第38話 磐山
歌。
石。
氷色。
そして。
ワー。
たった一音。
それだけなのに。
春人の頭から離れなかった。
歌の続き。
歌の印。
陰陽石。
昨日まで別々だったものが、少しずつ同じ場所へ集まっている。
そんな気がしていた。
◇◇◇
「探すぞ」
蒼太が言った。
案の定だった。
黒崎の言葉を聞いた瞬間から、もう体が前へ出ている。
「早い」
あかりが呆れたように言う。
「まだ何も見つかっとらんじゃろ」
「だから探すんじゃ」
「蒼太の頭の中はいつも急発進じゃな」
陸が笑った。
「止まったら死ぬんじゃろ」
「マグロみたいに言うな」
蒼太は不満そうだった。
けれど少し嬉しそうでもあった。
◇◇◇
「待て」
黒崎が言った。
その声で全員が止まる。
「山じゃ」
「知っとる」
蒼太が言う。
「知っとるなら道を歩け」
黒崎は森の奥を指差した。
「藪へ入ったら何がおるかわからん」
「マムシ?」
あかりが聞く。
「おる」
黒崎は即答した。
「あと滑る」
「それは嫌じゃ」
陸が言った。
実感がこもっていた。
農道や山道には慣れている。
だからこそ分かる。
危ない場所は本当に危ない。
「……道を歩きます」
蒼太が素直に言った。
全員が笑った。
◇◇◇
黒崎を先頭に歩き始める。
山道は思っていたより整備されていた。
落ち葉は積もっている。
けれど踏み跡はしっかり残っていた。
所々に木の杭も立っている。
誰かが手入れしているのだろう。
頭上ではクマゼミが鳴いていた。
近い。
驚くほど近い。
耳のすぐ横で鳴いているようだった。
夏だった。
山全体が夏の音で満ちていた。
◇◇◇
しばらく進んだところで、春人は足を止めた。
道の脇に木の看板が立っている。
風雨にさらされて色は褪せていた。
けれど文字は読めた。
「こんなのあったんだな」
思わず声が出る。
「前からあるぞ」
黒崎が振り返った。
「見とらんかっただけじゃ」
春人は少し照れくさくなった。
その通りだった。
今まで何度か来ている。
けれど。
陰陽石しか見ていなかった。
石へ行って。
タブレットを見て。
何か起きるのを待つ。
ずっとそうだった。
だから途中の景色なんて覚えていない。
◇◇◇
尾根道へ出た時だった。
風が吹いた。
ざあっ、と木々が揺れる。
汗ばんだ首筋を風が通り抜けた。
「気持ちええーなぁ」
あかりが両手を広げる。
春人も思わず立ち止まった。
木々の隙間から遠くが見える。
丸い山々。
青い空。
重なり合う緑。
どこまでも続いていた。
高い建物はない。
電線もほとんど見えない。
空の広さだけがある。
甘岩へ引っ越してきた日のことを思い出した。
縁側から見た夕方の空。
丸い山。
ヒグラシの声。
あの日も思った。
空が近い。
東京では感じたことのない不思議な感覚だった。
◇◇◇
その時だった。
春人はふと思った。
今まで自分たちは陰陽石だけを見ていた。
けれど。
もし。
氷色の歌も。
歌の印も。
全部この山に関係しているなら。
見ていたのはほんの一部分だったのかもしれない。
磐山そのものが。
何かを隠しているのかもしれない。
そんな考えが頭をよぎった。
◇◇◇
「おい」
陸の声だった。
見ると蒼太がまた道の端へ寄っている。
「そっち行くな」
「近道じゃ」
「違う」
「まだ言っとらん」
「顔で分かる」
あかりが笑う。
蒼太は不満そうに戻ってきた。
春人も笑う。
けれど。
みゆだけは笑っていなかった。
◇◇◇
「待って」
小さな声だった。
全員が振り返る。
みゆは斜面を見ている。
何もないように見えた。
落ち葉。
苔。
木の根。
どこにでもある山の景色。
けれど。
みゆは動かない。
「どうしたん」
春人が聞く。
みゆは少し困ったような顔をした。
「わからん」
「またか」
蒼太が言う。
「でも」
みゆは斜面を指差した。
「なんか気になる」
◇◇◇
全員で近付く。
最初は誰も分からなかった。
ただの地面だった。
けれど。
「……あ」
春人は思わず息を呑んだ。
落ち葉の下から灰色の岩肌が見えている。
石ではなかった。
もっと大きい。
地面の下に巨大な塊が眠っている。
そんな感じだった。
花崗岩。
長い年月をかけて雨と風に削られた岩。
そして。
その表面に。
不自然な線が刻まれていた。
◇◇◇
「ある」
蒼太が呟く。
その声は少し震えていた。
黒崎もしゃがみ込む。
指で苔を払う。
緑色の下からさらに線が現れる。
昨日見つけた印と似ている。
けれど違う。
別の形だった。
別の印だった。
◇◇◇
「なあ」
黒崎が静かに言う。
全員が振り返る。
「これ、小さい石じゃないぞ」
岩肌を軽く叩く。
ごつん、と鈍い音が返った。
「この辺一帯、同じ花崗岩じゃ」
黒崎は周囲を見回す。
「たぶん下で繋がっとる」
春人はもう一度岩を見る。
昨日の印。
今日の印。
陰陽石。
そして磐山。
頭の中で何かが繋がり始める。
「もしかして」
気付けば口にしていた。
みんなが春人を見る。
「印が石についてるんじゃなくて」
春人は山を見上げた。
風が吹く。
木々が揺れる。
「山についてるんじゃない?」
誰もすぐには答えなかった。
けれど。
その言葉は自分でも驚くほど自然だった。
◇◇◇
その瞬間だった。
ピッ。
電子音が鳴る。
全員が振り返る。
「春人!」
みゆが言う。
春人は慌ててリュックを開いた。
タブレットを取り出す。
画面はすでに光っていた。
四つの文字。
その下の線。
そこまでは同じだった。
けれど。
「……あ」
春人は目を見開いた。
線が伸びている。
間違いじゃない。
気のせいでもない。
さっき、自分が口にした言葉。
――山についている。
その瞬間だった。
そして。
その先に。
小さな点が浮かんでいた。
今までなかった印。
まるで。
まだ見ぬ次の言葉が。
静かに生まれようとしているみたいだった。




