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第16話 調査会議と届いた声


土曜日の朝だった。


 窓の外では、朝からセミたちが鳴いている。


 ミーン、ミーン、と重なり合う声は、まるで夏そのものが鳴いているみたいだった。


 空は高く晴れ渡っている。


 雲は少なく、強い日差しだけが町へ降り注いでいた。


 庭のアスファルトはもう白く光り始めている。


 今日は学校がない。


 けれど春人は、いつもの休みの日みたいにのんびりしていなかった。


 リュックの中にはタブレットが入っている。


 氷室で見つけた文字と、画面へ現れた謎の文章。


 そして秘密基地ノート。


 今日は、それぞれが調べてきたことを持ち寄る日だった。


 玄関を出ると、むわりとした夏の空気が肌へまとわりついた。


 まだ午前中なのに暑い。


 けれど足取りは軽かった。


 長屋門へ続く道を歩く。


 田んぼの向こうでは風が稲を揺らしていた。


 遠くには丸い山が見える。


 東京では見なかった景色だったけれど。


 今はもう少しだけ見慣れている。


 そんなことを考えているうちに、長屋門が見えてきた。


 その瞬間だった。


「春人ぉー!」


 二階から大きな声が飛んでくる。


 思わず顔を上げる。


 窓から身を乗り出していたのは、あかりだった。


 両手をぶんぶん振っている。


 落ちそうなくらい身を乗り出しているのに、本人はまったく気にしていないらしい。


「早う来い!」


「落ちるなよ」


 春人が言うと、


「落ちん!」


 元気な声が返ってきた。


 その返事があまりにも自信満々だったので、春人は思わず笑った。


 本当に落ちない気がする。


 根拠はないけれど、あかりなら大丈夫そうだった。


 長屋門をくぐる。


 木の柱は夏の日差しを浴びて少し熱くなっていた。


 見上げれば古い梁が頭の上を横切っている。


 昔の家特有の匂いがして、どこか懐かしい感じがした。


 木の階段へ足を掛ける。


 ぎしり。


 一段。


 ぎしり。


 また一段。


 階段は相変わらず急だった。


 下を見ると少しだけ怖い。


 でも、もう前ほどではない。


 この一週間で何度か上り下りしただけなのに、不思議と慣れていた。


 二階へ着く。


 秘密基地の戸は開いたままだった。


 中から話し声が聞こえてくる。


 春人は戸口で一度立ち止まった。


 窓から風が吹いている。


 畳の匂いと古い本の匂い、それに少し埃っぽい空気が混ざり合い、夏の陽射しを受けた部屋の中をゆっくり流れていた。

 

 ほんの一週間前に見つけたばかりなのに。

 

