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いにしえのことのは ー空に近い町のひみつー  作者: くいたん


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第18話 ここにいる


 ――ピコン。


 氷室の静寂を破るように、小さな電子音が響いた。


 その瞬間だった。


 五人全員が同時に顔を上げる。


 誰かが声を出したわけではない。


 けれど、まるで一本の糸で繋がっていたみたいに、視線が一斉に春人の手の中へ集まった。


 タブレットの通知ランプが、小さく点滅している。


 青白い光が石段へ落ち、薄暗い氷室の中をぼんやり照らしていた。


 ぽたり。


 どこかで水滴が落ちる。


 その音だけが妙に大きく聞こえた。


「来た……」


 蒼太が息を飲む。


 いつもなら真っ先に騒ぐはずなのに、今はそれ以上の言葉が続かなかった。


 春人は自分でも分かるくらい緊張していた。


 指先が少し汗ばんでいる。


 心臓が速い。


 氷室の空気は冷たいはずなのに、胸の奥だけが妙に熱かった。


 ゆっくりと通知を開く。


 画面が切り替わる。


 そして。


 そこに現れた文字を見た瞬間、春人は思わず瞬きをした。


『わからない』


 短い言葉だった。


 たったそれだけ。


 名前もない。


 説明もない。


 ただ、その一言だけが静かに表示されている。


 一瞬、誰も声を出せなかった。


 ぽたり。


 また水滴が落ちる。


 氷室の奥から吹いてくる冷たい空気が、頬を撫でていった。


「……は?」


 最初に口を開いたのは陸だった。


 呆気に取られたような声だった。


「わからんって、何が?」


「『だれ?』の返事じゃろ」


 蒼太が言う。


 けれど言った本人も困惑している。


「いや、じゃけど名前くらいあるじゃん」


 あかりが首を傾げた。


「忘れとるとか?」


「そんなことある?」


「あるかもしれんじゃろ」


「知らんけど」


 言いながらも、あかりの視線は画面から離れなかった。


 春人も同じだった。


 相手は質問を読んでいる。


 返事もしている。


 ちゃんと会話になっている。


 それなのに。


 その返事は、まるで霧の向こうから聞こえてくるみたいに曖昧だった。


『わからない』


 本当に分からないのだろうか。


 それとも。


 説明できないのだろうか。


 春人は知らず知らずのうちに、氷室の奥へ目を向けていた。


 石の壁。


 薄暗い通路。


 積み重なった時間の匂い。


 そこには誰もいない。


 少なくとも見える範囲には。


 けれど。


 本当に誰もいないのだろうか。


「もう一回聞いてみる?」


 陸が言った。


「何て?」


「どこにおるん、とか」


 その言葉に全員が頷いた。


 確かに気になる。


 今、一番気になる。


 春人は入力欄を開く。


 白いカーソルが点滅していた。


 まるで向こう側で誰かが待っているみたいだった。


 春人はゆっくりと文字を打ち込む。


『どこにいるの?』


 送信。


 小さな電子音。


 そして。


 全員が息を止める。


 一秒。


 二秒。


 三秒。


 ――ピコン。


「早っ!」


 あかりが思わず声を上げた。


 春人は慌てて通知を開く。


 そこに表示されていたのは。


『ここ』


 たった二文字だった。


 今度こそ。


 全員が同じ顔になった。


「いや、ここって!」


 蒼太が頭を抱える。


「それ聞いた意味ないじゃろ!」


「でも返事はしとる」


 みゆが小さく言った。


 その言葉に、みんな少しだけ黙る。


 確かにそうだった。


 答えは分からない。


 けれど、会話は続いている。


 それが何より不思議だった。


 春人はもう一度画面を見つめる。


『ここ』


 その二文字は変わらない。


 まるで当たり前のことを書いたみたいに、静かにそこに表示されていた。


 ぽたり。


 どこかで水滴が落ちる。


 冷たい空気が石段を撫でていく。


 春人はふと顔を上げた。


 薄暗い氷室の奥。


 石壁の向こう。


 見えない場所。


 そのどこかから、この言葉は送られてきているのだろうか。


 そんなことを考えた瞬間、自分でもおかしくなった。


 そんなはずない。


 石の中に誰かいるわけがない。


 けれど。


 じゃあ、この返事は誰が送っているんだろう。


「氷室なんかな」


 ぽつりとみゆが言った。


 全員の視線が集まる。


 みゆは少しだけ肩をすくめた。


「だって」


 氷室の奥を見つめる。


「ここって言うなら」


「氷室しかないじゃろ」


 誰も反論できなかった。


 春人は唾を飲み込む。


 そして、もう一度入力欄を開いた。


 白いカーソルが静かに点滅している。


 打つ。


