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いにしえのことのは ー空に近い町のひみつー  作者: くいたん


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第105話 鏡石へ


 森を吹き抜ける風が、木々の葉をやさしく揺らしていた。


 あねさまの言葉が、まだ胸の中に残っている。


 ――鏡石は。


 ――まだ、あなたたちを待っています。


 誰も、すぐには動けなかった。


 その時だった。


「……待って」


 蒼太がぽつりと言った。


 春人が顔を上げる。


「どうした?」


「待って」


 蒼太は額へ手を当てた。


「整理させて」


 陸が吹き出す。


「始まった」


 あかりも笑った。


「蒼太モードじゃ」


 みゆも小さくうなずく。


「戻ってきた」


「何が?」


 春人が聞く。


「あの蒼太」


 みんなが思わず笑った。


 伊勢へ来てから、蒼太はずっと静かだった。


 歌を聞いても。


 あねさまに会っても。


 ただ黙って考え込んでいた。


 けれど今は違う。


 目が、いつものようにぎらぎらと輝いている。


「まず」


 蒼太は人差し指を立てた。


「氷室」


「歌を受け取る」


 二本目。


「円形列石」


「歌を響かせる」


 三本目。


「伊勢」


「歌が届く」


 そこで止まる。


「じゃあ」


 全員が蒼太を見る。


「鏡石は?」


 蒼太は頭を抱えた。


「鏡」


「鏡は……」


 みゆが静かに言った。


「映す」


 その瞬間。


 蒼太の顔がぱっと明るくなった。


「そうじゃ!」


「映すんじゃ!」


「鏡石は、歌を映す!」


 春人も息をのむ。


 蒼太は止まらない。


「陰陽石は道を示した」


「氷室は歌を預かっとった」


「円形列石は歌を響かせた」


「伊勢は歌を届けた」


「じゃあ鏡石は……映す!」


蒼太は興奮したように顔を上げた。


「全部役目が違う!」


「全部つながっとる!」


 興奮したまま、その場を歩き回る。


「待って」


「じゃあ」


「世界へ返すって」


「鏡石で歌うってことなんじゃないん?」


 あねさまは、穏やかに微笑んだ。


「よく、そこまで気づきました」


 蒼太は拳を握る。


「やっぱり!」


「ですが」


 あねさまは静かに続ける。


「何を映し」


「何を返すのかは」


「鏡石で、あなたたち自身が知ることになります」


「そこだけ教えてほしい……」


 蒼太が本気で悔しそうにうなる。


 あかりが吹き出した。


「気になるよなぁ」


「気になりすぎるじゃろ!」


 蒼太が叫ぶ。


 その声に、みんなが笑った。


 あねさまも、どこか楽しそうに目を細める。


「一人ではありません」


「五人で見つけなさい」


 五人は顔を見合わせた。


 そして、うなずく。


 その時。


 金色の光が、ふわりと揺れた。


 白い衣が、光へ溶けていく。


 長い黒髪も。


 金色の瞳も。


 少しずつ光の粒となって森へ舞い上がる。


「また」


 春人が思わずつぶやく。


 あねさまは微笑んだ。


「また」


「約束が果たされる時に」


 光は花びらのようにほどけ、木漏れ日の中へ静かに消えていった。


 タブレットが小さく震える。


氷色


『またね』


『あねさま』


 画面の光も、ゆっくり消えていった。


     ◇


「……話は終わったか」


 黒崎の声だった。


 春人は振り返る。


「はい」


 黒崎は五人の顔を見回した。


 何があったのか、見えてはいない。


 聞こえてもいない。


 それでも、五人の表情だけで何かが変わったことは分かったのだろう。


「次は鏡石じゃな」


 春人は驚いた。


「分かるんですか」


「お前らの顔見とったらな」


 黒崎は笑う。