 春人にはもう、その場所が立派な秘密基地に思えた。


 なぜだか帰ってきたような気分になる。


「何しとん」


 陸の声が飛んできた。


「入らんの?」


「あ、ごめん」


 春人は慌てて中へ入った。


 ちゃぶ台の前には陸が座っている。


 その横では蒼太がもう秘密基地ノートを広げていた。


 みゆも来ている。


 窓際に座って、風に揺れるカーテンを押さえていた。


「おはよう」


 春人が声を掛ける。


「おはよう」


 みゆが小さく手を振った。


 あかりはもう座っている。


 さっきまで窓から身を乗り出していたとは思えないくらい普通の顔だった。


「全員揃ったな」


 蒼太が言う。


 その声に、なんとなく全員の視線が集まる。


 蒼太は秘密基地ノートを自分の前へ引き寄せた。


 そして鉛筆を一本持ち上げる。


 妙に真面目な顔だった。


「よし」


 ひとつ咳払いをする。


「これより第一回氷室調査会議を始める」


 一瞬だけ静かになる。


 それから。


「何その言い方」


 あかりが吹き出した。


「調査会議じゃろ」


 蒼太は真顔だった。


「ちゃんと始めんと」


「何を」


「調査会議を」


「だから何それ」


 あかりが笑う。


 陸まで肩を揺らしていた。


 けれど蒼太だけは本気らしい。


 秘密基地ノートを自分の前へ置き、鉛筆を握り直す。


「隊長がおらんと」


「誰が隊長なん」


 陸が聞く。


「俺」


「却下」


 今度は全員だった。


 秘密基地の中に笑い声が広がる。


 蒼太は不満そうに眉をひそめた。


「なんで」


「勝手に決めとる」


 陸が言う。


「じゃあ誰なん」


「知らん」


「またそれじゃ」


 窓から吹き込んだ風がカーテンを揺らした。


 夏の光が畳の上をゆっくり移動している。


 外では相変わらずセミが鳴いていた。


 その賑やかな声とは反対に、秘密基地の中はどこか落ち着いていた。


 春人はちゃぶ台の前へ座る。


 そして秘密基地ノートを開いた。


 ぱらり。


 紙の擦れる音がする。


 先週、自分たちが書いたページが現れた。


『7月12日』


『氷室へ行った』


『壁に知らない記号があった』


『何の意味かはまだ分からない』


『また調べに行く』


 春人は少しだけ口元を緩めた。


 ほんの数行しかない。


 けれど。


 こうして改めて見ると、ちゃんと記録になっていた。


 先週の自分たちがそこに残っている。


 なんだか少しだけ嬉しかった。


「じゃあ発表な」


 蒼太が言った。


 鉛筆を持ち上げる。


「まず俺」


 その言い方が妙に自信満々だったので、あかりがすでに笑いをこらえている。


「調べたん?」


「調べた」


 蒼太は頷く。


 それから、わざとらしく一度咳払いをした。


「まずな」


 みんなの視線が集まる。


「古代文字の可能性がある」


「おお」


 陸が相槌を打つ。


 蒼太はさらに続けた。


「宇宙人が残した文字の可能性もある」


「おお?」


 今度はあかりだった。


「それからカタカムナ」


「何それ」


「あとヲシテ文字」


「何それ」


「それから超古代文明」


「何それ」


 蒼太は得意そうだった。


 説明が始まる。


 どこで調べてきたのか分からない話が次々飛び出す。


 超古代文明。


 失われた文字。


 謎の伝承。


 宇宙人。


 途中から春人も分からなくなった。


 みゆも首を傾げている。


 陸は完全に聞き流していた。


 そして。


「つまり?」


 あかりが聞く。


 蒼太は真顔で答えた。


「分からん」


 一瞬。


 秘密基地の空気が止まる。


「分からんのかい!」


 あかりがちゃぶ台を叩いた。


 どっと笑いが起きた。


 蒼太は不服そうだった。


「いや、全部それっぽいんじゃ」


「それっぽいだけじゃろ」


「そうじゃけど」


「結局分からんのじゃん」


 蒼太は少し考える。


 そしてノートへ鉛筆を走らせた。


 さらさらと何かを書く。


 春人が覗き込む。


『色々あった』


 一瞬静かになる。


「雑!」


 全員の声が揃った。


 笑い声が秘密基地いっぱいに広がった。


