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第48話 持ち寄る


 翌朝。


 陸の家の納屋には、まだ朝の涼しさが少しだけ残っていた。


 開け放した入口から、田んぼの匂いが入ってくる。


 遠くでセミが鳴いていた。


 春人が着いた時には、もう蒼太がいた。


 板の床に座り込み、ノートを広げている。


「早いな」


「遅い」


「また?」


「また」


 春人は苦笑した。


 昨日と同じだった。


 けれど。


 蒼太の目は昨日よりもさらにぎらぎらしていた。


「分かったん?」


「分からん」


「じゃあ何でそんな顔しとるん」


「分かりそうだからじゃ」


 意味は分からなかった。


 少しして、あかりがやって来た。


「おはよー」


 その後ろからみゆも来る。


 ノートを両手で抱えていた。


 陸は納屋の奥から顔を出す。


「全員そろった?」


「まだ」


 春人が言う。


「誰が?」


「みゆのノート待ち」


「もうおるじゃろ」


「そういう意味じゃない」


 あかりが呆れた。


 みゆは座ると、すぐノートを開いた。


「分かったことがある」


 その一言で。


 全員の空気が変わった。


 蒼太が身を乗り出す。


「何!」


「近い」


 みゆが言った。


「近い」


 蒼太は少しだけ下がった。


 けれど目は輝いたままだった。


 みゆはノートを開く。


 昨日書いたページだった。


 わ = 自分


 な = あなた


 春人は息を呑んだ。


「自分と……あなた?」


 みゆは頷く。


「辞書で調べた」


「辞書?」


 あかりが目を丸くする。


「国語辞典」


「普通!」


 蒼太が叫んだ。


「何でそこ行くん!」


「分からん言葉じゃから」


「いや、そうじゃけど!」


「何で怒っとるん」


 陸が笑う。


 蒼太は腕を組んだ。


「わしは古代文字の本まで見たんじゃぞ」


「出たん?」


「出とらん」


「じゃあ辞書の勝ちじゃな」


 あかりが言った。


 蒼太は黙った。


 三秒だけだった。


「でもな!」


 また身を乗り出す。


「わは和かもしれん!」


「和?」


 春人が聞く。


 蒼太はノートを見せた。


 端っこに、大きく一文字。


 和


 と書かれている。


「琴葉が言うた」


「琴葉ちゃんが?」


「平和の和とか、仲良しの和とか」


 あかりが少し笑う。


「それ、琴葉ちゃんの方がまともじゃない?」


「うるさい」


 蒼太は真面目だった。


「でも、罠よりは合っとる気がする」


 陸が頷いた。


「それは分かる」


 春人もノートを見る。


 わ。


 な。


 自分。


 あなた。


 和。


 どれも違うようで。


 どこか近いような気がした。


 みゆが鉛筆で丸を付ける。


 自分。


 あなた。


 和。


 そして下に小さく書く。


 ひとりじゃない。


 誰もすぐには喋らなかった。


 納屋の外で、風が吹いた。


 稲の葉がこすれる音がする。


「これ」


 春人は静かに言った。


「氷色に聞いてみた方がいいんじゃないかな」


「じゃろ!」


 蒼太が立ち上がる。


「今から行こう!」


「待て」


 陸が止めた。


「早い」


「早くない!」


「早い」


 あかりも言った。


「まだ何もまとめとらん」


「まとめたじゃろ!」


「今みゆが書いたばっかりじゃん」


 みゆはノートを押さえながら頷いた。


「もう少し書く」


 蒼太がうずうずしている。


 立ったり座ったりしている。


 その時だった。


 ガラッ。


 納屋の戸が大きく開いた。


「あんたら!」


 陸の母だった。


 全員が振り返る。


「難しい顔ばっかりしとらんと、スイカ切ったけぇ食べられぇ!」


 陸が真っ先に立ち上がった。


「食べる」


「早い」


 あかりが呆れる。


「スイカは別じゃ」


「何が」


「腹の場所が違う」


「どこ」


 春人は思わず笑った。


 蒼太も一瞬だけノートから顔を上げる。


「スイカ食べてから行くか」


「行くんは決定なんじゃな」


 あかりが言う。


「決定じゃ」


 蒼太は即答した。


 みゆはノートを閉じる。


 その表紙を、両手でしっかり押さえた。


「持っていく」


 春人は頷いた。


 外では、夏の光が強くなり始めていた。


 氷色に見せたいものが。


 また一つ増えていた。


第48話 持ち寄る(後半)


