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第36話 約束


 誰も答えなかった。


 黒崎の言葉だけが森の中へ残っている。


 ――なんで今まで誰も話題にしとらんのじゃろうな。


 クマゼミが鳴いていた。


 近くでも。


 遠くでも。


 夏の森は相変わらず賑やかなのに、陰陽石の周りだけ少し静かになった気がした。


 春人はしゃがんだまま石を見る。


 苔に覆われた表面。


 さっき自分たちが払った場所だけ灰色の石肌が見えている。


 そこに刻まれた線。


 丸い印。


 土の中へ消えていく形。


 前に来た時も、この辺りは歩いている。


 けれど。


 こんな石があった記憶はなかった。


 見落としていただけかもしれない。


 気にしていなかっただけかもしれない。


 それでも。


 なぜだろう。


 目を離そうとすると、また見てしまう。


「待って」


 蒼太が言った。


 石を見る。


 タブレットを見る。


 また石を見る。


「待って待って待って」


「何」


 あかりが言う。


「おかしい」


「何が」


「だって一文字探しとったんじゃろ?」


「そうじゃな」


「でも一個じゃないじゃろ」


 蒼太は石を指差した。


「ほらここ」


 さらに別の場所を指差す。


「こっちにもある」


「うん」


「じゃろ!?」


 声が大きくなる。


「もしこれ全部繋がっとったらどうするん!」


「どうするって」


 陸が笑う。


「知らん」


「知らんけど!」


 蒼太はもう止まらない。


「文字じゃなくて文章かもしれん!」


「文章?」


 春人が聞き返す。


「だってあるじゃろ!」


 蒼太は石を指差した。


「一文字だけじゃなくていっぱいあったら!」


「でも読めんじゃろ」


「あーもう!」


 頭を抱える。


「読めんけど!」


「読めんけど絶対なんかある!」


 そのまま石の周りをぐるぐる歩き始めた。


「絶対おかしいんじゃけどなあ……」


「始まった」


 あかりが笑う。


「蒼太」


 みゆが呆れた声を出す。


「落ち着いて」


「無理じゃ」


 即答だった。


「こんなん落ち着ける訳ないじゃろ」


 しゃがむ。


 立つ。


 少し離れる。


 また戻る。


 完全に落ち着きがなかった。


 陸が吹き出す。


「犬みたいじゃな」


「誰がじゃ!」


「お前じゃ」


 あかりも笑った。


 蒼太は反論しようとして。


 でも石を見て。


 また黙った。


 春人も少し笑う。


 こういう時の蒼太は本気だ。


 本当に面白いものを見つけた時だけこうなる。


◇◇◇


 その後もしばらく周りを調べた。


 けれど新しい発見はなかった。


 見えている線も途中で土の中へ続いている。


 掘ろうにも手では無理だった。


「スコップ欲しいな」


 陸が言う。


「持ってくればよかった」


「普通持ってこんじゃろ」


 あかりが言った。


「探検に」


「いや持ってくるじゃろ」


「持ってこんわ」


 そんなやり取りの横で。


 黒崎は写真を撮っていた。


 石全体。


 線の部分。


 木の根元。


 周りの景色。


 何枚も。


 何枚も。


 角度を変えながら記録している。


「そんな撮るん?」


 みゆが聞いた。


「撮る」


 黒崎は答える。


「後で見返したら気付くこともあるけぇ」


 そう言ってまたシャッターを切る。


 春人は少しだけ感心した。


 探検というより調査だった。


 見たものを残す。


 残して比べる。


 そういう人なのかもしれない。


◇◇◇


 やがて。


 黒崎が空を見上げた。


「暑いな」


 春人もつられて見上げる。


 木々の隙間から見える空は白っぽく光っていた。


 朝よりずっと高い太陽。


 森の中なのに汗が流れる。


 クマゼミの声も一段と大きい。


「今日はこんなもんじゃろ」


 黒崎が言った。


 カメラを首から提げ直す。