 窓から風が吹き込む。


 ページの端がぱらりと揺れる。


 その風が気持ちよかった。


 春人は笑いながら思う。


 こうしてみんなで集まるだけでも、なんだか楽しかった。


 文字の意味はまだ分からない。


 けれど。


 分からないからこそ、集まっている。


 そんな気がした。


「じゃあ次、私」


 あかりが鉛筆を取った。


 勢いよくノートを引き寄せる。


 けれど。


 書き始めたのはほんの二行だった。


 春人が横から覗き込む。


「短くない?」


「だって本当にこれだけじゃもん」


 あかりは肩をすくめた。


「お父さんに聞いたんよ」


「で?」


「知らん」


「で?」


「宿題しろ」


 一瞬だけ静かになる。


 それから。


 秘密基地が笑い声で揺れた。


「調査になっとらん」


 蒼太が言う。


「うるさい」


 あかりは頬を膨らませた。


 けれど本人も少し笑っている。


 鉛筆を走らせる。


『お父さんも知らんかった』


 たったそれだけだった。


「終わり?」


 春人が聞く。


「終わり」


 あかりは堂々としていた。


「まあ、そんなもんじゃろ」


 陸が言う。


「お前も似たようなもんじゃろ」


 すぐに蒼太が返した。


 そして視線が集まる。


 次は陸だった。


 陸は少し頭を掻いた。


「兄ちゃんには聞いた」


「おお」


 春人たちが身を乗り出す。


 兄なら何か知っているかもしれない。


 そんな期待があった。


「何て?」


 春人が聞く。


「昔からあった」


「うん」


「読めん」


「うん」


「終わり」


 また静かになる。


「終わりなの?」


 春人が思わず聞き返した。


「終わり」


 陸は平然としていた。


「兄ちゃんも知らんかった」


「役に立たんな」


 あかりが言う。


「お前もじゃろ」


 陸が即座に返す。


 また笑いが起きる。


 窓から風が吹き込んだ。


 カーテンがふわりと膨らむ。


 遠くでセミが鳴いている。


 夏の匂いがした。


 結局。


 大人たちも知らない。


 昔からあるのに。


 誰が作ったのか分からない。


 何のためにあるのかも分からない。


 それが逆に不思議だった。


 そして最後に。


 みゆがそっとノートを引き寄せた。


 その瞬間だった。


 不思議と空気が少し変わる。


 さっきまでの笑い声が自然と静まる。


 みゆは祖父に聞いてきた。


 それをみんな知っていた。


「おじいちゃんに聞いた」


 みゆが言う。


 蒼太が身を乗り出す。


「何て?」


「昔からあるって」


 みゆはゆっくり答えた。


「おじいちゃんが子どもの頃からあったって」


 そこまでは他と同じだった。


 けれど。


 みゆは少しだけ考えるように窓の外を見た。


 風が髪を揺らす。


 そして静かに続ける。


「あと」


 その一言で。


 なぜか全員が黙った。


「神様の文字って呼ぶ人もおったらしい」


 秘密基地の中から笑い声が消える。


 窓の外では相変わらずセミが鳴いている。


 けれど。


 その声だけが妙に遠く聞こえた。


「神様の文字?」


 春人が聞く。


 みゆは小さく頷く。


「うん」


「でも本当は誰も分からんって」


 蒼太が少し肩を落とした。


「結局分からんのか」


「うん」


 みゆは少し笑った。


 そして。


 祖父の言葉を思い出すように、ゆっくり続ける。


「でも、おじいちゃんが言っとった」


 窓から吹き込む風が、ノートの端を揺らした。


「昔の人は」


 みゆの声だけが静かに響く。


「山にも意味がある」


「川にも意味がある」


「風にも意味がある」


 そこで一度言葉が途切れる。


 そして最後に。


「石にも意味があると思っとったんじゃろうなって」


 みゆの言葉が静かに消えていく。


 誰もすぐには何も言わなかった。


 窓の外ではセミが鳴いている。


 ミーン。


 ミーン。


 夏の空気を震わせるような声だった。


 風が吹く。


 開け放たれた窓から入り込んだ風が、秘密基地ノートのページをふわりと揺らした。


 ぱら。


 紙の端が小さくめくれる。


