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第67話 見えた


 岩の円の中は、不思議なくらい静かだった。


 風は吹いている。


 木々も揺れている。


 けれど、その音はどこか遠くに聞こえた。


 春人は、ゆっくりと円の中へ足を踏み入れた。


 足元の草が、かさりと鳴る。


 何も起きない。


 金色の糸は、円の中心へ静かに流れ込んだままだった。


「……ここ、なんなん」


 あかりが小さく言う。


 誰も答えられなかった。


 蒼太はもう岩の前にしゃがみ込んでいる。


 苔の隙間を覗き込み、指先でそっと表面をなぞる。


「刻印は?」


 春人が聞く。


「……分からん」


 蒼太は眉を寄せた。


「あるような、ないような」


 陸も別の岩を見ていた。


「自然に転がっとる感じじゃないな」


「じゃろ」


 蒼太が頷く。


「誰かが置いたんじゃ」


「でも」


 みゆが円の中心を見つめる。


「何のために?」


 また誰も答えられない。


 春人はタブレットを開いた。


 画面には、ここまで辿ってきた線が残っている。


 けれど、新しい文字は出ていなかった。


 新しい線も増えていない。


 ただ、金色の道がここで止まっている。


 それだけだった。


「歌う?」


 あかりが聞く。


 蒼太が顔を上げる。


 けれど、すぐには答えなかった。


 さっきまでなら、間違いなく「やる」と言ったはずだった。


 でも今は違う。


 この場所の静けさが、全員を少し慎重にさせていた。


「……もうちょっと調べてから」


 春人が言った。


 蒼太も黙って頷いた。


 五人は円の周りを調べて回った。


 岩の裏。


 草の下。


 中心の土。


 石と石の間。


 けれど、何も見つからなかった。


 金色の糸はずっと中心へ流れ込んでいる。


 なのに、その先がない。


 まるで、ここで何かを待っているみたいだった。


「結局、何も分からんかったな」


 陸がぽつりと言った。


 その声で、張りつめていた空気が少しだけほどけた。


 あかりが大きく息を吐く。


「うん。分からん」


「分からんのに、お腹だけすいた」


 陸が言う。


「急に現実!」


 あかりが笑った。


 春人も時計を見る。


 もう昼前だった。


「言うと思うて」


 陸がリュックを開ける。


「ばあちゃんがおにぎり持たせてくれとる」


「えっ」


 中から、ラップに包まれたおにぎりが五つ出てきた。


「人数分ある」


「さすがおばあちゃん!」


 あかりの声が一気に明るくなる。


 五人は岩の近くの木陰に座った。


 ラップを開く音が、静かな山に小さく響く。


「いただきます」


 春人はおにぎりを一口かじった。


 塩の味がした。


 中は梅干しだった。


 朝からずっと歩いていたせいか、びっくりするくらいおいしかった。


「あ、わたし、お菓子ある」


 みゆがリュックから小さな袋を取り出した。


 個包装のチョコレートだった。


「いる?」


「いる!」


 あかりが即答する。


「わしもある」


 陸は塩あめを出した。


「熱中症になるけぇって、ばあちゃんが」


「陸のおばあちゃん最強じゃな」


 蒼太が言う。


「うちもラムネある」


 あかりも袋を出した。


「僕は……ビスケット」


 春人もリュックの底から小さな袋を見つけた。


「母さんが入れてくれてたみたい」


 気付けば、小さなおやつ交換会になっていた。


 さっきまで張りつめていた空気が少しだけやわらぐ。


 笑い声が、静かな山へ溶けていった。


 おにぎりを食べ終え、ラムネを口へ放り込んだあかりが立ち上がる。


「よし!」


 ぐっと伸びをする。


「もう一本の方も行こうや!」


 春人も思わず円の外を見る。


 そうだ。


 まだ左の道が残っている。


 金色の糸は二つに分かれていた。


 見たのは右だけだ。


 みゆも小さく頷く。


「気になる」


 陸はペットボトルのお茶を飲みながら蒼太を見る。


「どうする?」


 蒼太は返事をしなかった。


 おにぎりの包みを畳みながら、しばらく黙って考えている。


 やがて、小さく首を振った。


「今日は行かん」


「えーっ!」


 あかりが声を上げる。


「なんで?」


 蒼太はタブレットを開いた。


 画面には、ここまで辿ってきた線が映っている。


「右へ来た」


「円も見つけた」


「でも」


 画面を指で軽く叩く。


「ここから先が分からん」


 春人も画面を覗き込む。


 確かにそうだった。