「ほんなら、一回車へ戻るぞ」


「車?」


 蒼太が目を丸くする。


「歩いて行くんじゃないんですか」


「歩けんことはないかもしれんが、今日は時間が惜しい」


 黒崎はリュックを背負い直した。


「それに、鏡石はゆっくり見る」


「取材もしたい」


 杉谷が時計を見る。


「もう昼前じゃ」


「先に弁当買うて行こう」


 その言葉に、陸がぱっと顔を上げる。


「弁当!」


「反応早っ」


 あかりが笑う。


「腹減ったら調査どころじゃねぇ」


「それは陸だけじゃろ」


 蒼太が即座に言う。


「わたしもお腹すいた」


 あかりが手を上げた。


 みゆも小さくうなずく。


 春人も笑う。


「結局みんなじゃん」


 黒崎は苦笑した。


「決まりじゃ」


「車へ戻るぞ」


     ◇


 車まで戻る道でも、蒼太は止まらなかった。


「黒崎さん!」


「鏡石って昔から有名なんですか!」


「なんで鏡なんですか!」


「ほんまに映ったんですか!」


「取材したことあるんですか!」


「一個ずつ聞け」


 黒崎が笑う。


「全部いっぺんに答えられん」


「じゃあ一個!」


 蒼太が言う。


「なんで鏡石なんですか!」


 黒崎は少し考えた。


「昔はな」


「人の姿が映るほど、岩の面がきれいじゃったいう話がある」


「今は、そう見えるかどうかは分からん」


「でも、そういう伝承が残っとる」


「姿が映る……」


 みゆが小さくつぶやいた。


「鏡」


 春人も同じ言葉を胸の中で繰り返した。


 鏡石。


 歌を映す石。


 世界へ返す石。


 まだ、何も分からない。


 けれど。


 確かに、次の場所はそこだった。


     ◇


 車に戻ると、杉谷が近くの店へ寄ってくれた。


 おにぎり。


 唐揚げ弁当。


 サンドイッチ。


 お茶。


 陸は迷わず大きな弁当を選ぶ。


「それ、食べ切れるん?」


 あかりが聞く。


「余裕じゃ」


「絶対眠くなるやつじゃん」


 春人が笑う。


 蒼太はおにぎりを二つ手にしたまま、まだ考えている。


「食べながら考えんようにな」


 杉谷が笑う。


「のど詰まるぞ」


「詰まりません」


「いや、詰まりそうじゃ」


 陸が言う。


 車内に笑い声が戻った。


 神域の奥であねさまと出会ったことが、夢のように思える。


 けれど、春人のタブレットは確かにリュックの中にある。


 氷色の文字も。


 あねさまの声も。


 全部、確かにあった。


     ◇


 車は市街地を抜け、細い道へ入っていった。


 杉谷が慎重にハンドルを切る。


 両側から木々が迫るような林道だった。


 舗装はされている。


 けれど道幅は広くない。


 車が揺れるたび、陸の弁当の袋がかさかさ音を立てた。


「落とすなよ」


 あかりが笑う。


「守っとる」


「宝物みたいに持つな」


 黒崎は助手席で地図を確認している。


「この先に小さな駐車場がある」


「そこからは歩きじゃ」


「どれくらいですか」


 春人が聞く。


「六百メートルくらいじゃな」


「近いようで」


 杉谷が前を見ながら言う。


「山道の六百メートルは、町の六百メートルとは違うぞ」


 車はさらに奥へ進んだ。


 木漏れ日がフロントガラスへちらちらと落ちる。


 やがて、道の脇に小さな空き地のような場所が見えた。


「ここじゃ」


 杉谷が車を止める。


     ◇


 車を降りると、空気が変わっていた。


 さっきまでの神宮の森とは違う。


 もっと湿っていて。


 もっと山に近い。


 どこかで水の流れる音がしている。


 黒崎はすぐに荷室を開けた。


 そして、リュックから次々に道具を取り出す。


 カメラ。


 替えのレンズ。


 小さな三脚。


 メジャー。


 方位磁石。


 ノート。


 陸が目を丸くした。


「そんなに持って行くん?」


「取材じゃけぇな」