 その音だけが妙に大きく聞こえた。


 春人は黙っていた。


 頭の中には、氷室の景色が浮かんでいる。


 石の階段。


 ひんやりした空気。


 薄暗い石室。


 壁いっぱいに刻まれた知らない文字。


 昼休みに見つけた時のことを思い出す。


 最初はただの落書きだと思った。


 昔の誰かが彫った傷みたいなものだと思った。


 けれど。


 今は少し違う。


 石にも意味がある。


 その言葉を聞いたあとでは、あの壁の見え方が少し変わっていた。


 ただの石じゃない。


 ただの文字じゃない。


 そんな気がする。


「石か……」


 春人は小さく呟いた。


 誰に聞かせるでもなく。


 自分に言い聞かせるみたいに。


 その声を聞いて、蒼太も壁際の方を見た。


 ここからは見えないはずなのに。


 まるで氷室の文字を思い出しているみたいだった。


「昔の人が残したもんなんかな」


 陸が言う。


 窓から見える丸い山へ視線を向けている。


「何百年も前とか」


「もっと前かもしれん」


 蒼太が言った。


 今度は誰も笑わなかった。


 宇宙人だの古代文明だの言っていた時とは違う。


 本気で考えている声だった。


「だってさ」


 蒼太は少し身を乗り出す。


「みゆのおじいちゃんが子どもの頃からあったんじゃろ」


「うん」


 みゆが頷く。


「兄ちゃんも昔からあった言うし」


 陸も頷いた。


 秘密基地の中が静かになる。


 夏の風が吹き抜ける。


 遠くでヒヨドリの鳴く声が聞こえた。


 そして。


 春人はふと思う。


 もし。


 本当に昔の人が残したものだとしたら。


 何を伝えたかったんだろう。


 誰に向けて。


 何のために。


 あの冷たい石へ文字を刻んだんだろう。


 答えは分からない。


 分からないけれど。


 知りたいと思った。


 前よりもずっと強く。


 氷室のことを。


 文字のことを。


 そして。


 あの日、タブレットへ届いた言葉のことを。


 その時だった。


「ご飯できたでー!」


 階下から響いた声は、まるで魔法みたいだった。


 さっきまで秘密基地の中を包んでいた静かな空気が、一瞬で吹き飛ぶ。


「飯じゃ!」


 陸が真っ先に立ち上がった。


「早っ」


 あかりが吹き出す。


「今めっちゃ真面目な話しとったじゃん」


「それとこれとは別じゃ」


 陸はもう戸の方へ向かっている。


 春人も思わず笑った。


 結局。


 みんなお腹は空いているらしい。


 木の階段を下りる。


 ぎしり。


 ぎしり。


 古い階段が足音に合わせて鳴る。


 二階の窓から見えていた夏空が少しずつ遠ざかり、その代わりに台所から流れてくる匂いが濃くなっていく。


 出汁の匂いだった。


 ほんのり甘くて。


 どこか懐かしい匂い。


 春人のお腹が小さく鳴った。


 居間へ入った瞬間だった。


「うわ」


 あかりが声を上げる。


 春人も思わず足を止めた。


 座卓の上には、大きなざるが二つ並んでいた。


 白いそうめんが山のように盛られている。


 その上には透明な氷。


 窓から差し込む光を受けて、きらきら光っていた。


 横にはおにぎり。


 三角のもの。


 丸いもの。


 少し大きなもの。


 小さなもの。


 一つ一つ形が違う。


 手で握ったことが分かる不揃いさだった。


 さらに。


 大皿いっぱいの冷やしトマト。


 真っ赤な色が夏の日差しみたいだった。


「すご……」


 みゆが目を丸くする。


「そんなに食べれる?」


「食べれる」


 陸が即答した。


「お前が言うな」


 蒼太が突っ込む。


 その時、おばあちゃんが台所から顔を出した。


 エプロンで手を拭きながら笑っている。


「足りんかったらまだ茹でるけぇ」


「まだあるん!?」


 あかりが叫んだ。


「あるよ」


「どんだけ食べると思われとるん」


「育ち盛りじゃろ」


 おばあちゃんは平然としている。


 確かに正しい。


 正しいけれど。


 それにしても量が多い。


「いただきます!」


 五人の声が揃った。


 そうめんを箸ですくう。


 つゆへ入れる。


 そして口へ運ぶ。


