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第30話 4つの文字


 ぴっ。


 小さな電子音だった。


 風の音に紛れてしまいそうなほど小さい。


 けれど。


 春人は聞き逃さなかった。


 胸の奥がどくりと鳴る。


 聞き覚えがあった。


 初めてタブレットへあの文字が現れた時。


 氷室で氷色と会った時。


 何度も聞いた音だった。


 春人は思わず周囲を見回した。


 陰陽石の周りでは、まだ参加者たちの話し声が続いている。


 巨石信仰の話。


 昔話。


 神社の話。


 誰も気付いていない。


 聞こえたのは自分だけだった。


 ぴっ。


 もう一度。


 今度ははっきり聞こえた。


 音は肩にかけていたリュックの中から聞こえていた。


 春人はゆっくりと息を呑む。


 まさか。


 そう思いながらも。


 もう分かっていた。


 ファスナーを開く。


 中からタブレットを取り出した。


 画面は消えている。


 けれど手の中の端末は、どこか微かに熱を持っているような気がした。


 春人は親指で電源ボタンを押した。


 画面がゆっくりと明るくなる。


 そして。


「……」


 春人は言葉を失った。


 画面の中央に。


 あの文字が並んでいた。


 氷室で何度も見た文字だった。


 けれど。


 並んでいる四文字は今まで見たことがなかった。


 意味は分からない。


 けれど。


 なぜだか目を離せなかった。


 胸の奥がざわざわする。


 まるで。


 懐かしいものを見ているような気がした。


 そんな感覚だった。


「春人?」


 あかりの声がした。


 気付けば四人が近くまで来ていた。


「どうしたん」


 陸が覗き込む。


 次の瞬間だった。


「……出たんか」


 蒼太が呟く。


 いつもの勢いはなかった。


 画面を見つめる目だけが真剣だった。


 みゆも無言で画面を見る。


 誰も意味は分からない。


 けれど。


 全員が分かっていた。


 これは普通じゃない。


 また始まったのだと。


「スクショ」


 蒼太が言った。


 今度は静かな声だった。


「消える前に撮っとけ」


 春人は頷く。


 指を動かす。


 ぱしゃっ。


 小さな音が鳴った。


 それだけなのに。


 五人とも少しだけ安心した。


 記録は残った。


 少なくとも今は。


 その時だった。


「どうしたんじゃ?」


 後ろから声がした。


 全員が振り返る。


 黒崎隼人だった。


 いつの間にかすぐ近くまで来ている。


 春人は思わずタブレットを抱え込んだ。


 けれど。


 もう遅かった。


 黒崎は不思議そうな顔でこちらを見ている。


「何か見つけたんか?」


 春人たちは顔を見合わせた。


 ほんの短い沈黙。


 そして。


 春人はタブレットを差し出した。


「これ」


 黒崎は画面を見る。


 一秒。


 二秒。


 三秒。


 首を傾げた。


「?」


 さらに近付いて見る。


 そして。


「真っ黒じゃぞ」


 春人は思わず顔を上げた。


「え?」


 黒崎は首を傾げている。


 冗談を言っているようには見えなかった。


 春人は慌てて画面へ視線を落とす。


 文字はそこにあった。


 さっきと同じように。


 静かに並んでいる。


 消えていない。


 なのに。


 黒崎は不思議そうな顔のままだった。


「見えんの?」


 みゆが小さく聞く。


「何がじゃ?」


 黒崎は本気で分かっていないようだった。


 春人たちは顔を見合わせる。


 蒼太がそっとタブレットを受け取った。


 画面を見る。


 そして。


「……ある」


 小さく呟く。


「ちゃんとある」


 陸も覗き込む。


「ああ」


 あかりも頷いた。


「見えとる」


 五人には見えている。


 けれど。


 黒崎には見えていない。


 風が吹いた。


 木々がざわりと揺れる。


 遠くでは、まだ参加者たちの話し声が続いていた。


 けれど。


 春人たちの周りだけ、別の場所になってしまったような気がした。


