第45話 みんなの声
誰もしばらく喋らなかった。
氷色の言葉が。
まだ氷室の中に残っている気がした。
――ひとりじゃなかった。
――たくさんいた。
――たくさんで歌った。
ぽたり。
水滴が落ちる。
春人はタブレットを見た。
薄く浮かんだ文字。
まだ読めない。
けれど。
確かに何かが変わり始めていた。
「氷色」
春人は静かに呼んだ。
氷色が顔を上げる。
「その人たちって」
少しだけ迷う。
「氷色の知ってる人なの?」
氷色は答えなかった。
すぐには。
答えられなかった。
透き通った瞳が揺れる。
考えている。
思い出そうとしている。
そんな顔だった。
やがて。
「……たぶん」
小さく言った。
その瞬間。
「仲間じゃ!」
蒼太だった。
「絶対仲間じゃ!」
「早い」
あかりが即座に突っ込む。
「だって!」
蒼太は立ち上がった。
「たくさんおったんじゃろ!」
「おった」
氷色が頷く。
「歌っとったんじゃろ!」
「うん」
「ほんなら仲間じゃ!」
「雑すぎる」
あかりが呆れた。
陸も苦笑する。
「でもまあ」
腕を組む。
「ひとりじゃなかったんは本当なんじゃろな」
氷色は少しだけ嬉しそうな顔をした。
その言葉が。
嬉しかったみたいに。
みゆはノートへ鉛筆を走らせていた。
カリカリと音が響く。
仲間。
歌。
言葉。
みんなの声。
順番に書き足していく。
「なあ」
春人はもう一度聞いた。
「どんな人だったか覚えてない?」
氷色は首を傾げる。
少し考える。
そして。
「……あったかい」
そう言った。
全員が顔を上げる。
「あったかい?」
氷色は頷いた。
「やさしかった」
今度は迷わなかった。
すぐに出てきた。
それだけは覚えているみたいだった。
春人は氷色を見た。
やさしかった。
それだけしか思い出せないのに。
氷色は少しだけ安心した顔をしていた。
名前も。
顔も。
どこにいたのかも分からない。
それなのに。
やさしかったことだけは覚えている。
それが不思議だった。
「顔は?」
蒼太が聞く。
首を振る。
「名前は?」
首を振る。
「どこにおったん?」
首を振る。
「何も覚えとらんじゃん」
あかりが言う。
けれど。
氷色は少し考えて。
「でも」
小さく言った。
「歌ってた」
その言葉だけは。
不思議なくらい確かだった。
みゆの鉛筆が止まる。
ノートを見る。
そして。
何ページも前をめくった。
「あ」
小さく声を漏らした。
「何?」
春人が聞く。
みゆはページを見せる。
古い歌。
氷色が口ずさんだ言葉。
あー いーら むー なー
あー よーら もー うー
書き写してあった。
蒼太の目が輝く。
「あ」
嫌な予感がした。
春人は思った。
たぶん。
みんな思った。
蒼太はそのまま立ち上がる。
「歌うか」
「やめろ」
あかりが即答した。
「まだ何も分かっとらん」
「でも歌じゃろ!」
「だから何も分かっとらん!」
「歌えば分かるかもしれん!」
「何でそうなるん!」
氷室の中へ声が響く。
陸が吹き出した。
春人も少し笑う。
みゆまで笑っていた。
氷色はきょとんとしている。
蒼太だけが真面目だった。
「だって」
腕を組む。
「歌が大事なんじゃろ」
「たぶん」
「言葉も大事なんじゃろ」
「たぶん」
「なら歌うしかないじゃろ」
「何でそうなるん」
またあかりが言った。
けれど。
今度は少しだけ弱かった。
みんな。
少しだけ思ったのだ。
もしかしたら。
何か分かるかもしれないと。
春人はタブレットを見る。
薄く浮かんだ文字。
まだ読めない文字。
氷色の記憶。
歌。
言葉。
みんなの声。
全部がどこかで繋がっている気がした。
ぽたり。
水滴が落ちる。
その音を聞きながら。
春人は静かに言った。
「じゃあさ」
全員が振り返る。
「一回だけ」
蒼太の顔がぱっと明るくなる。
「歌ってみる?」
氷色の瞳が少しだけ揺れた。
懐かしいものを見るみたいに。
嬉しいものを見るみたいに。
そして。
少しだけ怖そうにも見えた。