 スイカを食べ終わる頃には、空はすっかり夏の色になっていた。


 五人は自転車へまたがる。


「行くぞ」


 蒼太が先頭へ飛び出した。


「待てって!」


 春人が慌てて追いかける。


「速い!」


「あいつ絶対速い!」


 あかりが叫ぶ。


 陸は笑いながら後ろを走った。


 みゆはノートを抱えている。


 風が吹く。


 田んぼが揺れる。


 白い雲がゆっくり流れていく。


 そして。


 氷室へ続く石段が見えてきた。


◇◇◇


 ひんやりとした空気が頬を撫でた。


 外の暑さが嘘みたいだった。


 石段を下りる。


 暗闇へ目が慣れていく。


 奥に。


 小さな姿が見えた。


 氷色だった。


 五人に気付く。


 ぱっと顔が上がる。


「来た」


 少しだけ笑う。


 春人もつられて笑った。


 昨日より。


 なんだか表情が柔らかい。


 蒼太は待てなかった。


「分かったことがある!」


 氷色がきょとんとする。


「何?」


 みゆが前へ出た。


 ノートを開く。


「昨日の続き」


 氷色の瞳が揺れた。


「わ」


 みゆが言う。


「わは、自分かもしれない」


 氷色が瞬きをする。


「自分……」


 小さく繰り返した。


「昔の言葉だって」


 みゆは続ける。


「吾って書くらしい」


 氷色は黙った。


 けれど。


 目が離せなくなったみたいだった。


 みゆはページをめくる。


「それで」


「な」


 少し息を吸う。


「な、は」


「あなた」


 氷室の中が静かになった。


 氷色の瞳が揺れる。


 春人は気付いた。


 さっきまでと違う。


 何かが引っ掛かった顔だった。


「あなた……」


 氷色が呟く。


 まるで。


 その言葉を初めて聞いたのではなく。


 ずっと昔に知っていた言葉を思い出そうとしているみたいに。


「あなた」


 もう一度。


 ゆっくり。


 確かめるように。


「あなた」


 その声を聞きながら。


 春人は胸の奥が少しだけざわついた。


 氷色は考えている。


 思い出そうとしている。


 何か大切なものを。


「それと」


 蒼太が割り込んだ。


「わは和かもしれん」


「和?」


 氷色が顔を上げる。


 蒼太は勢いよく頷いた。


「平和の和じゃ」


「仲良しの和じゃ」


「琴葉が言うた」


「最後の情報いらんじゃろ」


 あかりが突っ込む。


 けれど。


 氷色は笑わなかった。


 和。


 という言葉を聞いて。


 透き通った瞳が大きく揺れた。


「わ……」


 小さく呟く。


「な……」


 そして。


 また黙る。


 春人は息を呑んだ。


 昨日と同じだった。


 届きそうで。


 届かない。


 そんな顔だった。


「氷色?」


 氷色は返事をしない。


 ただ。


 目を閉じた。


 静かだった。


 まるで遠くの声を聞いているみたいに。


 そして。


 本当に小さく。


「わたし」


 そう呟いた。


 全員が固まった。


 氷色自身も固まっていた。


 透き通った瞳が大きく見開かれている。


 今の言葉を。


 自分で確かめるみたいに。


「わたし……?」


 小さく繰り返す。


 その声は少し震えていた。


 氷色はゆっくりと春人を見る。


「……わたしって」


 小さな声だった。


「何?」


 春人は思わず聞き返す。


 氷色は少し考える。


 言葉を探すみたいに。


「わたしって、何?」


誰もすぐには答えられなかった。


 当たり前すぎて。


 どう説明すればいいのか分からなかった。


 氷色は五人の顔を順番に見た。


 春人を見る。


 みゆを見る。


 蒼太を見る。


 あかりを見る。


 最後に陸を見る。


「……自分のことじゃろ」


 最初に言ったのは陸だった。


「自分……」


 氷色は自分の胸へそっと手を当てた。


「わたし」


 小さく呟く。


 けれど。


 まだ何か足りないみたいだった。


 氷色は瞬きをする。


 その時だった。


「春人」


 みゆが息を呑む。


「え?」


「画面」


 タブレットだった。


 春人は慌てて見る。


 画面の中。


 薄く浮かんでいた文字。


 その下に。


 昨日までなかった線が増えていた。


「増えた!」


 蒼太が叫ぶ。


 全員が顔を寄せる。


 確かに増えている。


 ほんの少しだけ。


 けれど。


 間違いなく。


 昨日とは違っていた。


 氷色も画面を見る。


 そして。


 静かに呟いた。


「近い」


 春人が顔を上げる。


「何が?」


 氷色は画面を見たままだった。


 増えた線を見つめる。


 懐かしそうに。


 少しだけ嬉しそうに。


「思い出せそう」


 その言葉に。


 誰も何も言えなかった。


 ただ。


 五人は同じように画面を見つめていた。


 あと少し。


 本当にあと少しで。


 何かに届きそうな気がしていた。

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