第65話 ひかりの道
翌朝。
まだ空気に夜の涼しさが残る頃だった。
春人が神社へ着くと、石段の下で蒼太が腕を組んで立っていた。
「遅い」
「まだ六時前だろ」
春人が苦笑する。
「五分前じゃ」
「遅い」
「どっちなの」
そのやり取りに、後ろから笑い声がした。
「眠い」
あかりが欠伸をした。
「誰じゃ六時集合とか言うたん」
「蒼太」
陸が即答する。
「蒼太」
みゆも言う。
「蒼太だな」
春人も頷いた。
「お前らなぁ」
蒼太が振り返る。
「文句言うなら来るなや」
「来るに決まっとる」
あかりが即答した。
「じゃろ」
陸も笑った。
朝の神社に五人の笑い声が響く。
境内にはまだ誰もいない。
木々の葉が風に揺れ、朝露をまとった石段が淡く光っていた。
「行こう」
蒼太が自転車を押し始める。
五人は神社の裏手まで自転車を運び、いつもの場所へ止めた。
そこから先は歩きだ。
ひんやりした山道を下りると、冷たい空気がゆっくりと頬を撫でた。
氷室の中は、今日も静かだった。
石の上に、小さな光がふわりと浮かぶ。
「きた」
氷色だった。
昨日と同じ、透き通るような姿で五人を見つめている。
「おはよう」
春人が言う。
「おはよう」
あかりが手を振った。
氷色も少しだけ嬉しそうに頷く。
「昨日な」
蒼太が春人を見る。
「見せて」
「あ、うん」
春人はリュックからタブレットを取り出した。
昨日撮った写真を開く。
石。
刻印。
そして。
増えた線。
「昨日、山で見つけたんだ」
氷色はじっと画面を見つめていた。
しばらく黙ったあと、小さく呟く。
「……つながる」
春人は顔を上げる。
やっぱり。
昨日見つけたものは間違っていなかった。
「でも」
あかりが首を傾げる。
「続きはどうやって探すん?」
誰も答えられない。
石を見つける。
それは分かった。
けれど、その先が分からない。
その時だった。
「歌ってみたら?」
みゆがぽつりと言った。
全員が振り向く。
「歌?」
蒼太が聞く。
みゆは頷く。
「今までだって、歌った後に文字が増えたりしとったじゃろ」
春人も思い返す。
氷室。
新しい歌。
増えた文字。
全部、歌のあとだった。
氷色は静かにみゆを見つめる。
そして。
小さく頷いた。
「……うた」
その一言だけだった。
けれど、その短い言葉が胸の奥へ静かに落ちていく。
やっぱり歌には意味がある。
蒼太の目が見開かれる。
「……やっぱりか」
小さく呟く。
けれど、その声は確信というよりも、点と点が繋がり始めた時の驚きに近かった。
「試してみよう」
蒼太が言った。
「うん」
春人も頷く。
「歌ってみよう」
春人はタブレットをリュックへしまい、氷色の方へ向き直った。
「行ってくる」
五人も続く。
「行ってきます」
氷色は少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
「いってらっしゃい」
その声に見送られながら、五人は氷室をあとにした。
朝の山道にはまだ露が残っていた。
木々の間から差し込む光が揺れ、歩くたびに草が静かに揺れる。
尾根の広場は、もうすぐだった。
◇◇◇
広場へ着く。
大岩。
周囲に並ぶ石。
昨日と同じ景色。
なのに今日はまるで違って見えた。
昨日まで石だったものが。
今は違う。
文字だった。
道だった。
何かの続きを隠しているものだった。
蒼太が最初の石の前にしゃがみ込む。
「ここじゃ」
みんなも集まる。
苔の隙間に刻まれた細い線は、昨日と変わらず静かにそこにあった。
春人は石を見つめる。
氷室で交わした言葉が頭をよぎる。
――うた。
「……やる?」
みゆが小さく聞いた。
蒼太は頷く。
「やる」
迷いはなかった。
「早っ」
あかりが笑う。
「さっきまで『試してみよう』とか言うとったのに」
「試す」
蒼太は石から目を離さない。
「だからやる」
「同じこと言うとるだけじゃろ」
陸が笑った。
つられて春人も笑う。
けれど胸の鼓動だけは少しずつ速くなっていた。
本当に歌で何かが起きるのか。
それとも何も起きないのか。
答えは、もうすぐ分かる。
◇◇◇
五人は石を囲むように立った。
山は静かだった。
頭上では葉が揺れ、どこか遠くで鳥が鳴いている。
吹き抜ける風はまだ少し冷たくて、汗ばんだ首筋を優しく撫でていった。
春人は深く息を吸う。
湿った土の匂い。
草の匂い。
夏の朝の匂いだった。
そして。
みんなで歌う。
アー イーラ ムー ナー
アー ヨーラ モー ウー
ワー ナー ヨー ラー
声は木々の間を抜けて広がっていく。
最後の音が消える頃には、また山の静けさだけが残っていた。
何も起きない。
本当に何も。
「ほら」
あかりが言いかけた。
その時だった。
ふっ。
春人は思わず息を止めた。
光だった。
刻印の線が淡く金色に輝いている。
強い光ではない。
朝日の欠片が石の中で目を覚ましたみたいな、柔らかい光だった。
「え……」
誰の声だったのか分からない。
たぶん自分だった。
光は刻印をゆっくりとなぞる。
そして。
石の縁からするりと溢れ出した。
金色の糸だった。
細く。
静かで。
けれど確かにそこにある。
光は草の間を縫うように進んでいく。
朝露をまとった葉がきらりと揺れた。
土の上を滑るように流れた光は、そのまま次の石へ辿り着く。
次の瞬間。
離れた場所にあった石の刻印が、今度はふわりと光った。
「うわっ!」
陸の声が響く。
けれど春人は返事ができなかった。
ただ見ていた。
石から石へ。
光が渡っていく。
一つ。
二つ。
三つ。
まるで昔からそこにあった見えない道が、歌によって姿を現したみたいだった。
その時だった。
「待って」
春人が声を上げる。
全員が振り向く。
春人はタブレットを見せた。
画面の中でも線が増えていた。
昨日までなかった線だった。
光が通った順番をなぞるように。
一本。
また一本。
新しい線が描き足されている。
「増えとる」
陸が呟く。
蒼太は画面と光る石を何度も見比べた。
そして。
ゆっくり笑う。
興奮を抑え切れていない顔だった。
「そういうことか」
「何が?」
あかりが聞く。
蒼太は光る石を指差した。
「歌で動いた」
蒼太が呟く。
「しかも……」
蒼太はタブレットへ目を落とした。
「残っとる」
春人の胸がどくりと鳴った。
今見えているのは、ただの光じゃない。
昔ここを歩いた人たちの足跡なのかもしれない。
氷色が言っていた。
――たくさんのひと。
その言葉が頭をよぎる。
光はさらに先へ伸びていく。
そして。
昨日見つけた分岐の石へ辿り着いた。
そこで金色の糸は。
静かに二つへ分かれた。
「うわ……」
今度は春人の声だった。
右へ伸びる光。
左へ伸びる光。
朝の山の中で。
二本の道だけが静かに輝いている。
その先は木々の向こうに隠れて見えない。
けれど。
春人の胸は高鳴っていた。
この先に何があるのか。
どこへ繋がっているのか。
まだ誰も知らない。
だからこそ。
五人はしばらく、その光から目を離せなかった。
春人は、一歩踏み出したい気持ちを必死にこらえていた。




