第28話 磐座めぐり
見学会当日の朝だった。
春人は目を覚ました瞬間、自分でも驚いた。
目覚ましが鳴る前だった。
窓の外はまだ朝の光が柔らかい。
けれど眠気はなかった。
むしろ胸の奥が落ち着かない。
「……今日か」
小さく呟く。
磐座めぐりの日だった。
図書館で調べた。
氷色にも何度も話を聞いた。
けれど結局、分からないことだらけだった。
だからこそ。
早く行ってみたかった。
実際に見てみたかった。
春人は布団から飛び起きた。
◇◇◇
集合場所は市役所前だった。
夏の朝だというのに、すでに暑い。
青空には雲ひとつない。
大型バスが停まっていた。
白い車体の側面には、
『甘岩の歴史を巡る 磐座・古墳見学会』
と書かれている。
「おったおった!」
遠くから声が聞こえた。
陸だった。
手を振りながら走ってくる。
その後ろにはあかりもいる。
「おはよう!」
「早いな」
「楽しみで寝れんかった」
あかりが言った。
「子供か」
「子供じゃ」
陸が即答する。
確かにそうだった。
全員笑う。
◇◇◇
その時だった。
「春人!」
また別の声が聞こえた。
蒼太だった。
いつもより明らかにテンションが高い。
首から双眼鏡までぶら下げている。
「何それ」
春人が聞く。
「双眼鏡」
「見たら分かる」
「磐座観察用」
「いる?」
「いる」
真顔だった。
陸とあかりが吹き出した。
その後ろからみゆもやって来る。
「おはよう」
少し眠そうだった。
「ちゃんと寝た?」
あかりが聞く。
「寝た」
「嘘じゃな」
「二時まで本読んどった」
蒼太が即答する。
「裏切り者」
みゆが睨んだ。
どうやら昨夜も電話していたらしい。
五人は笑った。
◇◇◇
その時だった。
ぶろろろろろ――
低いエンジン音が響いた。
思わず全員が振り返る。
一台の大型バイクが駐車場へ入ってきた。
黒い車体だった。
大きい。
とにかく大きい。
陽射しを受けた金属部分が鈍く光っている。
「うわ」
陸が思わず声を上げた。
「かっけぇ……」
バイクはゆっくりと停まった。
降りてきたのは日に焼けた男だった。
年齢はよく分からない。
日焼けした顔は若くも見えるし、妙に大人にも見えた。
作業着姿。
気さくそうな顔をしている。
男はヘルメットを外すと、
五人の方を見て笑った。
「おう」
それだけだった。
けれど妙に存在感があった。
その時。
見学会のスタッフが声を上げた。
「皆さんお集まりですねー」
参加者たちが集まってくる。
「本日、一部の磐座について解説をお願いしております」
スタッフが男を見る。
「全国の巨石や遺跡を取材されている探訪記録家、黒崎隼人さんです」
男は頭をかいた。
「大げさじゃなあ」
「ただ面白い石を追いかけとるだけじゃ」
男は少し照れくさそうに笑った。
その言葉に。
蒼太の目が光った。
春人は嫌な予感がした。
たぶん。
もうすぐ話しかける。
絶対に話しかける。
そして。
案の定だった。
「何年やっとるんですか!?」
蒼太が飛び出した。
男は目を丸くする。
「おお?」
「一番すごい岩どこですか!?」
「おおお?」
「磐座何個知っとるんですか!?」
「一個ずつ聞け」
男が笑った。
周囲からも笑いが起きる。
春人は思わず吹き出した。
見学会は。
どうやら面白い一日になりそうだった。
バスが動き始める。
市街地を抜け。
田んぼの間を走り。
緑の濃い山道へ入っていく。
窓の外には夏の景色が流れていた。
青い空。
白い雲。
風に揺れる稲。
見慣れた景色のはずなのに。
今日は少し違って見えた。
「あとどれくらい?」
あかりが聞く。
「もう着く」
蒼太が答える。
「なんで分かるん」
「地図見た」
「出た」
陸が笑った。
蒼太は本当に調べていたらしい。
◇◇◇
やがて。
バスがゆっくり停まった。
「はい、最初の見学地に到着しました」
スタッフの声が響く。
参加者たちがぞろぞろ降りていく。
春人も後に続いた。
その瞬間だった。
「……でか」
思わず声が漏れる。
目の前にあった。
岩だった。
ただの岩ではない。
見上げるほど大きい。
木々の間から現れたその姿は、小さな家ほどもある。
長い年月をそこに立ち続けてきたような。
そんな存在感だった。
