教えてくれた文字」
陸が目を丸くした。
「一つ目じゃ」
◇
「次」
④番。
枝分かれした刻み。
春人は画面を送る。
「あった」
蒼太が叫ぶ。
「これじゃ!」
ノートと画面を並べる。
枝分かれする位置まで、よく似ていた。
「『な』」
あかりが思わず笑う。
「二つも一致した」
◇
「最後」
⑧番。
丸から短い線。
春人は何度も画面を送る。
「……」
誰も声を出さない。
やがて。
「あった」
春人がつぶやく。
みんなが画面をのぞき込む。
「……ほんまじゃ」
みゆが静かにつぶやいた。
形は、ほとんど同じだった。
◇
蒼太が立ち上がる。
「やっぱりじゃ!」
「石の刻みは文字じゃ!」
「待て」
黒崎が静かに止める。
「今」
「何が分かった」
蒼太は少し考える。
「……」
黒崎が続ける。
「石の刻みと」
「タブレットの文字が」
「同じ形をしとる」
「そこまでじゃ」
五人は黙った。
「意味まで同じとは、まだ言えん」
蒼太が苦笑する。
「また仮説か」
「そうじゃ」
「じゃが」
「かなり強い仮説にはなった」
みゆは書き込む。
『①=わ?』
『④=な?』
『⑧=?』
◇
その時だった。
「待て」
蒼太が急に声を上げた。
「⑥番」
「刻みあったよな」
みゆがページをめくる。
『⑥ 刻みあり』
「描いただけで」
「まだ比べてない」
春人が言う。
「あとで比べよう」
春人はもう一度⑥番の石へ目を向けた。
小さな刻みは、ほかの石より目立たない。
それでも。
なぜか気になった。
黒崎もうなずく。
「慌てるな」
「一つずつ確かめりゃええ」
◇
少し沈黙が流れた。
やがて蒼太が言う。
「黒崎さん」
「最後に」
「一回だけ歌ってもええ?」
黒崎は円形列石を見回した。
調査は終わっている。
写真も撮った。
記録も書いた。
静かにうなずく。
「一回だけじゃ」
「それも観察になる」
◇
五人は列石の中央へ立つ。
昨日と同じ場所。
同じ五人。
違うのは。
今日は、刻みを知ったことだった。
春人が息を吸う。
「いくよ」
五人の歌声が山へ広がる。
――アー……
一行目。
「!」
①番の刻みが青白く光った。
「光った!」
陸が叫ぶ。
しかし。
一行が終わる頃には、光は消えていた。
二行目。
今度は④番。
枝分かれした刻みだけが淡く輝く。
「④番!」
あかりが声を上げる。
三行目。
歌が重なる。
少し離れた⑥番の刻みが、静かに光った。
「また!」
蒼太が息をのむ。
「⑥番じゃ!」
四行目。
最後の歌声が山へ響く。
その余韻に応えるように。
⑧番の丸い刻みが、小さく輝いた。
歌が終わる。
風が戻る。
セミが鳴き始める。
五人は誰も動かなかった。
「……見たよな」
蒼太の声は震えていた。
全員が何度もうなずく。
その時だった。
「……待て」
黒崎が静かに口を開く。
五人が振り向く。
黒崎は少し困ったような顔をしていた。
「お前ら」
「何を見た」
一瞬。
誰も意味が分からなかった。
「え?」
春人が聞き返す。
「石です」
「歌に合わせて光りました」
黒崎は①番から⑧番まで順番に見回す。
しばらく黙って石を見つめる。
そして静かに首を振った。
「……わしには」
「光ったようには見えんかった」
「えっ」
陸が思わず声を上げる。
「見えんかったん?」
「見えとらん」
黒崎は落ち着いて答えた。
「じゃが」
「お前ら五人が」
「全員同じことを言うんなら」
「それも観察結果じゃ」
みゆは急いで新しいページを開いた。
黒崎が静かに言う。
「事実だけを書け」
「五人には見えた」
「わしには見えんかった」
「そこまでじゃ」
みゆはうなずき、鉛筆を走らせる。
『一行目 ①番が光る(五人確認)』
『二行目 ④番が光る(五人確認)』
『三行目 ⑥番が光る(五人確認)』
『四行目 ⑧番が光る(五人確認)』
『黒崎には光は見えなかった』
春人は、その最後の一行を見つめた。
胸の奥で、何かが静かにつながる。
タブレット。
氷色。
そして石。
どれも。
五人だけを選ぶように応えていた。




