第85話 それぞれの役目
納屋の中には、しばらく静かな時間が流れていた。
外ではクマゼミが途切れることなく鳴いている。
開け放した戸から吹き込む風が、机の上の地図をかすかに揺らした。
「じゃあ」
黒崎が口を開く。
「今日はここで終わり……でもええんじゃが」
五人は顔を上げた。
「せっかく集まったんじゃ」
「親御さんにどう話すか、一回考えとくか」
陸が「あっ」と声を上げる。
「確かに」
「勢いで言うたら怒られそうじゃ」
「勢いで言わんでも怒られるかもしれんけどな」
あかりが笑う。
みんなもつられて笑った。
黒崎は机のそばへ腰を下ろした。
「まず確認じゃ」
「お前らがやりたいのは何だ」
春人が答える。
「石を調べることです」
「何のために」
「歌や文字とのつながりを知りたいから」
「うん」
黒崎はうなずく。
「そこまでは間違っとらん」
今度は杉谷が口を開く。
「でも親御さんが一番気にするんは、そこじゃない」
「え?」
陸が首をかしげる。
「どこへ行くんか」
「誰と行くんか」
「危なくないんか」
「ちゃんと帰って来るんか」
杉谷は指を折りながら数えていく。
「親はそこを聞く」
五人は思わず顔を見合わせた。
確かに、自分たちは調べたいことばかり考えていた。
けれど親が心配することは、それとは少し違う。
「じゃあ……」
春人が考えながら言う。
「黒崎さんが一緒ってことは、ちゃんと言った方がいいんですね」
「もちろん」
黒崎が笑う。
「隠しても後で困るだけじゃ」
「杉谷さんも?」
みゆが尋ねる。
「必要なら行くぞ」
杉谷がにっこり笑う。
「説明ぐらいなら、いくらでもする」
あかりがほっと息をついた。
「それなら、お母さんも少し安心するかも」
陸も大きくうなずく。
「うちは父さんより母さんじゃな」
「母さんが『ええよ』言うたら、たぶん父さんも『気ぃつけて行け』で終わる」
「うちは逆」
蒼太が短く言う。
「父さんに話す」
「お母さんは心配しすぎる」
その一言に、みんなが思わず笑った。
「春人は?」
黒崎が尋ねる。
「僕は……」
春人は少しだけ考える。
「まず母さんかな」
「父さんは出張のことも多いし」
「でも二人とも納得してくれないと」
「そうじゃな」
黒崎はうなずいた。
「誰か一人だけが分かっとる、じゃ駄目なこともある」
納屋に再び静かな空気が流れる。
けれど、さっきまでの不安とは少し違っていた。
何を話せばいいのか。
誰に最初に話すのか。
一つずつ形になり始めている。
杉谷は立ち上がり、ゆっくりと戸口の方へ歩いた。
「返事は急がんでええ」
「今日でも、明日でも」
「ちゃんと家族と話して決めりゃええ」
黒崎は立ち上がる。
「親御さんが納得してくれたら」
「その時は、いよいよ本当の調査の始まりじゃ」
五人は顔を見合わせた。
その言葉だけで胸が高鳴る。
けれど。
黒崎はすぐに笑った
「……とは言うても」
「その前に、練習じゃ」
「練習?」
陸が首をかしげた。
「親御さんに話す練習じゃ」
五人は顔を見合わせた。
「いきなり本番より、その方がええ」
「俺が親役やる」
「ええっ」
あかりが思わず声を上げる。
「なんか緊張する」
「まあやってみ」
黒崎は笑う。
「誰からでもええ」
少し沈黙が流れた。
その空気を破るように、陸が手を挙げる。
「ほんなら、わし」
「おう」
黒崎は姿勢を正した。
急に真面目な顔になる。
「陸のお父さんじゃ」
その言い方がおかしくて、みんなが吹き出した。
「なんで笑うんじゃ」
黒崎まで笑っている。
「ほれ、話してみ」
陸は一つ息を吸った。
「父さん」
「山へ行ってくる」
「駄目じゃ」
黒崎が即答した。
「早っ!」
陸が目を丸くする。
納屋に笑い声が広がる。
「理由がない」
黒崎は肩をすくめた。
「山へ行くだけなら反対される」
「そっか」
陸は頭をかいた。
「じゃあもう一回」
「父さん」
「自由研究で山の石を調べたい」
「黒崎さんも一緒じゃ」
「危ないことはせん」
「夕方には帰る」
黒崎は少し考えるふりをした。
「……ふむ」
「前よりええな」
「ほんま?」
「半分ぐらいは安心した」
陸はほっと息をついた。
「次」
黒崎が周りを見る。
「誰行く?」
「はいはい」
