第64話 昼休み
山を下りる頃には、太陽はもう高くなっていた。
木陰を抜けた途端、むっとした暑さが全身を包む。
「暑っ」
あかりが顔をしかめた。
「さっきまで涼しかったのに」
「山じゃけぇな」
陸が言う。
「下りたらこうなる」
春人は振り返った。
木々に覆われた山道はもう見えない。
けれど。
まだ頬には冷たい空気の感触が残っていた。
あの広場も。
石も。
刻印も。
全部まだ頭の中にある。
気付けばタブレットを握る手に力が入っていた。
「それ壊すなよ」
陸が言う。
「壊さんって」
「朝からずっと握っとる」
言われてみればそうだった。
春人は少しだけ苦笑した。
◇◇◇
「早う手ぇ洗うて来られぇ!」
陸の祖母の声が飛ぶ。
五人は一斉に返事をした。
「はーい!」
納屋へ行く前に昼ご飯だった。
今日の昼はそうめんだった。
氷の浮いたつゆ。
畑で採れたきゅうり。
切ったトマト。
揚げたてのかき揚げ。
「うまっ」
あかりが言う。
「生き返る」
「死んどったんか」
陸が笑う。
「一回死んだ」
「さっきも言うとったな」
春人も笑った。
けれど。
一人だけ様子がおかしい。
蒼太だった。
そうめんをすすりながら。
タブレットを見ている。
食べながら。
見ている。
また見ている。
「食べぇよ」
あかりが言った。
「食べとる」
「見とるだけじゃろ」
「食べとる」
「箸止まっとる」
蒼太は黙った。
そして。
無言でそうめんをすすった。
「図星じゃ」
陸が言う。
全員が笑った。
◇◇◇
昼ご飯を食べ終えると、五人は納屋へ集まった。
板の床は少しひんやりしている。
外では夏の日差しが強くなっていた。
春人はタブレットを開く。
今日撮った写真を並べる。
石。
刻印。
石。
刻印。
また石。
「増えたなぁ」
あかりが言う。
「うん」
春人も頷く。
最初は一つだった。
けれど今は違う。
画面にはいくつもの線が並んでいる。
まだ読めない。
けれど。
確実に増えている。
「紙ある?」
蒼太が言った。
陸がノートを放る。
蒼太はそれを受け取ると、すぐに描き始めた。
「ここが大岩」
丸。
「で、ここが最初」
丸。
「二つ目」
丸。
「三つ目」
丸。
石の位置を書き込んでいく。
誰も邪魔しなかった。
蒼太の頭の中で何かが動いているのが分かったからだ。
やがて。
蒼太の鉛筆が止まる。
「……おかしい」
小さく呟いた。
「何が?」
春人が聞く。
蒼太は配置図を睨んだままだった。
「足りん」
「何が」
「石じゃ」
全員が顔を見合わせる。
蒼太はノートを指差した。
「見つかった石しか書いとらん」
その一言で。
春人にも分かった。
確かにそうだった。
今日見つけたのは刻印のある石だけだ。
広場にはもっと石があった。
刻印のない石も。
大きい石も。
小さい石も。
「じゃあ?」
あかりが聞く。
蒼太はゆっくり顔を上げた。
目がぎらぎらしていた。
「まだ終わっとらん」
その声に。
納屋の空気が少し変わる。
外では風が吹いていた。
遠くで葉が揺れる音がする。
けれど春人の頭の中には、もうあの山しかなかった。
大岩。
並んだ石。
刻まれた線。
そして。
氷色が言った言葉。
――つながる。
もしかしたら。
まだ見つけていない石の中に、その続きがあるのかもしれなかった。
納屋の床に写真が並んでいた。
刻印のある石。
刻印のある石。
また別の石。
どれも似ているようで少しずつ違う。
蒼太は何度も写真を並べ替えていた。
置いて。
ずらして。
また戻す。
「さっきから何しょん」
あかりが聞く。
「黙っとれ」
蒼太は顔も上げない。
その声に、逆に全員が黙った。
本気で何か考えている時の蒼太だった。
納屋の外では風が吹いている。
遠くで犬が吠えた。
昼の光が入口から差し込んで、板の床を白く照らしている。
その真ん中で。
蒼太だけが写真を睨んでいた。
やがて。
指が一枚の写真で止まる。
「待て」
小さな声だった。
けれど。
全員が顔を上げた。
蒼太は一枚目の写真を指差す。
「これ」
次に二枚目。
「これ」
三枚目。
「これ」
そして。
写真の上に指で線を引いた。
春人は息を止める。
言われるまで気付かなかった。
刻印だった。
石に刻まれた線。
どれも同じ向きじゃない。
少しずつ違う。
そして。
その線の先に。
次の石がある。
「……あ」
最初に声を漏らしたのは春人だった。
蒼太が勢いよく顔を上げる。
「じゃろ!?」
「待って」
陸も写真を覗き込む。
「ほんまじゃ」
みゆも頷いた。
「こっち向いとる」
指が写真の上を辿る。
一つ目。
二つ目。
三つ目。
まるで。
石から石へ。
順番に道を示しているみたいだった。
納屋が静かになる。
誰も喋らない。
けれど。
全員の頭の中で同じものが繋がっていた。
氷室。
陰陽石。
尾根の石。
今日見つけた刻印。
そして。
タブレットに伸びた線。
春人の胸がどくりと鳴る。
氷色の声が蘇った。
――つながる。
あの時は意味が分からなかった。
けれど。
今なら少しだけ分かる気がする。
「文字じゃなかったんじゃ」
蒼太が呟く。
誰も返事をしない。
蒼太は写真を見つめたまま続ける。
「道じゃ」
その一言で。
全員の背筋がぞくりとした。
石から石へ。
山から山へ。
どこかへ続く道。
まだ見ぬ続きを示す道。
あかりが身を乗り出す。
「じゃあ」
声が少し弾んでいた。
「次もあるん?」
「ある」
蒼太は即答した。
「絶対ある」
春人も頷く。
もう疑う気になれなかった。
ここで終わる話じゃない。
むしろ。
今やっと始まった気さえしていた。
「何時集合?」
あかりが聞く。
「朝」
蒼太が即答した。
「雑!」
「じゃあ六時」
「早い」
「行かんの?」
「行く」
即答だった。
全員が笑う。
納屋の外では夏の風が吹いている。
けれど。
五人の頭の中は、もう明日の山だった。
次はどこなのか。
何が待っているのか。
その先に何が繋がっているのか。
誰にも分からない。
だからこそ。
明日が楽しみで仕方なかった。