 蒼太はまだ不満そうだった。


「でも……」


「石は逃げん」


 黒崎が笑う。


「明日なくなっとったらびっくりじゃけどな」


 あかりが吹き出した。


◇◇◇


 帰る準備をしていた時だった。


「なあ」


 黒崎が言う。


 五人が振り返る。


 黒崎は石ではなく、五人を見ていた。


「お前ら」


 少しだけ間が空く。


「何か隠しとるじゃろ」


 春人の心臓がどくりと鳴った。


 誰も喋らない。


 黙ったままだった。


 けれど。


 黒崎は笑った。


「ああ」


 肩をすくめる。


「別に言わんでええ」


 五人が顔を上げる。


「言いたくないことくらいあるじゃろ」


 風が吹く。


 森の匂いが流れていった。


「ただ」


 黒崎は言う。


「危ないことだけはするなよ」


 そして少し笑った。


「困ったら呼べ」


「呼べんじゃろ」


 陸が即座に言った。


「あ」


 黒崎が固まる。


「たしかに」


 あかりが吹き出した。


 黒崎も笑った。


 何を隠しているのかも聞かない。


 どうして隠しているのかも聞かない。


 ただそれだけを言った。


 春人は黒崎を見る。


 首から提げたカメラ。


 少しくたびれたジャケット。


 日焼けした顔。


 いつもと変わらない。


 なのに。


 なぜだろう。


 さっきより少しだけ近く感じた。


「じゃあな」


 黒崎が手を上げる。


「熱中症になるなよ」


 そう言って森の奥の道へ歩いていった。


 セミの声の中へ背中が消えていく。


◇◇◇


 黒崎の姿が見えなくなってから。


 蒼太がぽつりと言った。


「なあ」


 誰もが次の言葉を予想できた。


「氷室行かん?」


 全員が顔を見合わせる。


 春人も同じことを考えていた。


 石のこと。


 歌のこと。


 タブレットの文字のこと。


 氷色なら何か知っているかもしれない。


「行こう」


 みゆが言った。


 誰も反対しなかった。


◇◇◇


 氷室の中は相変わらず涼しかった。


 外の暑さが嘘みたいだった。


 石の床に腰を下ろす。


 しばらくして。


 淡い光が現れる。


「ひいろ」


 春人が呼ぶ。


 光が集まる。


 子どもの姿になる。


「きた」


 氷色が笑った。


「今日も」


「来た」


 あかりが答える。


◇◇◇


 陰陽石で見つけたことを話した。


 石のこと。


 歌のこと。


 タブレットのこと。


 途中まで現れた文字のこと。


 氷色は静かに聞いていた。


 時々不思議そうに首を傾げる。


「しってる?」


 蒼太が身を乗り出す。


 氷色は少し考えた。


 そして。


「わからない」


 蒼太が崩れ落ちた。


「またかあ!」


 陸が吹き出した。


◇◇◇


 笑いが落ち着いた頃だった。


 春人は少し迷った。


 黒崎の顔を思い出す。


 写真を撮っていたこと。


 何か隠していると気付いていたこと。


 それでも追及しなかったこと。


「なあ」


 氷色を見る。


「聞きたいことがある」


「なに?」


 氷色が首を傾げる。


「黒崎さん」


「うん」


「連れてきてもいい?」


 氷室の中が静かになった。


 氷色も黙る。


 少しだけ。


 本当に少しだけ。


 考えているみたいだった。


 やがて。


 小さく言った。


「たぶん」


「たぶん?」


 みゆが聞き返す。


「みえない」


 全員が固まった。


「え?」


 蒼太が言う。


「見えんの?」


 氷色は頷く。


「たぶん」


「なんで」


「わからない」


 またそれだった。


 けれど。


 今度は続きがあった。


 氷色は春人のタブレットを見る。


 じっと見つめる。


 そして。


「でも」


 静かな声で言った。


「もじは」


 一度言葉を探す。


「みえるかもしれない」


 誰も喋らなかった。

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