あかりが手を挙げた。
「やってみる」
「よし」
黒崎はまた表情を変える。
「今度はお母さんじゃ」
あかりは少し考えた。
「お母さん」
「黒崎さんと杉谷さんも一緒に山へ行くんよ」
「自由研究の続き」
「ちゃんと約束守る」
「だから行ってもいい?」
黒崎は腕を組んだままうなずく。
「悪くない」
「でもな」
「うん?」
「お母さんは一つ聞くぞ」
「何?」
「どこの山?」
「あ」
あかりが止まった。
「……そこ決めてなかった」
「そこは決めとかんとな」
杉谷が笑う。
「親御さんは必ず聞く」
「確かに」
春人もうなずく。
聞かれそうなことは、まだほかにもある気がした。
蒼太が地図へ目を落とす。
「場所」
「時間」
「誰が行くか」
「帰る時間」
短く言いながら指を折っていく。
「先に決めといた方がええ」
「その通りじゃ」
黒崎が笑った。
「調査と同じじゃな」
「準備が半分」
その言葉に、五人は静かにうなずいた。
山を調べる前に。
まず、自分たちがきちんと説明できるようになる。
それも、大切な準備なのだと、みんな少しずつ分かり始めていた。
「じゃあ」
黒崎が笑う。
「残り三人」
「誰から行く?」
春人は蒼太の方を見た。
「蒼太」
「お前やってみ」
「……いい」
蒼太は短く答えた。
「どうせ反対されん」
「そうなん?」
陸が驚く。
「父さんは理由が通ればええ人じゃ」
「でも」
黒崎が腕を組む。
「理由が通らんかったら?」
「通す」
即答だった。
納屋に笑いが広がる。
「ほんなら始めるぞ」
黒崎は真顔になる。
「どうした」
「父さん」
蒼太は地図を指さした。
「この石を調べたい」
「なんでじゃ」
「縄文時代から続いとる可能性がある」
「ほう」
「歌とも関係しとるかもしれん」
「ほう」
「それで」
黒崎が少し身を乗り出す。
「危なくないんか」
蒼太は一瞬だけ止まった。
「……」
「そこじゃ」
黒崎が笑う。
「一番大事なんは」
「そこを答えることじゃ」
蒼太は少し考えた。
「黒崎さんがおる」
「危ない場所へは行かん」
「約束も守る」
「うん」
黒崎はうなずく。
「それなら安心材料になるな」
蒼太も小さくうなずいた。
「なるほど」
「次」
黒崎が春人を見る。
「主人公」
「僕?」
春人は苦笑した。
「やってみます」
黒崎はまた親の顔になる。
「どうした」
「お母さん」
春人は少しだけ緊張した表情で言った。
「山へ調べに行きたいんだ」
「自由研究の続きをしたい」
「黒崎さんも一緒」
「危ないことはしない」
「夕方には帰る」
黒崎は静かに聞いていた。
「……理由は分かった」
そう言ってから首をかしげる。
「でも」
「なんでそんなに調べたいん」
春人は言葉を探した。
「それは……」
氷色のことは言えない。
歌のことも。
しばらく考えてから、小さく笑った。
「気になるから」
「最後まで知りたい」
納屋が静かになる。
黒崎はその顔を見つめた。
「それで十分じゃ」
静かに言った。
「好きなことを知りたい」
「それは立派な理由になる」
春人は少し照れくさそうに笑った。
「最後」
黒崎がみゆを見る。
「みゆ」
みゆは少し肩をすくめた。
「わたし……」
「苦手」
「知っとる」
杉谷が笑う。
「じゃけぇ練習なんじゃ」
みゆは小さく息を吸った。
「おじいちゃん」
「おばあちゃん」
「山へ行きたい」
「黒崎さんも一緒」
「約束も守る」
そこまで言って止まる。
「……」
言葉が続かない。
みゆは困ったようにうつむいた。
すると。
「それでええ」
杉谷が優しく言った。
みゆが顔を上げる。
「言葉が少なくても」
「ちゃんと伝わる相手はおる」
「飾らん方が、みゆらしい」
黒崎もうなずいた。
「無理して長く話さんでもええ」
「自分の言葉で話せばええんじゃ」
みゆは少しだけ笑った。
「……うん」
納屋の中に、ほっとした空気が流れた。
風鈴が、ちりん、と一つ鳴る。
黒崎は五人を見回した。
「よし」
「全員合格じゃ」
「やった!」
陸が思わず両手を上げる。
「まだ本番前じゃけどな」
黒崎が笑う。
「今日は帰ったら、それぞれ家族と話してみ」
「返事は急がん」
「明日でもええ」
「分かった」
五人の声が重なった。