 春人はゆっくりと息を吐いた。


 胸の鼓動が速い。


 頭の中で一つの考えが形になっていく。


 やっぱり。


 これも。


 自分たちだけなのかもしれない。


 黒崎はしばらく画面を見ていたが、やがて肩をすくめた。


「まあええ」


 そう言って笑う。


「見えとるんなら残しとけ」


「意味なんて後から見えてくることもある」


 その言葉だけ残して、参加者たちの輪へ戻っていった。


 春人はその背中を見送る。


 そしてもう一度画面へ視線を落とした。


 四つの文字はまだそこにあった。


 静かに。


 まるで。


 誰かが返事を待っているかのように。


◇◇◇


「皆さんー」


 スタッフの声が響いた。


「そろそろ出発しますので集まってくださーい」


 参加者たちがゆっくりと集まり始める。


 陰陽石の周りにできていた話の輪も少しずつほどけていった。


 春人たちも慌ててタブレットをしまう。


 誰も何も言わなかった。


 けれど。


 考えていることは同じだった。


 氷色に聞きたい。


 今すぐ聞きたい。


 その気持ちだけが胸の中で膨らんでいた。


◇◇◇


 見学会はその後も続いた。


 古墳を見て。


 神社を回り。


 説明を聞いた。


 参加者たちは楽しそうだった。


 蒼太も質問はしていた。


 けれどどこか落ち着かなかった。


 話を聞いている途中でも、


 時々スマホでスクリーンショットを確認している。


「絶対なんかある」


 何度もそう呟いていた。


 春人も同じだった。


 せっかくの見学会なのに。


 頭の片隅にはずっと四文字が残り続けている。


 まるで引っかかった棘みたいに。


 気になって仕方がなかった。


◇◇◇


 やがて。


 長かった見学会も終わりを迎えた。


 夕方だった。


 夏の日差しはまだ残っている。


 けれど空は少しずつ橙色へ変わり始めていた。


 市役所前へ戻ったバスから参加者たちが降りていく。


「ありがとうございましたー」


 スタッフが頭を下げる。


 あちこちで挨拶が交わされる。


 そんな中。


「みゆー」


 聞き慣れた声がした。


 駐車場の向こうだった。


 みゆの祖母が手を振っている。


「あ」


 みゆが顔を上げる。


「迎え来た」


「早いな」


 陸が言う。


「言うとったじゃろ」


 みゆは少し呆れたように返した。


 そして。


 春人たちを見る。


「今日行くん?」


 その一言で全員が黙った。


 行きたい。


 ものすごく行きたい。


 けれど。


「無理じゃろ」


 陸が言った。


「もう夕方じゃし」


「あー……」


 あかりも頷く。


 確かにそうだった。


 氷室は山の方にある。


 今から行けば帰りはかなり遅くなる。


 親にも何も言っていない。


 蒼太だけが不満そうな顔をしていた。


「待てん」


「待て」


 陸が即答した。


「あかん」


 あかりも言う。


「明日じゃ」


 みゆまで頷く。


「明日」


 春人も言った。


 蒼太はしばらく抵抗するような顔をしていたが、


 やがて大きくため息を吐いた。


「……分かった」


 全然納得していない顔だった。


◇◇◇


「じゃあ明日な」


 みゆが手を振る。


「おう」


「また明日」


 祖母の車へ向かう背中を見送りながら、


 春人たちもそれぞれ帰る準備を始める。


 陸は自転車へ。


 あかりも家の方向へ。


 蒼太は最後までタブレットに保存した画像を見ていた。


「絶対何かある」


 また同じことを言う。


「そりゃあるじゃろ」


 春人は思わず笑った。


◇◇◇


 一人になってから。


 春人はそっとリュックを開いた。


 タブレットを取り出す。


 夕陽の光が画面へ映り込む。


 けれど。


 四つの文字はまだ消えていなかった。


 静かに。


 ただそこにある。


 明日。


 氷色は何と言うだろう。


 春人はゆっくりとタブレットを閉じる。


 西の空では、


 夏の夕焼けが少しずつ広がり始めていた。


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