第20話 足りないもの
次の日の昼だった。
夏の日差しは朝から容赦なく照りつけていて、神社の石段も白く光っている。
セミの鳴き声は昨日以上だった。
まるで山全体が鳴いているみたいだった。
春人は鳥居をくぐる。
まだ約束の時間より少し早い。
けれど。
落ち着いて家にいるなんて無理だった。
昨日の夜も何度も目が覚めた。
時計を見るたびに、まだ朝かとため息をついた。
そんなことを繰り返しているうちに、ようやく昼になったのだ。
「あ」
石段の上から声がした。
見ると、あかりが手を振っていた。
「春人!」
「早いな」
「春人もじゃん」
あかりは笑う。
けれど、どこかそわそわしていた。
春人もたぶん同じ顔をしている。
そのうち蒼太が自転車でやって来て、陸も現れた。
最後に軽トラックが神社の前へ止まる。
助手席から降りてきたみゆが、小さく手を振った。
これで全員だった。
誰からともなく顔を見合わせる。
そして。
「寝れた?」
あかりが聞いた。
一瞬だけ沈黙。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
全員が目を逸らした。
「あー」
あかりが笑う。
「寝れてないじゃん」
「そりゃそうじゃろ」
蒼太が即答した。
「気になるじゃん」
「俺も気になった」
陸が頷く。
みゆも小さく笑っていた。
春人だけじゃなかったらしい。
それが少しだけ嬉しかった。
「行こう」
蒼太が言う。
「早よ」
誰も反対しなかった。
⸻
林へ入る。
昨日と同じ道だった。
昨日と同じセミの声。
昨日と同じ夏の匂い。
なのに。
まるで違う場所みたいだった。
昨日までは探検だった。
今日は違う。
会いに行くのだ。
見えない誰かに。
⸻
氷室の入口へ着く。
ひんやりした空気が流れてくる。
石段を降りる。
一歩。
また一歩。
外の暑さが遠ざかっていく。
そして。
昨日と同じ石室へ辿り着いた。
誰も喋らない。
春人はリュックを下ろした。
タブレットを取り出す。
全員の視線が集まった。
画面を開く。
何も変わっていない。
昨日の最後の返事。
『うん』
その文字だけが残っていた。
「送ってみ」
陸が言う。
春人は頷く。
入力欄を開く。
少し迷ってから打ち込んだ。
『いる?』
送信。
ぴっ。
小さな電子音。
五人は息を止める。
一秒。
二秒。
三秒。
――ピコン。
「来た!」
あかりが飛び上がった。
春人は急いで通知を開く。
表示された文字は短かった。
『いる』
昨日と同じだった。
短い。
けれど。
それだけで、胸の奥が少し熱くなる。
本当にいる。
昨日だけじゃなかった。
夢でもなかった。
春人は画面を見つめる。
そして。
昨日からずっと聞きたかったことを打ち込んだ。
『会える?』
送信。
氷室の中が静まり返る。
ぽたり。
どこかで水滴が落ちた。
全員が画面を見つめる。
そして。
――ピコン。
返事が届いた。
春人は息を飲む。
画面を開いた。
そこには。
『まだ』
という文字が表示されていた。
誰もすぐには声を出せなかった。
『まだ』
たった二文字。
けれど、その意味だけは全員が理解できた。
会えないわけではない。
ただ――まだ。
氷室の中には水滴の落ちる音だけが響いている。
ぽたり。
ぽたり。
冷たい空気が石壁を伝うように流れ、春人の頬をかすかに撫でていった。
「まだって何じゃろ」
みゆが小さく呟く。
「会えるんじゃろ?」
あかりが言った。
「じゃな」
陸も頷く。
「会えんかったら会えんって返すじゃろ」
蒼太は腕を組んだまま石壁を見つめていた。
春人も同じことを思っていた。
少なくとも相手は会うこと自体を否定していない。
問題はその先だった。
何が足りないのか。
どうすれば会えるのか。
それが分からない。
春人はもう一度入力欄を開く。
白いカーソルが静かに点滅していた。
まるで向こう側で誰かが返事を待っているみたいだった。
ゆっくりと文字を打ち込む。
『どうしたら会えるの?』
送信。
ぴっ。
小さな電子音が氷室の中へ吸い込まれていく。
五人は息を止めた。
一秒。
二秒。
三秒。
昨日までなら、すぐ返事が来ていた。
けれど今日は違う。
画面は静かなままだった。
「遅いな」
陸がぽつりと言う。
その時だった。
――ピコン。
全員が身を乗り出す。
春人は急いで通知を開いた。
そこに表示されていたのは一言だった。
『たりない』
「足りない?」
あかりが首を傾げる。
「何が?」
当然、画面は答えない。
春人はすぐに次の言葉を打ち込んだ。