 一文字ずつ。


『氷室にいるの?』


 送信。


 ぴっ。


 小さな電子音。


 その瞬間だった。


 ――ピコン。


「また来た!」


 あかりが飛び上がる。


 今度は全員が春人の肩へ顔を寄せた。


 画面を覗き込む。


 表示された返事は短かった。


『うん』


 一文字。


 たった一文字。


 それなのに。


 春人の背筋を冷たいものが走った。


 誰も喋らない。


 氷室の中には水滴の音だけが響いている。


 ぽたり。


 ぽたり。


 さっきまでと同じ音のはずなのに。


 なぜだか急に違って聞こえた。


 春人は思わず氷室の奥を見る。


 蒼太も見た。


 陸も。


 あかりも。


 みゆも。


 全員が同じ方を見ていた。


 薄暗い通路。


 その先にある石室。


 誰もいない。


 少なくとも見える範囲には。


 けれど。


 本当に誰もいないのだろうか。


「……おるんじゃ」


 陸が小さく呟いた。


 冗談ではなかった。


 からかいでもなかった。


 本気だった。


 春人も同じことを考えていた。


 いる。


 姿は見えない。


 声も聞こえない。


 でも。


 いる。


 そう思った瞬間だった。


 胸の奥がどくりと鳴った。


 怖い。


 少しだけ。


 けれど、それ以上に知りたかった。


 画面の向こうにいる誰かのことを。


 どうしてここにいるのか。


 なぜ春人たちを待っていたのか。


 どうしてタブレットへ文字を送れるのか。


 聞きたいことは山ほどあった。


「次!」


 あかりが言う。


「次聞こう!」


「落ち着け」


 陸が言う。


「俺も聞きたいけど」


「何聞く?」


 蒼太が腕を組む。


 さっきまでの緊張が、今度は別の興奮へ変わり始めていた。


 宝箱を開けた時みたいな気持ちだった。


 怖い。


 でも見たい。


 知りたい。


 もう後戻りはできない。


 春人はタブレットを握り直した。


 そして思う。


 たぶん。


 みんな同じ顔をしている。


 ぽたり。


 どこかで水滴が落ちた。


 春人は黙ったまま氷室の奥を見る。


 薄暗い石室は何も変わっていない。


 冷たい石壁も。


 静かな空気も。


 昔のままだ。


 けれど。


 もう誰も。


 あそこに何もいないとは思えなかった。


「名前聞く?」


 あかりが言う。


「だれ?って聞いたじゃろ」


 陸が返す。


「じゃあ何歳」


「人かどうかも分からんのに?」


「じゃあいつからここにおるん」


「それは気になる」


 蒼太が珍しく即答した。


 みゆも小さく頷く。


「うん」


 春人は入力欄を開いた。


 何を聞こう。


 何から聞こう。


 頭の中に聞きたいことが次々浮かんでくる。


 その時だった。


 遠くから。


 かすかに音が聞こえた。


 最初は風の音かと思った。


 けれど違う。


 聞き慣れた旋律だった。


「あ」


 あかりが顔を上げる。


 蒼太も耳を澄ませる。


 氷室の入口の方から、微かに流れてくる。


 夕方の防災無線だった。


 町じゅうへ響く、あのチャイム。


 五人は顔を見合わせた。


「うそじゃろ」


 陸が言う。


「もうそんな時間なん?」


 春人も驚いた。


 ついさっき来たばかりの気がしていた。


 けれど。


 夢中になっていたのだ。


 調査会議をして。


 昼ご飯を食べて。


 氷室へ来て。


 そして今。


 見えない誰かと話している。


 時間なんて忘れていた。


 チャイムはゆっくり流れ続ける。


 氷室の冷たい空気の中へ、どこか遠い町の音が混ざり込んでいた。


「帰らんと怒られる」


 みゆが小さく言う。


「それな」


 あかりが頷く。


 さすがに誰も反論できなかった。


 けれど。


 全員の視線はすぐにタブレットへ戻る。


 帰りたいわけではない。


 まだ聞きたい。


 まだ知りたい。


 たぶん全員同じだった。


 春人は画面を見る。


『うん』


 その一文字は、まだそこに残っていた。


 まるで。


 向こう側の誰かも待っているみたいに。


「明日」


 蒼太が言った。


「また来よう」


 誰も反対しなかった。


 むしろ、それ以外の答えはなかった。


 春人は小さく頷く。


 胸の奥はまだ落ち着かない。


 けれど。


 不思議と少しだけ安心もしていた。


 終わったわけじゃない。


 むしろ。


 ようやく始まったのだ。


 ぽたり。


 どこかで水滴が落ちる。


 春人は最後にもう一度だけ氷室の奥を見た。


 薄暗い石室は何も答えない。


 けれど。


 明日になれば、また会える気がした。


 帰らなきゃいけないのに。


 もう明日が待ち遠しかった。

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