第66話 分かれ道
金色の糸は、朝の山の中で静かに揺れていた。
右へ一本。
左へ一本。
二つの光は、草の間を縫うように木々の奥へ続いている。
誰も喋らなかった。
ただ、その光だけを見つめていた。
「……どっちじゃ」
陸が小さく呟く。
「分からん」
蒼太も珍しく即答しなかった。
春人はタブレットを見る。
画面にも二本の線が現れていた。
右。
左。
それ以上の情報はない。
「どうする?」
あかりが聞く。
蒼太は石の前へしゃがみ込んだ。
刻印を見る。
光を見る。
もう一度タブレットを見る。
そして立ち上がった。
「右」
「なんで?」
「勘」
一瞬。
静まり返る。
「勘かい!」
あかりが思わず叫んだ。
「今まで散々考えといて最後それ!?」
「ええじゃろ」
蒼太は悪びれもしない。
「当たる時は当たる」
「外れたら?」
「戻る」
「軽っ!」
思わず全員が笑った。
その笑い声が、静かな山へ吸い込まれていく。
「じゃあ行こう」
春人が言う。
五人は右へ伸びる金色の糸を追い始めた。
光は歩く速さに合わせるように、ゆっくりと先へ伸びていく。
草をかき分ける。
岩を回る。
小さな沢を飛び越える。
山の奥へ入るほど、人の気配は消えていった。
聞こえるのは鳥の声と、葉が擦れる音だけだった。
「ほんまにこんな所、人来るんかな」
あかりが辺りを見回す。
「昔は来とったんじゃろ」
蒼太が前を向いたまま答える。
昔。
その言葉だけで胸が少し高鳴る。
今、自分たちは誰かが歩いた道を辿っている。
何百年。
いや。
もっと昔かもしれない。
春人は思わず光へ目を向けた。
金色の糸は細く揺れながら、次の石へと繋がっている。
一つ。
また一つ。
石が光るたび、胸の奥が少し熱くなる。
ちゃんと続いている。
間違っていない。
そう思えた。
その時だった。
「あれ?」
みゆが立ち止まる。
全員も足を止めた。
光が。
消えていた。
最後に光っていた石の先には、草しかない。
次の石が見えない。
「終わり?」
あかりが呟く。
蒼太は何も言わない。
周囲を見回す。
草をかき分ける。
岩の裏を見る。
ない。
どこにもない。
「そんなはず……」
春人は最後の石へ近づいた。
金色の糸は、確かにここで途切れている。
山は静かだった。
風だけが木々を揺らしている。
誰も動かない。
その沈黙を破ったのは、みゆだった。
「……もう一回」
小さな声。
「歌ってみない?」
春人は顔を上げる。
蒼太も振り返る。
歌。
また歌。
さっき道を開いたのも歌だった。
「やってみよう」
春人は頷いた。
五人は最後の石を囲む。
静かな山へ、もう一度歌が響いた。
アー イーラ ムー ナー
アー ヨーラ モー ウー
ワー ナー ヨー ラー
最後の音が消えた瞬間。
ふっ。
最後の石の向こう側。
草に隠れていた小さな石が、淡く金色に光った。
「……あった」
春人の声は震えていた。
草に隠れていた小さな石は、歌に応えるようにふわりと金色に輝いた。
金色の糸はその石へ届き、今度は迷うことなく、その先へ伸び始めた。
「まだ続くん?」
あかりが目を丸くした。
「終わりじゃなかったんじゃな」
春人も思わず呟く。
陸は周囲を見回した。
「ちょっと待て」
リュックから細いビニールテープを取り出し、近くの木へしっかりと結び付ける。
「知らん山へ入る時は、目印つけとかんと」
「そこまで?」
あかりが聞く。
陸は真顔だった。
「山は景色がよう似とる。帰れんようになる」
その一言で、全員の表情が少し引き締まった。
金色の糸を追いながら、一歩ずつ山の奥へ入っていく。
木はさらに太くなり。
下草は深くなり。
鳥の声さえ少しずつ遠ざかっていく。
春人は振り返った。
さっきまでいた尾根は、もう木々の向こうに隠れて見えない。
「陸」
小さく聞く。
「ここ来たことある?」
陸は首を横に振った。
「ない」
その一言に、春人は少しだけ息を呑んだ。
地元で育った陸ですら知らない。
その事実だけで、春人の胸はざわりと波打った。
金色の糸は止まらない。
一つ。
また一つ。
新しい石を光らせながら、さらに奥へと伸びていく。
やがて。
一本の巨木が見えてきた。
そこだけ空気まで違っていた。
幹は、大人が何人手をつないでも囲めないほど太い。
枝は空を覆い隠し、そこだけ時間が止まったような静けさがあった。
その根元に、小さな石が半分だけ埋まっている。
苔に覆われ、何も知らなければただの石にしか見えない。
「これか……?」
春人は息を潜めながら近づいた。
金色の糸は、その石へ吸い込まれていく。
――着いた。
春人は思わず息をついた。
けれど。
金色の糸は、その石で止まらなかった。
まるで石をすり抜けるように、その向こう側へ静かに流れていく。
「えっ」
春人は思わず声を漏らした。
「まだ続くん?」
あかりが目を丸くする。
蒼太は口元だけ笑った。
「行こう」
もう誰も止めなかった。
金色の糸を追いかける。
木々の間を抜ける。
最後の茂みをくぐった、その瞬間だった。
視界が、ふっと開けた。
全員が足を止める。
「……なんじゃ、ここ」
蒼太が息を呑む。
目の前には、岩が並んでいた。
一つや二つではない。
円を描くように、いくつもの岩が静かに立っている。
どれも苔むし、何百年、何千年もの時間をそこに立ち続けてきたようだった。
風が吹く。
木々がざわめく。
それなのに、この場所だけは不思議なくらい静かだった。
金色の糸は、その円の中心へ静かに吸い込まれていく。
春人は、息をすることさえ忘れていた。
五人は、誰一人として声を出せなかった。
風だけが、岩の間を静かに吹き抜けていった。




