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第75話 東


 氷室を出ると、むっとした夏の空気が一気に体を包んだ。


 冷えていた頬が、すぐに熱を取り戻していく。


「暑っ!」


 あかりが顔をしかめる。


 陸が笑った。


「やっぱ外は暑いな」


 さっきまでの静けさが嘘みたいだった。


 木々の向こうではセミが一斉に鳴いている。


 木漏れ日の道を歩きながらも、五人とも口数は少なかった。


 頭の中は、さっき氷色が話してくれたことばかりだった。


 歌。


 石。


 返事。


 そして——東。


 全部がつながりそうで、まだ何かが足りない。


 林を抜け、自転車を止めてある広場へ戻る。


 春人はタブレットを開いた。


 画面には、昨日と変わらず一本の金色の線が伸びている。


 東へ。


 まっすぐに。


「納屋行こう」


 陸が言った。


 誰も反対しなかった。


     ◇◇◇


 納屋へ戻ると、扇風機の風が迎えてくれた。


 陸は机の上を片づけ、棚から大きな地図を取り出す。


「地図、広げるぞ」


 春人はタブレットを横へ置いた。


 画面を少しずつ縮めていく。


 甘岩市。


 岡山県。


 中国地方。


 縮尺が変わっても、金色の線は向きを変えない。


「止めて」


 蒼太が言った。


 春人の指が止まる。


 五人が机へ身を乗り出した。


「県は越えとる」


 陸がつぶやく。


「兵庫もじゃ」


「もっと東だね」


 みゆが静かに画面を見つめる。


 春人はさらに縮めた。


 日本地図が表示される。


 金色の線は岡山から東南東へ向かって細く伸びていた。


「この辺かな」


 あかりが指をさす。


「いや、もうちょい右じゃ」


 陸が首を振る。


 春人は少しだけ画面を動かす。


「止めて」


 また蒼太だった。


 画面と地図を何度も見比べている。


 やがて、小さくつぶやいた。


「一直線じゃ」


「え?」


 あかりが聞き返す。


 蒼太は地図へ指を置いた。


「ここが円形列石」


 指先が少しだけ東へ滑る。


「ここが陰陽石」


 さらに昨日見つけた石柱の位置へ指を移す。


「全部、この線の上じゃ」


 納屋が静まり返る。


 春人は思わず息をのんだ。


 ただ東へ伸びているんじゃない。


 一つ一つの石を結びながら、その先へ続いている。


 氷色は言っていた。


 石から石へ。


 歌と言葉を届けていた、と。


「じゃあ」


 蒼太が静かに言う。


「向こうにも石がある」


 誰も笑わなかった。


 もう誰も「そんなわけない」とは思っていなかった。


 春人はもう一度、東へ伸びる金色の線を見つめる。


 その先には、まだ名前も知らない誰かがいる。


 その誰かも、昨日、自分たちの歌を聞いていた。


「でも」


 あかりが頭をかいた。


「場所が分からん」


「日本地図じゃ限界じゃな」


 陸もうなずく。


 春人はタブレットを閉じかけた。


「……分からない」


 ここまで来たのに。


 あと少し届きそうなのに。


「あ」


 陸が顔を上げる。


「そういや」


「黒崎さん」


 納屋の空気が少し動いた。


 春人も思い出す。


 全国の遺跡や巨石を巡っている人。


 陰陽石のことも、自分たちよりずっと詳しかった。


「確かに」


 蒼太がうなずく。


「わしらより詳しい」


「あの人なら、この線の意味が分かるかもしれん」


「でも」


 あかりが首をかしげる。


「どこにおるん?」


「知らん」


「電話番号は?」


「知らん」


「じゃあ無理じゃん」


 五人は顔を見合わせる。


 そして同時に笑った。


 知っているようで。


 何も知らない。


 それが黒崎という人だった。


 その時だった。


 遠くから、低いエンジン音が聞こえてきた。


 ブロロロロ……


 最初は小さく。


 けれど少しずつ近づいてくる。


 陸が窓の外をのぞいた。


「あ」


「来た」


「え?」


 春人も立ち上がる。


 次の瞬間。


 一台のバイクが納屋の前へ滑り込んできた。


 エンジンが止まり、静けさが戻る。


 ヘルメットを外した黒崎が、いつものように笑う。


「よう」


「集まっとるな」


「黒崎さん!」


 あかりが駆け寄る。


 黒崎は笑いながら納屋へ入ってきた。


「どうじゃ」


「また何か見つけた顔しとるな」


 春人と蒼太は顔を見合わせた。


 一瞬だけ迷う。


 でも、ここまで来たら隠す理由はなかった。


 春人は昨日の出来事を、一つずつ話した。


 黒崎は最後まで黙って聞いていた。


 やがて、タブレットへ目を向ける。


「……もう一回」


「縮めてみ」


 春人が画面を日本地図まで縮める。


 黒崎は腕を組んだまま、じっと東へ伸びる金色の線を見つめていた。


 納屋には扇風機の音だけが響く。


 長い沈黙だった。


 やがて黒崎は、小さく息を吐く。


「……断言はできん」


 五人が身を乗り出す。


「でも」


 黒崎は東へ伸びる線を指でなぞった。


「この方向なら」


 少しだけ間を置く。


「俺なら——」


 春人は思わず息を止めた。


 黒崎は静かに言った。


「俺なら、伊勢から調べる」


 納屋が静まり返る。


 伊勢。


 その名前を聞いたことはある。


 教科書でも。


 テレビでも。


 けれど。


 昨日まで、自分たちとは何の関係もない場所だった。


 それが今。


 東へ伸びる一本の金色の線によって、急に現実のものになった。


 春人は地図の上をまっすぐ伸びるその線を見つめた。


 その先には、本当に誰かがいるのだろうか。


 昨日、自分たちの歌へ返事をくれた、まだ名前も知らない誰かが。

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