 場所は見つかった。


 けれど、その意味は何一つ分かっていない。


「左へ行っても」


 蒼太は続ける。


「同じことになる気がする」


 静かな声だった。


「場所は増える」


「でも」


「分からんことも増える」


 誰も反論できなかった。


 円形列石を見つけた今でさえ、謎は増える一方だった。


 みゆがぽつりと呟く。


「意味が分からない」


「そう」


 蒼太は頷く。


「今足りんのは場所じゃない」


「意味じゃ」


 山に風が吹いた。


 葉が揺れる。


 誰も口を開かなかった。


 その時だった。


 春人が手に持ったおにぎりを見つめたまま、小さく言った。


「……氷色なら」


 全員が春人を見る。


「何か知ってるかもしれない」


 一瞬、沈黙が流れる。


 最初に頷いたのは、みゆだった。


「うん」


「あの場所のこと」


「見たことあるかもしれない」


 蒼太の目が少しだけ輝く。


「そうか」


 小さく笑った。


「聞けばええんじゃ」


 あかりも勢いよく立ち上がる。


「よし!」


「決まり!」


「ほんなら帰ろう」


「目印も回収せんと」


 五人は荷物をまとめる。


 最後にもう一度だけ、円形列石を振り返った。


 金色の糸は、相変わらず静かに中心へ流れ込んでいる。


 まるで、自分たちが戻ってくるのを待っているようだった。


 陸が木に結んでいたビニールテープを外す。


「忘れ物なしじゃな」


「うん」


 春人はもう一度だけ振り返った。


 円を描く岩。


 その中心へ吸い込まれていく金色の糸。


 何かがある。


 そう思うのに、何も分からない。


 そのもどかしさだけが胸に残っていた。


「行こう」


 蒼太が歩き出す。


 五人は来た道を戻り始めた。


 帰り道は、不思議なくらい静かだった。


 さっきまで賑やかだったあかりも、今日はあまり喋らない。


 みゆは何か考え込むように足元を見つめている。


 陸は目印に付けたビニールテープを一つずつ回収していった。


 春人は何度も振り返る。


 もう岩は見えない。


 けれど、あの景色だけは頭から離れなかった。


 歌う場所だった。


 どうしてそう思ったのか。


 自分でも分からなかった。


 やがて尾根へ戻る。


 朝とは違い、日差しはもう真上から降り注いでいた。


「暑っ」


 あかりが帽子をぱたぱたと仰ぐ。


「氷室行こ、氷室」


「賛成」


 陸も笑う。


「中入ったら生き返る」


「ほんまじゃ」


 少しだけ空気が軽くなる。


 神社の裏へ置いた自転車まで戻ると、五人はそのまま氷室へ向かった。


 ひんやりとした空気が流れ出してくる。


 外の熱気が嘘みたいだった。


「氷色ー」


 あかりが先に声をかける。


 静かな氷室に、その声だけが響く。


 返事はない。


 春人が一歩中へ入る。


 その瞬間。


 石の上で、小さな光がふわりと揺れた。


 いつものように。


 氷色が現れる。


 透き通る身体。


 淡い光。


 けれど今日は。


 五人の姿を見た瞬間、その表情が変わった。


 驚いたように目を見開き。


 次の瞬間には、胸いっぱいに嬉しさが広がるように笑った。


「……みえた」


 春人は首をかしげる。


「え?」


 氷色は五人を順番に見つめる。


 その瞳はどこか懐かしいものを見るようだった。


「みんな」


 春人は意味が分からなかった。


「みんな?」


 その時だった。


 蒼太が一歩前へ出る。


「待て」


 低い声だった。


「どこで見えたんじゃ」


 氷色は少しだけ考えるように目を伏せる。


 それから。


 山の方へ、そっと指を向けた。


「……うた」


 小さく言う。


「たくさん」


 もう一度。


「みんな」


 氷室の空気が静まり返る。


 春人の胸がどくりと鳴った。


 歌。


 たくさん。


 みんな。


 その三つだけで、一つの景色が頭に浮かぶ。


 あの山。


 円を描く岩。


 歌ったら光が集まった場所。


 春人は思わず息をのんだ。


「……あそこ?」


 氷色は春人を見る。


 そして。


 嬉しそうに、ゆっくり頷いた。


「みんな、いた」


 その一言だった。


 誰も声を出せなかった。


 氷色は、しばらく遠くを見るように目を細める。


 まるで、ずっと昔を思い出しているように。


 そして。


 そっと胸へ手を当てた。


「……わたしも」


 春人の心臓が止まりそうになった。

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