 ずるるっ。


 冷たい。


 思わず春人は目を見開いた。


 外は真夏だった。


 秘密基地にいるだけでも汗はかく。


 ここへ来るまでだって暑かった。


 その熱が、そうめんと一緒にすっと消えていく。


「うま……」


 思わず声が漏れた。


 冷たさと出汁の味、それに喉ごしの良さがちょうどよく混ざり合っていた。


「じゃろ」


 陸が得意そうに言う。


「だからお前が作ったんじゃないじゃろ」


 蒼太が返す。


 みんなが笑う。


 その横で。


 あかりはもう二個目のおにぎりを取っていた。


「早くない?」


 春人が言う。


「だっておいしいもん」


 口いっぱいに頬張りながら答える。


 その顔がリスみたいで、みゆがくすっと笑った。


 春人もおにぎりを取る。


 少し不格好だった。


 でも。


 その不格好さがなんだか嬉しい。


 ひと口かじる。


 中から鮭が出てきた。


 ほどよい塩気が広がる。


 思わずもうひと口。


 そしてまたひと口。


 気付けば半分なくなっていた。


「春人くんもよう食べるなぁ」


 おばあちゃんが笑う。


「おいしいです」


 春人は素直に答えた。


 本当においしかった。


 料理そのものも。


 みんなで囲む食卓も。


 どちらも。


 東京にいた頃。


 友達の家で昼ご飯を食べることなんてほとんどなかった。


 だからだろうか。


 ここへ来ると、少し不思議な気持ちになる。


 初めて来た家なのに。


 初めて会ったおばあちゃんなのに。


 昔から知っていた場所みたいに感じるのだ。


 その時だった。


「それ私が見とったやつ!」


 あかりの声が居間へ響く。


 見ると、最後の冷やしトマトを巡って陸と睨み合っていた。


「見とっただけじゃろ」


「先に見つけた!」


「取ったもん勝ちじゃ!」


「ずるい!」


「早いもん勝ちじゃ!」


 二人とも本気だった。


 たかがトマト。


 されどトマトだった。


 春人たちが笑っていると、おばあちゃんが台所からもう一皿持ってきた。


「まだあるわ」


 一瞬で解決した。


 あかりと陸が同時に固まる。


 そして。


 みんなが吹き出した。


 窓の外ではセミが鳴いている。


 そうめんをすする音。


 笑い声。


 風鈴の音。


 夏だった。


 どこにでもありそうな夏の昼だった。


 けれど春人には、その全部が少し特別に思えた。


 最後のそうめんを食べ終える頃には、ざるの上はほとんど空になっていた。


「食ったー……」


 あかりが座卓へ突っ伏す。


「お前、昼から動けるん?」


 蒼太が呆れたように言った。


「動ける」


「絶対嘘じゃろ」


 陸が笑う。


 みんながまた吹き出した。


 その時だった。


 縁側の方から、ポテポテとポチが歩いてくる。


 シッポを振りながら近づいてきて、そのまま、あかりの足元へコロンと寝転んだ。


「あー」


 あかりが頭を撫でる。


「お前も食べたかったん?」


 ポチは何も答えない。


 ただ尻尾だけをぱたぱた振った。


 それがなんだか可笑しくて、春人は笑った。


 東京にいた頃。


 こんな昼はなかった。


 犬もいなかった。


 秘密基地もなかった。


 氷室もなかった。


 そして何より。


 こんな友達もいなかった。


 不思議だった。


 転校してきた時は不安しかなかったのに。


 今はここへ来てよかったと思っている。


 そんなことを考えていると、


「行くか」


 蒼太が立ち上がった。


 その一言で空気が変わる。


 さっきまで昼ご飯の時間だった。


 けれど今は違う。


 調査隊の時間だった。


 あかりも起き上がる。


 みゆは水筒を持つ。


 陸は秘密基地ノートを抱えた。


 春人もリュックの中を確認する。


 タブレット。


 鉛筆。


 ノート。


 全部入っている。


「よし」


 陸が戸を開ける。


「氷室調査隊、出発じゃ」


「だから誰が決めたんそれ」


 あかりが笑う。


 けれど誰も反対しなかった。


 五人は長屋門を下りる。


 外へ出た瞬間。


 むわっとした熱気が全身を包んだ。


「暑っ」


 あかりが顔をしかめる。