 黒崎はカメラを確認しながら答える。


「見たもんを見ただけで終わらせたら、ただの感想じゃ」


「記録して、比べて、残す」


「そこまでして調査じゃ」


 蒼太が目を輝かせる。


「かっこいい……」


「お前もノート持ったか」


「もちろんです!」


 蒼太は胸を張る。


 みゆもノートを抱え直した。


 黒崎は五人を見回す。


「ここから先は足元に気をつけろ」


「滑る場所もある」


「石には勝手に触るな」


「写真は、まず周りを見てからじゃ」


「はい」


 五人の返事がそろう。


 杉谷は弁当の入った袋を持ち上げた。


「飯は現地で様子見てからじゃな」


「腹減った……」


 陸が小声で言う。


「まだ早い」


 あかりが即座に返した。


     ◇


 山道へ入る。


 最初は細い土の道だった。


 足元には落ち葉が積もり、ところどころ木の根が浮き出ている。


 風が吹くたび、葉の間から光がこぼれた。


 少し歩くと、水の音が近づいてきた。


 さらさら。


 さらさら。


 小さな沢の音だった。


 みゆが立ち止まり、耳を澄ませる。


「水の音……」


「うん」


 春人もうなずく。


 氷室の水滴。


 五十鈴川。


 そして今の沢の音。


 水の音は、いつも何かの始まりにあった気がした。


 蒼太は歩きながらも止まらない。


「黒崎さん」


「この辺一帯が、鏡石なんですか」


「いや」


 黒崎は前を歩きながら答える。


「鏡石そのものは、この先じゃ」


「じゃが」


「周りにも巨石が多い」


「一つの石だけ見て終わりじゃない」


「場所全体を見る」


「場所全体……」


 春人は辺りを見回した。


 白っぽい岩が、木々の間に少しずつ見え始めている。


 普通の山道のはずなのに。


 だんだん、石が多くなっている。


 まるで誰かが、道しるべのように置いていったみたいだった。


「……近い」


 みゆが小さく言った。


「何が?」


 あかりが聞く。


「分からない」


 みゆは首を振る。


「でも、近い気がする」


 蒼太が黙った。


 陸もふざけなくなった。


 春人はリュックの中のタブレットを意識する。


 今は光っていない。


 それでも、確かにそこにある。


 もうすぐ何かが始まる。


 そんな予感がしていた。


     ◇


 黒崎が足を止めた。


 カメラを構える。


「……ここから先は、ゆっくり行くぞ」


 いつもの笑顔はなかった。


 取材者の顔だった。


 杉谷も静かにうなずく。


 五人は黒崎の後ろから、そっと前を見る。


 最初に目へ飛び込んできたのは、小さな祠だった。


 木立の中に静かにたたずむ、白木の社。


 新しいしめ縄が張られ、榊も供えられている。


 決して大きくはない。


 それでも、誰かが今も大切に守り続けていることが、一目で分かった。


「……祠」


 みゆが小さくつぶやく。


 黒崎は静かにうなずく。


「言うたじゃろ」


「昔からの祈りが、途切れず残っとる場所は少ないって」


 五人はもう一度、祠を見る。


「ここは」


「今も、その祈りが続いとる場所じゃ」


「じゃけぇ、わしはここへ来たかった」


 その奥。


 木々の向こうに、白い岩肌が見えた。


 最初は一部だけ。


 けれど歩みを進めるたび、その大きさが分かってくる。


 横へ長く広がる、巨大な石。


 まるで山の中に、白い壁が立っているようだった。


 春人は足を止める。


「……あれが」


 黒崎が静かに言った。


「鏡石じゃ」


 誰も声を出さなかった。


 白い巨石は、木漏れ日の中で静かにそこにあった。


 磨かれているわけでもない。


 光っているわけでもない。


 それなのに。


 春人には、


 あの石が。


 自分たちを待っていたように思えた。

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