『何が足りないの?』
送信。
今度の返事は早かった。
――ピコン。
『なおして』
五人は顔を見合わせた。
「なおす?」
陸が眉をひそめる。
「何を?」
「知らんが」
蒼太が立ち上がり、石室の中をゆっくり見回した。
冷たい石壁。
積み上げられた石。
湿った空気。
昨日と何も変わらないように見える。
そのはずだった。
「あ」
その時だった。
みゆが小さな声を上げた。
全員の視線が集まる。
みゆは石室の奥の壁をじっと見つめていた。
「これ」
指差した先には、不思議な文字が刻まれた石壁がある。
昨日も見た場所だった。
けれど今は、なぜだかそこだけが妙に気になった。
みゆは壁へ近づく。
そして、文字の一部分を指差した。
「ここ」
春人たちも慌てて駆け寄った。
顔を近づけてよく見る。
すると、文字の一部分だけが不自然に欠けていた。
まるで何かが外れてしまったみたいに。
「ほんまじゃ」
陸が目を丸くする。
「欠けとる」
蒼太もすぐ横へしゃがみ込み、慎重に指先で縁をなぞった。
「自然に割れた感じじゃない」
「どういうこと?」
あかりが聞く。
「ここ見て」
蒼太が指差す。
欠けた部分の周囲は妙に滑らかだった。
石が崩れたというより、最初から何かをはめ込むための形みたいに見える。
春人は思わず息を飲んだ。
冷たい空気の中で、自分の心臓の音だけが妙に大きく聞こえる。
「パズルみたい」
みゆが呟く。
その言葉に全員が顔を見合わせた。
確かにそうだった。
まるで長い時間をかけて壊れてしまった何かを、もう一度元へ戻すための場所みたいだった。
春人は急いでタブレットを開く。
『これ?』
送信。
ぴっ。
電子音が鳴る。
そして。
――ピコン。
返事はすぐだった。
『うん』
「やっぱり!」
あかりが飛び上がる。
「これじゃん!」
陸も大きく頷いた。
春人は続けて入力する。
『なおしたら会える?』
送信。
数秒後。
返ってきたのは短い言葉だった。
『ちかづく』
全員が黙った。
会える、ではない。
けれど。
近づく。
それは間違いなく前進だった。
昨日までは何も分からなかった。
けれど今は違う。
少なくとも進むための道が見えている。
「探そう」
蒼太が立ち上がる。
「絶対この氷室の中にある」
「宝探しじゃん!」
あかりの目が輝いた。
五人は手分けして氷室の中を探し始める。
石段の隅。
壁際。
積み上げられた石の影。
床の隙間。
今まで何となく見ていた場所を、今度は一つ一つ確かめるように調べていった。
ぽたり。
どこかで水滴が落ちる。
静かな氷室の中では、その音だけがやけにはっきり聞こえた。
時間が経つ。
けれど見つからない。
「ないなぁ」
あかりが石の陰から顔を出した。
「そんな簡単に見つかるか」
陸が言う。
それでも誰も諦めなかった。
あと少しで会えるかもしれない。
その思いだけで十分だった。
ぽたり。
また水滴が落ちる。
その時だった。
「あった」
小さな声だった。
けれど、その一言だけで全員が振り返る。
みゆが石壁の根元へしゃがみ込んでいた。
その手には、小さな白い石片が握られている。
掌へ収まるくらいの大きさだった。
表面には見覚えのある不思議な線が刻まれている。
「それじゃ!」
蒼太が駆け寄る。
陸も。
あかりも。
春人も。
みんながみゆの周りへ集まった。
石片を欠けた場所へ近づける。
誰も喋らない。
形を合わせる。
すると。
欠けた部分と石片は、まるで最初から一つだったみたいにぴたりと重なった。
「合う……」
春人が呟く。
胸がどくりと鳴った。
本当に見つけた。
本当に足りなかったものを。
春人は石片を両手で持ち上げる。
そして、ゆっくりと欠けた場所へ押し込んだ。
かちり。
小さな音が響く。
ぴたりとはまる。
五人は息を止めた。
一秒。
二秒。
三秒。
何も起きない。
「……あれ?」
あかりが呟く。
壁も。
文字も。
氷室も。
何一つ変わらなかった。
ぽたり。
どこかで水滴が落ちる。
「失敗?」
あかりが言いかけた。
その時だった。
「違う」
みゆが壁を見つめたまま言った。
「え?」
「まだ足りてない」
全員が振り返る。
みゆは完成したはずの文字を見つめていた。
そして。
その少し上を指差す。
そこにもまた。
小さく欠けた跡が残っていた。
氷室の冷たい空気の中で、五人は黙ったまま顔を見合わせる。
どうやら。
足りないものは、一つではなかった。
五人は黙ったまま顔を見合わせる。
そして次の瞬間には、誰からともなく再び石壁の周りへ散っていた。