 さっきまで縁側の風に当たっていたせいで、余計に暑く感じた。


 真っ青な空。


 揺れる田んぼ。


 遠くの丸い山。


 セミの大合唱。


 夏だった。


 五人は神社へ続く坂道を歩く。


 汗はかく。


 けれど足取りは軽かった。


 今日もまた。


 あの氷室へ行くのだ。


 石段を上る。


 鳥居をくぐる。


 木陰へ入ると少しだけ涼しい。


 葉の隙間から木漏れ日が落ちていた。


 やがて。


 草に隠れるように残された石の入口が見えてくる。


 氷室だった。


 誰も何も言わない。


 けれど全員が自然と足を速めていた。


 石段を下りる。


 ひんやりした空気が流れてくる。


 外の熱気が少しずつ遠ざかっていく。


 ぽたり。


 どこかで水滴が落ちる音。


 氷室の中は相変わらず静かだった。


 春人はリュックからタブレットを取り出す。


 画面を開く。


 変化はなかった。


 あの日と同じ文字。


 同じ画面。


 新しい通知は届いていない。


「やっぱ変わっとらんな」


 陸が言う。


「うん」


 春人は頷いた。


 少しだけ残念だった。


 もしかしたら。


 今日こそ何かあるかもしれない。


 そんな期待がどこかにあったからだ。


 それからしばらく。


 五人は壁を見たり。


 地図を見たり。


 文字を書き写したりした。


 けれど。


 結局、決定的な発見はなかった。


 読めないものは読めない。


 分からないものは分からない。


 気付けば一時間近くが過ぎていた。


「そろそろ帰るか」


 陸が言った。


「そうじゃな」


 蒼太も頷く。


 みゆは地図を丸める。


 春人はタブレットをリュックへしまった。


 五人は出口へ向かう。


 石段を上る。


 外の光が近づいてくる。


 蝉の声も聞こえてくる。


 もうすぐ出口だった。


 今日は結局、何も分からなかった。


 少しだけ残念だったけれど。


 それでも、また来ればいい。


 そう思った時だった。


 ――ピコン。


 小さな電子音が響いた。


 一瞬。


 五人全員の足が止まる。


 そして。


「今の!」


 真っ先に声を上げたのは蒼太だった。


 春人も振り返る。


 言われなくても分かっていた。


 音は自分のリュックから聞こえた。


「来たんじゃね!?」


 陸が目を見開く。


「えっ、ほんまに!?」


 あかりまで駆け寄ってくる。


 みゆも息を飲んでいた。


「分からん!」


 春人は慌ててリュックを肩から下ろした。


「早う見て!」


 あかりが急かす。


「分かっとるって!」


 春人はファスナーを開ける。


 蒼太が横から覗き込む。


 陸も覗く。


 あかりも覗く。


 みゆまで背伸びをしていた。


 五人の頭が自然と集まる。


 秘密基地で宝物を見つけた時みたいだった。


 春人はタブレットを取り出す。


 画面はまだ暗い。


 けれど。


 通知ランプだけが小さく点滅していた。


「あっ」


 誰かが声を漏らした。


 本当に来ている。


 本当に。


 春人は唾を飲み込む。


 そして画面を開いた。


 青白い光が石段を照らす。


 通知が一件。


 増えていた。


「来とる……」


 蒼太が小さく呟く。


 春人は震える指で通知を開いた。


 次の瞬間だった。


 五人の動きが止まる。


 画面に表示された文字は。


 今までの記号じゃなかった。


 誰にでも読める文字だった。


『やっと』


 一行だけ。


 けれど。


 その一行だけで、春人の背筋を冷たいものが走った。


「え……」


 あかりが小さく声を漏らす。


 画面には続きがあった。


『きてくれた』


 ぽたり。


 どこかで水滴が落ちる。


 氷室の中が静まり返った。


 さっきまで騒いでいたのが嘘みたいだった。


 誰も喋らない。


 誰も動かない。


 ただ。


 五人とも画面を見つめていた。


 まるで。


 ずっと待っていた誰かが。


 ようやく向こう側から話しかけてきたみたいだった。

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