第61話 線
五人は神社を出ると、そのまま自転車を走らせた。
朝の道はまだ車も少ない。
田んぼの間を抜け、用水路を渡り、畑の横を通っていく。
昨日も見た景色だった。
けれど今日は違う。
あの山へ行く。
陰陽石の場所へ行く。
歌の続きを探しに行く。
そう思うだけで胸の奥がそわそわした。
先頭を走っているのは蒼太だった。
やたら速い。
「飛ばしすぎじゃろ!」
後ろから陸が叫ぶ。
「早う行きたいんじゃ!」
「知っとる!」
あかりが返した。
「全身で分かる!」
春人は思わず笑う。
蒼太は振り返りもしなかった。
氷色と会って。
歌が増えて。
刻印が光った。
しかも今度は山だ。
蒼太が落ち着いている方がおかしい。
やがて道の先に山が大きく見えてきた。
近くで見ると、思ったよりもずっと深い緑だった。
朝日を浴びた木々が何層にも重なり、その向こうが見えない。
山の麓にある小さな駐車場へ着いた頃には、みんな少し汗をかいていた。
「着いたー」
あかりが自転車を降りる。
陸も自転車を並べながら空を見上げた。
「今日は暑くなりそうじゃな」
空には雲がほとんどない。
真っ青だった。
五人は自転車へ鍵を掛け、水筒を確認し、リュックを背負い直す。
その間も蒼太だけは落ち着きがなかった。
「まだ?」
「まだ」
陸が即答する。
「まだ?」
「まだじゃ」
「まだなん?」
「まだ」
あかりが吹き出した。
「犬みたいじゃな」
「犬じゃない!」
「待てができん犬」
「できる!」
「できとらん」
蒼太は反論しかけたが、自分でも分かっていたらしい。
結局何も言い返せずに黙った。
みゆが小さく笑う。
「行こっか」
その一言で全員が頷いた。
山道へ足を踏み入れた瞬間だった。
空気が変わる。
さっきまで肌にまとわりついていた夏の熱が少しだけ遠のいた。
頭上では木々の枝が重なり合い、朝の光を細かく砕いている。
その隙間から、ひやりとした空気が静かに流れ落ちてきた。
風ではない。
もっと柔らかいものだった。
山の奥から溢れた冷たさが、ゆっくりと頬を撫で、首筋を通り過ぎていく。
「気持ちええ……」
あかりが呟く。
「じゃろ」
陸が言った。
「山は朝がええんじゃ」
春人は思わず足を止めて見上げた。
木漏れ日が揺れている。
葉の隙間から落ちる光が、土の上で小さく踊っていた。
湿った土の匂い。
草の匂い。
さっきまでの世界と同じ夏なのに、ここだけ別の場所みたいだった。
「おーい!」
蒼太の声が飛ぶ。
いつの間にか少し先まで進んでいる。
「置いてくぞ!」
「行け行け」
陸が笑った。
「どうせ待ちきれんのじゃろ」
「待てん!」
即答だった。
全員が笑う。
その声は木々の間へ吸い込まれていった。
山道を十分ほど登った頃だった。
先頭を歩いていた蒼太が急に立ち止まる。
「着いた」
その声に全員の足が止まった。
木々に囲まれた小さな広場だった。
朝の光がまだらに差し込み、その中央に陰陽石が静かに横たわっている。
前に来た時と同じ場所。
同じ石。
――のはずだった。
「……あれ?」
最初に気付いたのはみゆだった。
春人も石を見る。
そして違和感に気付いた。
「なんか違う」
陸が言った。
誰も否定しなかった。
石そのものは変わっていない。
苔の付き方も。
丸みを帯びた形も。
地面へ半ば埋まるように横たわる姿も。
前と同じだった。
けれど。
確かに違う。
石の表面に刻まれた線が増えていた。
「増えとる」
蒼太が呟く。
さっきまで一番騒いでいたくせに、その声は妙に小さかった。
目だけが石へ吸い寄せられている。
春人は石へ近付いた。
指でそっとなぞる。
新しい刻印だった。
前回来た時にはなかった一本の線。
それが古い刻印と繋がっている。
「これ」
春人が言う。
「タブレットの線に似とる」
全員が顔を上げた。
蒼太が慌ててリュックを開く。
「出せ出せ出せ」
「落ち着け」
「無理じゃ」
いつもの返事だった。
春人はタブレットを取り出して画面を開く。
昨日の夜に現れた一本線。
石に増えた一本線。
何度も見比べる。
誰も喋らなかった。
息をするのも忘れそうだった。
同じだった。
長さも。
曲がり方も。
線が終わる位置まで。
驚くほど同じだった。
「つながっとる」
みゆが小さく呟く。
その瞬間だった。
ピッ。
小さな電子音が鳴る。
全員が跳ねるように顔を上げた。
音がしたのはタブレットだった。
誰も触っていない。
それなのに画面が淡く光っている。
そして。
一本線の先に。
新しい文字がゆっくりと浮かび始めた。




