第43話 みつけた
翌朝だった。
春人が待ち合わせ場所へ着いた時には、もう蒼太がいた。
自転車の横で腕を組んでいる。
「早いな」
「お前が遅い」
「十分前だよ」
「遅い」
意味が分からなかった。
リュックはぱんぱんだった。
横からペットボトルが二本飛び出している。
どう見ても本気だった。
「寝たの?」
「寝た」
「嘘だろ」
「二時間」
「寝てないじゃん」
蒼太は目を逸らした。
図星だったらしい。
坂の下から自転車の音が聞こえる。
「あ、おはよー」
あかりだった。
ブレーキを掛ける。
蒼太を見る。
じっと見る。
「寝てない顔しとる」
「寝た」
「寝てない顔しとる」
同じやり取りだった。
その後ろからみゆもやって来る。
挨拶より先にノートを取り出した。
昨日のページを開く。
線。
点。
増えた印。
もう何度も見ているはずなのに、また見ている。
「まだ見とるん」
あかりが呆れた。
「見る」
即答だった。
その時。
わんっ!
聞き慣れた声が響いた。
陸だった。
自転車を押している。
後ろにはポチ。
「来るな」
陸が言う。
ポチが来る。
「帰れ」
来る。
「聞け」
来る。
「無理だな」
春人が言った。
「無理じゃ」
陸も諦めた。
全員が笑う。
その時だった。
ブロロロロ……
バイクの音が近付いてきた。
「来た」
蒼太が振り返る。
黒崎だった。
バイクを停める。
ヘルメットを外す。
「全員おるな」
「「「「「おる!」」」」」
一斉だった。
黒崎が思わず吹き出す。
「元気じゃな」
みゆはもうノートを開いている。
蒼太は山の方を見ている。
あかりは笑っている。
陸はポチを押さえている。
春人はそんなみんなを見た。
今日は何か見つかる。
そんな気がしていた。
自転車を走らせる。
朝の空気はまだ少しだけ涼しかった。
田んぼの横を抜ける。
用水路を渡る。
坂を上る。
蒼太だけ少し前を走っていた。
「絶対なんかある」
振り返りもせず言う。
「まだ着いてない」
あかりが即座に突っ込んだ。
「ある」
「だからまだ着いてない」
「地図じゃぞ」
「知らん」
「絶対地図じゃ」
蒼太はもう発見した後みたいな顔をしていた。
そのまま立ちこぎを始める。
「おい」
黒崎が声を掛けた。
「飛ばすな」
「飛ばしてない」
飛ばしていた。
「前見ろ」
「見とる」
見ていなかった。
ガタンッ。
「うおっ!」
前輪が小さな段差へ乗り上げる。
蒼太の体がぐらついた。
慌ててハンドルを握り直す。
「危なっ!」
春人が思わず声を上げた。
後ろから笑い声が飛ぶ。
「何しとるん」
陸が呆れる。
「考え事じゃ!」
「前見ろ」
あかりが即答した。
「見とる!」
「見とらんかったじゃん」
反論できなかった。
黒崎が肩を震わせる。
「先が思いやられるな」
「大丈夫じゃ」
「何が」
「勘」
「帰るか」
「待て!」
全員が吹き出した。
探検はまだ始まってもいなかった。
磐山の登り口へ着いた時には、全員うっすら汗をかいていた。
自転車を並べる。
春人は山を見上げた。
昨日までとは違って見えた。
ただの山じゃない。
何かが隠れている。
そんな気がしていた。
「で」
あかりが言った。
「どこ行くん?」
全員が黙る。
蒼太がみゆを見る。
陸も見る。
春人も見る。
黒崎まで見る。
「何でみんな見るん」
みゆが言った。
「地図係じゃろ」
蒼太が即答した。
「違う」
「地図持っとる」
「ノートじゃ」
「同じじゃ」
違った。
けれど誰も聞いていなかった。
みゆは小さくため息をつく。
ノートを開く。
昨日描いた図。
タブレットの線。
