第90話 石の記憶
氷室の中には、静かな時間が流れていた。
外の暑さが嘘のように、冷たい空気が石の壁をゆっくりと伝っている。
氷色は、まだうれしそうに笑っていた。
「ひさしぶり」
「うれしかった」
五人は顔を見合わせた。
さっきまで山で歌っていた歌。
その歌を、石が喜んだ。
まだ信じられない。
最初に口を開いたのは蒼太だった。
「氷色」
「石って、生きとるん?」
氷色は少し考えた。
それから、ゆっくり首を横へ振る。
「ちがう」
「でも」
「こころ」
「ある」
「心?」
春人が聞き返す。
氷色は氷室の石壁へ、そっと手を当てた。
「ありがとう」
「うれしい」
「かなしい」
「たいせつ」
「のこる」
みゆが、小さくつぶやく。
「……気持ち」
氷色はぱっと笑顔になった。
「そう」
「きもち」
「のこる」
春人も壁へ手を当ててみる。
冷たい。
何の変哲もない石だ。
それなのに。
その奥には、長い時間が眠っているような気がした。
「だから」
氷色は続ける。
「うた」
「よろこんだ」
「ひさしぶり」
陸が腕を組んだ。
「じゃあ」
「昔はよう歌っとったんじゃな」
氷色は何度もうなずく。
「いっぱい」
「みんな」
「わらう」
「うたう」
「つながる」
最後の言葉だけ、少しだけ力がこもっていた。
春人はその言葉を繰り返す。
「つながる……」
みゆは静かにノートを開いた。
今日、新しく分かった言葉を一つずつ書き足していく。
『石は心を残す』
『歌を聞く』
『つながる』
鉛筆が止まる。
少し考えてから、一番下へ小さく書いた。
『忘れられた歌』
その文字を見た春人は、小さくうなずいた。
「……それか」
「僕たちが探すもの」
蒼太が腕を組む。
「歌だけじゃねぇ」
「言葉も」
「石も」
「全部つながっとる」
春人は小さくうなずいた。
「だからこそ」
「どうして忘れられたんだろう」
蒼太はその言葉を引き取るように尋ねた。
「なんで」
「今は歌わんようになったん?」
氷室が静かになる。
氷色の笑顔が少しだけ消えた。
遠くを見るような目になる。
「……わすれた」
それだけだった。
誰もすぐには言葉を返せない。
忘れた。
たった四文字なのに、その響きは妙に重かった。
あかりがぽつりとつぶやく。
「歌が消えたんじゃなくて……」
「忘れられたんじゃ」
氷色は静かにうなずいた。
「ことば」
「うた」
「みんな」
「わすれた」
春人は胸の奥が少し痛くなった。
歌は残っていた。
石も残っていた。
氷室も残っていた。
なのに。
歌う人だけが、いなくなってしまった。
氷色は五人をゆっくり見回す。
「だから」
「みつけて」
「ことば」
「うた」
その声は、小さかった。
けれど、まっすぐだった。
みゆはノートをそっと閉じた。
蒼太が力強くうなずく。
「任せぇ」
「わしら調査隊じゃ」
陸も笑う。
「全部探してやろうや」
「歌も」
「あの刻みも」
あかりが大きくうなずく。
「うん」
「まだ始まったばっかりじゃもん」
みゆも小さく笑った。
「みんなで」
「探そう」
春人は氷色を見る。
「約束する」
「僕たちが、忘れられた言葉と歌を見つける」
氷色は安心したように微笑んだ。
「ありがとう」
その一言だけで十分だった。
氷室の冷たい空気が、少しだけやわらいだ気がした。
春人は静かに石の壁を見つめる。
調査する相手は、石だけじゃない。
石に残った人の心。
忘れられた歌。
そして、言葉。
その全部は、きっとどこかでつながっている。
そのつながりを見つけるための夏が、始まった。