「写真で見るんと全然違うな……」
陸が呟く。
あかりも珍しく黙っていた。
みゆは岩を見上げたまま動かない。
蒼太だけが興奮している。
「すげえ!」
「落ち着け」
「無理!」
無理らしい。
◇◇◇
その時だった。
「昔の人もな」
聞き覚えのある声がした。
振り返る。
あのバイクのおっちゃんだった。
参加者たちも自然と耳を傾ける。
「最初から神様がおったと思うとった訳じゃねえ」
おっちゃんは岩を見上げる。
「たぶん最初は」
少し考えてから続けた。
「なんかすげえな、だったんじゃろうな」
春人は思わず笑った。
妙に納得できる説明だった。
おっちゃんも笑う。
「だってそうじゃろ」
「こんなん見たら驚くわ」
参加者たちからも笑い声が上がった。
「それで何度も来て」
「集まって」
「祈ったり歌ったりしとるうちに」
おっちゃんは岩へ視線を向ける。
「特別な場所になったんじゃろうな」
風が吹いた。
木々がざわりと揺れる。
その瞬間。
春人はなぜだか氷色の歌を思い出した。
あの日。
氷室で聞いた不思議な歌。
意味は分からない。
けれど。
今この場所へ立っていると。
少しだけ。
その歌が遠い昔から響いてきたもののような気がした。
◇◇◇
見学はその後も続いた。
二つ目の磐座は神社の裏山にあった。
大きな杉の木に囲まれた静かな場所だった。
説明を聞きながら歩く。
写真を撮る人もいる。
メモを取る人もいる。
蒼太は質問を取る人だった。
「その石はいつからあるんですか!?」
「分からん」
「なんで分からんのですか!?」
「昔すぎるからじゃ」
「なるほど!」
本当に納得したのかは怪しい。
おっちゃんは笑っていた。
どうやら蒼太を面白がっているらしい。
◇◇◇
昼前。
一行は三つ目の見学地へ向かっていた。
森の中だった。
舗装された道から外れ。
細い山道を歩いていく。
周囲の木々がだんだん深くなる。
照りつけていた夏の日差しも葉に遮られ、空気が少しだけひんやりしていた。
「なんか」
みゆが小さく言う。
「静かじゃな」
春人も頷いた。
不思議だった。
山の中なのに。
音が少ない。
セミの声も遠い。
自分たちの足音だけが妙にはっきり聞こえていた。
ざっ。
ざっ。
落ち葉を踏む音が続く。
◇◇◇
やがて。
一行の前に岩が現れた。
春人は思わず足を止める。
「……あれか」
図書館で見た写真と同じだった。
けれど。
実際に目の前へ立つと印象が違う。
二つの岩が寄り添うように並んでいる。
見上げるほど大きいわけではない。
けれど小さくもない。
白っぽい岩肌には苔が張りつき、長い年月をそこに立ち続けてきたことだけはよく分かった。
「なんか」
あかりが呟く。
「変な形じゃな」
陸も頷いた。
「自然にできたんじゃろうけどな」
「なんか意味ありそうに見える」
みゆが言う。
春人も同じことを思っていた。
ただ並んでいるだけ。
それなのに。
なぜだろう。
目が離せない。
胸の奥が妙にざわつく。
初めて来た場所のはずだった。
なのに。
どこか懐かしい気がした。
◇◇◇
「不思議じゃろ」
おっちゃんが言った。
参加者たちが振り向く。
おっちゃんは陰陽石を見上げていた。
「ただの岩じゃ」
誰も何も言わない。
「けどな」
おっちゃんは少し笑った。
「昔の人は、こういう場所を見つけるのが上手かったんじゃろうな」
風が吹く。
木々がざわりと揺れる。
「なんで気になるんか」
「なんで立ち止まるんか」
「理由は分からん」
「けど」
おっちゃんは岩へ視線を向ける。
「そう思わせる場所があるんじゃ」
春人はもう一度岩を見上げた。
確かにそうだった。
誰も騒いでいない。
蒼太ですら珍しく黙っている。
ただ岩を見ていた。
それだけだった。
◇◇◇
その時だった。
風が吹いた。
木々が大きく揺れる。
ざわり。
ざわり。
まるで岩そのものが息をしたようだった。
春人は思わず息を呑む。
胸の奥が妙にざわついていた。
初めて来た場所のはずなのに。
どこか懐かしい。
そんな感覚があった。
「……なんなんだろうな」
小さく呟く。
答える者はいない。
けれど。
巨大な岩はただ静かにそこにあった。
まるで。
ずっと昔から待っていたかのように。
春人はもう一度岩を見上げた。