磐山の形。
増えた点。
全部が並んでいる。
しばらく見比べる。
それから山を見る。
またノートを見る。
「たぶん」
全員が身を乗り出した。
「たぶん?」
「こっち」
指差したのは登山道ではなかった。
少し横。
木々の間へ続く細い踏み跡だった。
「何で?」
春人が聞く。
みゆはノートを見せる。
「ここ」
線の途中にある点。
その位置を指差す。
「昨日、黒崎さんが見せてくれた写真」
ページをめくる。
山のスケッチ。
岩の位置。
「たぶんこの辺」
蒼太が黙る。
あかりも黙る。
陸も黙る。
珍しく。
誰も反論しなかった。
「行くか」
黒崎が言った。
みゆは頷く。
そして先頭に立った。
少しだけ。
ほんの少しだけ胸を張って。
後ろから蒼太の声が飛ぶ。
「みゆ隊長!」
「違う」
「隊長!」
「違う」
「隊長じゃ」
「違う」
みゆは振り返らなかった。
けれど。
少しだけ耳が赤かった。
みゆは立ち止まった。
ノートを閉じる。
辺りを見回す。
風が吹く。
木々が揺れる。
「どうしたの?」
春人が聞く。
「……分からん」
小さな声だった。
「でも」
みゆは少しだけ右を見る。
「こっちな気がする」
蒼太が即座に反応した。
「よし行こう」
「待て」
黒崎が止める。
「早い」
「みゆが言うなら合っとる」
「さっきまで地図じゃ言うとったじゃろ」
「今はみゆじゃ」
意味が分からなかった。
あかりが吹き出す。
「雑すぎるじゃろ」
みゆは困った顔をした。
「ほんまに分からんのに」
「大丈夫じゃ」
蒼太は大丈夫そうな顔で言った。
「何が」
「勘」
「またそれ」
陸が呆れる。
けれど。
誰も反対はしなかった。
黒崎も止めなかった。
「ほんなら行くか」
その一言で決まった。
◇◇◇
踏み跡は細かった。
登山道というほどではない。
人が何度か通ったから草が倒れている。
そんな程度だった。
先頭はみゆだった。
その後ろに春人。
蒼太。
あかり。
陸。
最後を黒崎が歩く。
木々の間を進む。
蝉の声が近い。
足元でバッタが飛ぶ。
蒼太は何度も辺りを見回していた。
「まだか」
「知らん」
みゆが答える。
「どのくらい?」
「知らん」
「もう着くん?」
「知らん」
「そればっかりじゃな」
あかりが笑った。
みゆも少しだけ笑う。
その時だった。
風が吹いた。
木々がざわりと揺れる。
みゆの足が止まった。
全員も止まる。
「どうしたの?」
春人が聞く。
みゆは何も言わなかった。
少し先を見ている。
木々の隙間。
草の向こう。
そこに何かあるみたいに。
「みゆ?」
もう一度呼ぶ。
みゆはゆっくり指を上げた。
「あれ」
全員がそちらを見る。
木々の間だった。
灰色の岩肌が少しだけ見えている。
蒼太が息を呑む。
「岩じゃ」
誰より先に駆け出しそうになって。
黒崎に首根っこを掴まれた。
「落ち着け」
「無理じゃ!」
全然落ち着いていなかった。
けれど。
春人も少しだけ同じ気持ちだった。
あそこに。
何かある。
そんな気がした。
蒼太が黒崎の手を振りほどく。
岩の前へ駆け寄る。
全員も後を追った。
近くで見ると大きかった。
大人の背丈ほどある岩だった。
表面は苔で覆われている。
ところどころ灰色の岩肌が覗いていた。
「これじゃろ」
蒼太が息を弾ませる。
「たぶん」
みゆが答える。
相変わらず自信はなさそうだった。
けれど。
その声は少しだけ嬉しそうだった。
黒崎が岩の前へしゃがみ込む。
指先で苔を払う。
さらさらと緑が落ちた。
「手伝え」
その一言で全員が動く。
陸が枝を拾う。
あかりが草をどける。
春人も手袋をしたまま苔を払った。
少しずつ。
少しずつ。
岩肌が現れる。
そして。
「あ」
みゆが声を漏らした。
全員の手が止まる。
岩肌の上だった。
細い線が走っている。
一本。
二本。
三本。
ただの傷ではなかった。
誰かが刻んだ形だった。
「あった」
蒼太が呟く。
今度は叫ばなかった。
誰も叫ばなかった。
ただ見ていた。
岩の中から現れた刻印を。
今まで氷室で見たものと似ている。
けれど違う。
線がもっと多い。
複雑だった。
まるで何かを描いているみたいだった。
「写真」
黒崎が言った。
春人は我に返る。
「あ、うん」
タブレットを取り出す。
画面を開く。
撮影する。
カシャ。
もう一枚。
角度を変える。
カシャ。
黒崎もスマホで撮っている。
みゆはノートへ写し始めた。
鉛筆が忙しく動く。
蒼太は刻印から目を離さない。
「なあ」
ぽつりと言った。
「タブレット」
春人は画面を見る。
変化はなかった。
線も。
点も。
増えていない。
音も鳴らない。
「何もない」
「じゃろな」
黒崎が答えた。
けれど。
その声も少し不思議そうだった。
今までなら何か起きてもよさそうなのに。
何も起きない。
だから余計に気になる。
沈黙が落ちた。
蝉の声だけが響いている。
その時だった。
「帰ろう」
蒼太が言った。
全員が振り返る。
「え?」
あかりが目を丸くする。
「帰るん?」
「帰る」
蒼太は真面目な顔だった。
「これ」
刻印を指差す。
「氷色に見せんと」
春人は刻印を見る。
タブレットを見る。
写真を見る。
そして頷いた。
そうだった。
今、一番見せたい相手がいる。
「行こう」
今度は春人が言った。
誰も反対しなかった。
みゆはノートを閉じる。
蒼太はもう歩き出しそうだった。
その時だった。
「待て」
黒崎が声を掛けた。
全員が振り返る。
「わしはここまでじゃな」
「え?」
蒼太が止まる。
「帰るん?」
「仕事じゃ」
黒崎は笑った。
「お前みたいに夏休みじゃない」
「あ」
蒼太が黙った。
確かにそうだった。
「でも」
黒崎は岩を見る。
刻印を見る。
そして子どもたちを見る。
「面白いもん見せてもろうた」
少しだけ笑う。
「続き見つけたら教えろ」
「教える」
蒼太が即答した。
「早いな」
「教える」
「二回言うた」
あかりが吹き出した。
黒崎はヘルメットを持ち上げる。
「気ぃ付けて帰れよ」
「はーい」
「返事だけは立派じゃな」
そう言って歩き出す。
春人はその背中を見送った。
黒崎は途中で一度だけ振り返る。
「氷室もええけど」
ぽつりと言った。
「昼飯は食えよ」
それだけだった。
そして山を下りていった。
◇◇◇
昼前だった。
甘岩市の小さなバス停。
杉谷守は缶コーヒーを開いた。
その時だった。
ブロロロロ……
「おや」
見覚えのあるバイクが止まる。
黒崎隼人だった。
「おう」
「おう」
それだけだった。
けれど二人とも気にしない。
そういう付き合いだった。
「また山か」
「また山じゃ」
杉谷は少し笑った。
「そういや」
缶コーヒーを一口飲む。
「最近、小学生よう見るな」
黒崎の眉が少し動いた。
「五人組か」
「おるじゃろ」
「おるな」
「なんかやっとるん?」
黒崎は少しだけ空を見上げた。
真夏の青空だった。
「子どもは見つけるからな」
「何を?」
「大人が見逃しとるもんを」
杉谷は少しだけ笑った。
「それ、お前が言うんか」
黒崎も笑った。
けれど。
どこか本気だった。
杉谷は缶コーヒーを一口飲む。
そして。
なぜだか五人の子どもたちの顔を思い浮かべた。




